第35話 吊るされて
「俺じゃなくて従兄の話だからね。ぶっちゃけ本当の話かどうかわかんないけど、まぁその廃墟に出るっていう噂自体は聞いたことがあるし」
こう前置きをして、小宮山は話し始めた。
彼の従兄であるA君が、高校生の時に体験したことだという。
その日は夏休みだった。
A君は友達三人と、男ばかりで肝試しに出かけた。
彼らはそれぞれ、免許をとって間もない原付に乗って、近くの山の中にある廃工場に向かった。
肝試しとは言ったものの、彼らが廃墟にやってきたのは真昼間だった。灯りもろくにない山の中へ、暗くなってから原付で乗り入れるのはぞっとしない。素行のよくない連中と鉢合わせするおそれもあった。
その廃墟にはこれといって怖い噂はなかった。ただ経営不振で閉鎖された工場というだけで、人が死んだだの、祟りがあっただのという話は聞いたことがなかった。
それでも、雰囲気は十分だった。
うっそうと木々に覆われた工場の中に一歩入ると、途端に日の光が遮られ、視界がぐっと暗くなった。長いこと放置されている様子の作業台や、何に使われたものかもよくわからない金属の部品などが、いたるところに転がっている。
工場の乱雑な様子が、まるでそこで働いていた人たちが急いで逃げ出したかのように見えて、何かが起こりそうなドキドキ感があった。肝試しというよりは、探検をしている気分だった。
工場は平屋建てで、A君を含む四人は、和気あいあいと奥へ進んでいった。
やがてたどり着いた建物の奥には、閉ざされた鉄の扉があった。ドアの上にはプレートが付いているが、そこに何が書いてあったのか、もう読み取ることはできなかった。
「ここが一番奥かな?」
誰かが言った。
「よっしゃ、この中見たらクリアかぁ」
一行の中でも先陣を切っていたB君が、開き戸に手をかけた。そもそもその肝試し自体、彼が言い出したもののような気がする、とA君は小宮山に話したという。
鍵はかかっていなかった。少しガタガタと抵抗があって、ドアが開いた。
その途端、埃臭さとは違う異臭が鼻をついて、全員が口元を手で覆った。
奥にある窓から、室内に光が差し込んでいた。
そう広い部屋ではなかった。両脇には棚が並んでいて、何かを仕舞っていた倉庫のようなところだったのだろう、とA君は思った。
部屋の中央に、何か細長いものがあった。それが窓からの光を遮っている。
逆光になっているため、最初はそれが何なのかよくわからなかった。
よく見ていても、やはりすぐには何なのかわからなかった。
人間だった。
全身をガムテープのようなものでぐるぐる巻きにされ、うなだれた頭頂部をこちらに向けて、むき出しになった天井のパイプからぶら下がっている。
足の下には水溜りができていた。
その光景と、「首吊り」という言葉が、ようやく頭の中でつながったとき、A君は声も出さずに、部屋の中が見えないところまで後ずさった。
異臭のためか、それとも恐怖のためか、涙が止まらなかった。
気が付けば、友人二人もA君の近くに逃げてきており、肩で息をしている。
「おい、Bは?」
B君だけがその場にいない。と、さっきの部屋から彼がふらりと出てきて、A君たちがいる方に向かってきた。
「B、何やってたんだよ」
「ちょっと様子見てきた」
そう答えたB君の顔は、尋常でないほど真っ白だった。
「大丈夫か?」
「死体の顔が……」
ひどい顔だった、と呟いて、B君は突然その場に嘔吐した。
今ではどうかわからないが、その当時、その工場付近には携帯の電波がほとんど届いていなかった。
A君は、少し山を下ったところにあった電話ボックスから、生まれて初めて110番通報をした。
すぐに警察車両が何台かやってきて、四人は死体のある部屋から離れたところへ追いやられてしまった。だが、もう近寄ろうという気にはなれなかった。
どれくらいその場にいただろうか。警官の一人に、殺人事件の可能性が高いから、すまないけれど改めて詳しい話を聞かせてほしいと言われた。そう言われて初めてA君は、確かに自分一人で、あんな格好でぶら下がることはできないだろう、と思い当ったという。
「殺人だって……」
「首吊らせるとか、西部劇みたいじゃね」
ぼそぼそと話を交わす中、B君だけは黙っていた。
幸い、A君たちが容疑者として疑われるようなことはなかった。遺体は死後何日か経過しており、暑い時期であったことも相まって、すでに腐敗が始まっていたと聞かされた。
「お兄ちゃんたち、とんでもないものを見つけちゃったなぁ」
A君は警官に、労わるような調子でそう言われたのを覚えているという。
事情聴取が終わって、四人が帰路についた頃には、すっかり日が暮れていた。
死体を見つけるまでは一番元気だったB君が、一言も口をきかなくなっている。
近くで死体を見てしまったショックからだろうと、皆強いて話しかけることはしなかった。
乗ってきた原付に乗って、彼らは各々の家に帰っていった。B君の家は近所だったので、A君は家の前までB君と一緒だった。
A家の門扉の前で停車すると、B君がヘルメットを取った。
「Aさぁ……」
と、何かを言いかけて止める。
「B、マジで大丈夫か?」
「俺、顔見るんじゃなかったわ」
「アホやな~」
A君はわざと笑ってみせたが、B君の表情は暗い。
「すげー顔しててさ、苦しんで死ぬのってあんな風になるのな……」
「おい、やめろよ……」
「いや、ゴメン。でも餓死って……」
その言葉が引っかかった。
「ちょっと待って、ガシって何?」
「あ? ガシは餓死だろ」
「飢えて死ぬガシか? でも今日のって首吊りじゃん。首吊りって餓死なの?」
B君は少しの間、何も言わずにA君を見ていたが、
「お前、やっぱ首吊りだと思った?」
と言った。
「だって天井から……」
「あのロープ、首になんかつながってなかった。背中辺りに結んであって、それでぶら下がってたんだ。誰も来ない廃墟で、絶対動けないようにガチガチに縛ってぶら下げて、時々水だけ飲ませて死ぬのを待ってたらしいって」
あそこにどんだけほっとかれたんだろうな。そりゃすげぇ顔になるわな……。
B君はそう言うと、おもむろにヘルメットをかぶって去って行った。
取り残されたA君は、自宅の門扉の前で立ち尽くした。
改めて、酷く厭なものを見てしまった、という気持ちが襲ってきた。
救いようのない気持ちだった。
以後、警察がホイホイ情報を教えてくれるわけもなく、事件がどうなったのか、被害者がどんな人物だったのかはわからない。それらしき事件の犯人が捕まった、というニュースも目にしていないという。
ただその年以降、その廃工場に行くと、奥の部屋から苦しそうに呻く男の声が聞こえると言う噂が囁かれ始めた。
小宮山もA君も、その噂の真偽を確かめに行く気はないという。
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