第26話 騒音

 前田が引越してきたのは、築30年以上経つ二階建ての小さなアパートだった。

 201号室に入居した彼は、まず真下と隣の住人に挨拶に行った。隣の202号室に住んでいたのは、大人しそうな若い女性だった。

 その夜、引越し作業でくたくたに疲れた前田は、新居で初めての眠りについた。

 うとうとしかけた時、「キャー!」という大声で目が覚めた。

 驚いて目を開けたが、六畳一間の和室の中には、変わったものは何もなかった。


 それから月に何度か、夜に悲鳴が聞こえるようになった。

 ほどなく、どうも隣の202号室から壁越しに聞こえるらしい、ということに気づいた。

 寝入り端を邪魔されることもあり、気分のいいものではない。隣の人に注意しようとも思ったが、相手が大人しくてか弱そうな女性なだけに、前田にはかえって文句が言いにくかった。

 古いアパートなのだから、隣の音が聞こえるのは想定内だ。毎日聞こえるわけでもないし、放っておこう。

 考えたのち、彼はそう決めた。


 ある日、前田がアルバイトを終えて帰宅すると、202号室のドアが開いており、引越し業者らしき人達が出入りしている。

 廊下に出てきた隣人の女性が、彼に気づいて会釈をした。

「すみません、騒がしくて」

「引越すんですか?」

「はい」

 彼女は横目で、荷物を運び出していく引越し業者を追っていたが、

「あの、お気をつけて……」

 と呟くと、ぺこりと頭を下げ、部屋の中に戻って行った。

 何に気をつければいいのかわからないが、ともかくこれからは隣室の悲鳴に悩まされる必要はなくなった、と前田は喜んだ。

 次の日、202号室のポストには、緑色の養生テープが貼られていた。ああ、もう引き払ったんだなと思ったという。


 その晩、前田が部屋でネットサーフィンをしていると、突然「キャー!」という聞き慣れた悲鳴が聞こえた。

 202号室からだった。

 その晩、一睡もできなかった。


 そのアパートはその後次々に住人が退去し、今はもう、前田が住んでいるだけになっている。

 未だに隣室から悲鳴が聞こえるという部屋に、彼はなぜか住み続けている。

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