第74話 台所

 えっちゃん、このお家来るの初めてでしょう?

 叔母さんが自分で言うのもなんだけど、ちょっと暗いわよね。駅やスーパーやなんかは近くていいんだけど、周りにお家が建ってるから、日蔭になっちゃうのかしら。

 昼間は叔母さん、この家に一人なのよね。ミーコも年で死んじゃったから、寂しくて。今日はえっちゃんに会えて嬉しいわ。

 なんだかねぇ、この家、ちょっと変なのよね。

 あら、あの、別にお化けを見たとか、そういうことじゃないの。

 でもちょっと、変なことがあってね。この家に越してきてからなのね。

 あのね、そっちにすりガラスがあるでしょう。あっちはお台所なんだけどね。

 あそこでお夕飯の支度なんかしてると、何だか後ろに気配を感じるようなことがあるの。

 でもね、振り向いてみても、何にもないの。そういうことが多いもんだから、最近は「ああ、気配がするな」と思っても、放っておいて料理をしてるの。

 でもね、ついこの間なんだけど。その気配が近づいてきたことがあって。妙にこう、後ろに迫ってる感じなのね。

 気味が悪くなってきちゃって。叔母さん、振り向いたのよ。こうやって右から。

 そしたらね、その後、覚えてないの。

 気が付いたら、包丁を持ったまんまで、そこの縁側に立ってたの。

 もう、とっぷり日が暮れててね。

 確か、後ろに何かあったんじゃないかと思うのよ。でもね、覚えてないの。

 ね、変でしょう。


 奈央子さんが、姪の恵津子さんにその話をし終わった時だった。

 台所で、カタンと音が聞こえた。

「あら、何か倒れたみたい」

 立ち上がろうとすると、恵津子さんが止めた。

「そっちはいいから、叔母さん、ちょっとうちに来てくれない? すぐだから」

 真剣な表情に、奈央子さんは気圧された。恵津子さんは真面目な性格で、単なる思い付きや酔狂でわがままを言ったりしないということも知っていた。

「いいわよ。ちょっと待ってね」

 外へ出ると、妙に日差しが明るかった。やっぱり家は暗い、と奈央子さんは思った。

「叔母さん、台所のすりガラスが居間から見えたでしょ」

 道を歩きながら、恵津子さんが話し出した。

「あの向こう、何かが立ってたよ。女の人みたいだった。桃色の着物を着て、真っ赤な帯を締めているみたいに見えてね、それで、首が長いの。肩までは普通の人なのに、頭が天井に届きそうなくらい」

 奈央子さんが台所の話を始めた途端、そこにふっと立ったそうだ。

 彼女にこのことを伝えなければと思ったのだが、家の中だと怖くて、教えることができなかった。そこで、外に連れ出したと恵津子さんは言った。

「叔母さん、あの家引っ越した方がいいんじゃない?」

 奈央子さんは首を振って「難しいわね」と答えた。

 その家はほんの半年前、彼女の夫が購入したばかりだった。


 今も、奈央子さんはその家に住んでいる。

 台所では、絶対に振り向かないと決めている。

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