第23話 合宿所・1
高校一年生の夏休み、草野くんは所属していた吹奏楽部の夏合宿のため、◎◎県の湖の近くにある民宿を訪れた。
音楽系サークルの合宿によく使われる民宿で、真夜中まで音出しをしていいホールには、グランドピアノやアンプなどが常備されていた。それが便利なので、彼の高校の吹奏楽部は、毎年その民宿を合宿に利用していた。
その代りと言っては何だが、宿泊スペースの方は、あまり設備がいいとは言えなかった。すり減った畳の部屋に、いつも床が濡れている和式トイレ。共同浴場は5、6人も入れば一杯で、ゆっくり体を洗っている暇もない。
そんなところだったが、ご飯はそれなりにおいしいし、合宿自体の楽しさもあって、誰からも文句は出なかった。
草野くんも、それほど民宿に不満があったわけではないが、ホールがある一階から、部屋のある上階へ向かう階段が苦手だった。
彼曰く「田舎のおばあちゃん家みたい」な建物で、狭くて急な階段には、天井にオレンジ色の照明が点いているのみ。手すりもついていないので、壁を伝っていないと転がり落ちそうだった。
高所恐怖症の草野くんにとっては、少々足のすくむ代物だったという。
合宿二日目の夜、早々に楽器を片付け終えた草野くんは、一足先にホールを出た。すぐに混みあってしまう共同浴場に、急いで入りに行くつもりだったという。
二階にある部屋へ行くため、例の狭い階段を上ろうとすると、階段の上に人が立っている。
部員はほとんどがまだ、ホールで楽器を片付けているはずだ。宿の人だろうか、と思いながら見上げたが、どうして階段の上に、ぼんやり立っているのかわからない。
髪の長い女性で、袖なしのワンピースを着ている。その姿に一瞬、草野くんは強い違和感を覚えた。
女性の視線は上を見ていて、草野くんには気づいていないように見える。狭い階段のことだから、そこをどいてもらわないと二階に行くことができない。
だが、女性の妙に青白い顔が気になって、つい足が止まってしまった。このまま階段を上っていくと、あの人にどんどん近づいてしまう。
それが気味が悪い。
確かもう一か所、同じような階段があったはずだ……と考えて、暗さに目が慣れてきたためか、ふとあることに気付いた。
女性の手がおかしい。
両脇にだらりと垂らしている手は、小指をこちらに向けている。
よく見ると、ワンピースから出た足にも、膝の裏とふくらはぎが見える。
もしかしてあの女、首が真後ろを向いてないか?
そう思った途端、女性の視線が階段下に向いた。
そして、人形のようなぎこちない動きで、階段に足を一歩踏み出した。
こっちへ来る! と思ったが、足が動かない。ぎしっと階段を踏みしめる音がした。
と、後ろから肩を叩かれた。
「うわぁー!」と大声をあげて振り返ると、部活の先輩だった。
「草野、何やってんだ? 風呂混むぞ」
階段の方を見ると、誰もいなかった。
先輩に今見たものについてまくしたてると、「おう、この宿よくあるぞ」と、こともなげに言われた。
案の定、風呂には出遅れたという。
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