第29話 後ろ姿

 日下部さんは、十年以上も前に亡くなったお母さんから、形見として鏡台をもらった。

 以来ほとんど毎朝、その鏡台を使って身支度をしているそうだが、ごく稀に、鏡の中の自分が後ろを向いていることがあるという。当たり前だが、鏡に対して正面に座っていれば、自分の顔が映るはずである。

 そんなときは、さっさと鏡に布をかぶせてしまい、洗面台で身支度をする。

「だって顔が見えないのに、お化粧なんかできないじゃない」

 日下部さんは苦笑する。


 一度だけ、鏡に映る後ろ姿を、しばらく眺めていたことがあるという。

 その時いつもの癖で、左肩にかかっている髪を払うように、ふいっと顔を動かした。すると、鏡の中の自分も同じような動きをした。

 少しだけ横を向いた顔は、紫色に腫れ上がっているように見えた。


 それから、その後ろ姿がひどく不吉なものに思えて仕方なくなったという。

 それでも母の遺品ということで、彼女は未だにその鏡台を持っている。

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