第12話 人生には、甘いものが必要だ
二階の窓から落ち、神様に助けられたその晩。
色々ありすぎて疲れてしまった私は、無性に甘いものが食べたくて仕方がなかった。
女中という身分だし、皆に虐げられている状況で、お菓子など手に入るわけもなく、誰かが分けてくれるということもないため、ひたすらに耐え忍ぶ日々が続いていたが、とうとう我慢の限界が来た。
「チョコレート、ドーナツ、ケーキ、かりんとう、おまんじゅう、あんまん、ミルクティー、カフェオレ、バームクーヘン、ホットケーキ、チョコレート!」
「(なんだ、その呪文は)」
「リノさん。おかしが食べたいです」
「(そんなものはない)」
「知ってます。知ってますよ。だから、もう自分で作るしかないじゃありませんか!」
レシピ本さえあればなんだって作れる自信がある。
そう。
肝心のレシピ本があればの話だ。
もちろん、そんなものが都合よくあるはずもなく、記憶を頼りに思い出したのが、パウンドケーキだった。
たしか、全部の材料を同じ分量だけ混ぜて焼けば出来たはず。
材料を全部合わせて、1パウンドになるから、パウンドケーキって名前になったと、テレビで見たことがある。
覚えてた私、えらい!
1パウンドが何グラムか知らないけど。
作ったことなんかないけど、何とかなるんじゃないか精神で早速取りかかってみた。
もちろん、自分の睡眠時間を削って。
そこまでしても、甘いものは、価値ある食べ物だと思う。
リノさんに助けてもらいながら、小麦粉、卵、砂糖、バターに当たるものを見つけ出し、全部同じ分量を量って、混ぜてみた。
たぷたぷ混ぜると、もったりとした生地が出来上がる。
それを、油の塗った深めの器に流し込んで、かまどで焼く。
これで無事に焼き上がれば、おいしいケーキができるはず。
もう少しの辛抱だ。
我慢我慢。
かまどの扉をじーっと見ながら、ひたすら待った。
リノさんは、なにがおもしろいのか、かまどの中に顔を突っ込んでいる。
「熱くないんですか?」
「(あぁ、問題ない)」
かまどに上半身を突っ込んだ姿というのは、なんとも不気味だ。
どんな異常者だよ?
当の本人は、熱くないらしいし、ものすごく楽しんでいるようなので、気にしないでおこう。
それに、電気式のオーブンじゃない、温度や火かげんまでは分からない。
なので、リノさんに完全にお任せだ。
今は、まず、食べられるものとしてちゃんと焼けることを祈ろう。
かまどに向かい、手を合わせて祈る。
しばらくすると、リノさんはかまどから文字通り、顔を出した。
「(もういいようだ)」
「ほんとですか?」
「(あぁ。この目で見たんだから、間違いない)」
そもそも、幽霊の目って時点で怪しさ満点なんですが?
いやいや、突っ込んだら負けたような気がするから、何も言わないでおこう。
リノさんが大丈夫だと言っていたので、かまどの扉を開けた。
熱い空気と一緒に、甘いにおいが漂ってくる。
「あー!いいにおい!いい感じですね!」
「(だろう?私の見立てを甘く見るな)」
試しに、細い棒をぷすっと刺さしてみる。
引き抜いたが、棒に生地は付いてこない。
これは、完璧に焼けたんではないかな。
器をさかさまにすると、綺麗にぽこっと外れてくれた。
「できました!」
「(器用だものだな)」
リノさんが褒めるなんて、珍しい。
明日は、雪が降るんじゃないだろうか。
焼き上がったばかりのあつあつの生地を切り分ける。
ほんとはちゃんと冷ますべきなんだろうが、そんなの、待っていられない。
ふわふわとまではいかないが、それなりに美味しそうな出来だ。
生クリームやフルーツがあれば飾りたいところだが、無いものは仕方がないので、そのまま食べることにした。
ぼそぼそでもなく、しっとりもしていない、無難な食べものになった。
生地の風味なんてものはなく、ただ甘いだけの焼き菓子だ。
正直、とても微妙だ。
次回への課題が多く残る結果になった。
記録だけはちゃんとつけておこう。
この世界は、不便なようで不便でしかない。
リノさんにとっては日用品レベルだろうけど、私にとっては、みたことのない謎の道具だ。
彼女の説明不足の説明で、理解できるかよ!と、声を高くして文句を言いたい。
私の読解力や共感力だって、限界があるんだぞっ!
不便極まりない。
文明開化どこ行った?
未だに井戸から水をくみ上げて~とか、本当に信じられない。
そうして、ひとりぶつぶつ文句を言いながら、焼き上がったばかりのケーキを頬張っていたら、コツコツと足音が聞こえてきた。
思いっきり頬張っていたので、むぐむぐとリノさんに見てくるように訴えたが、彼女は、天井に胡坐をかいて座り、動こうとはしない。
「りのひゃん!」
「(問題ない。あれは兄の足音だ)」
ごきゅっと変な音がして、のどにケーキが詰まるかと思った。
急いで水で流し込む。
「むしろだめなやつじゃ!」
「(殺されはしないだろう)」
「人ごとだと思って!」
鉄仮面のお化けは、自分の兄に対して、異常なまでに楽観的というか、無条件で信用しているところがある。
私は、一回酷い目に遭っているから、リノさんのように割り切ることはまだ出来ない。
というか、むしろ、恐怖すら感じる。
正直、顔も見たくない。
急いでここから離れようと思い、立ちあがったら、タイミングの悪いことに、お兄さんが到着したところだった。
「……何をしている?」
「今から帰るところです」
彼は、視線を落とす。
その先には、私が焼いた、食べかけのケーキがあった。
部屋中に漂う甘い香りの発生源はこれだ。
「それは?」
「おなかがすいたので作ったものです。もう片付けますから」
「貰っても?」
「失敗作です。お兄様の口には合わないと思います」
拒否である。
これは私が初めて誰の手も借りずに作ったものである。
一欠けらだってやるものか。
体を前に出して隠すようにしたのに、リノ兄はすっと手をのばしてくる。
そして、何でもないように無言で皿の上から一切れ盗んで、口に運んだ。
「甘いな」
「そのように作りましたから。ですから失敗作だと言ったでしょう」
この野郎。
製作者の許可なしに、勝手に一切れ持っていきやがった。
しかし、リノ兄は馬鹿じゃないのか?
甘いものが食べたくて甘く作ったのに、その感想が甘いとか。
きっと馬鹿なんだろうな。
「まずくはない」
「そうですか。それはよかったですね」
彼を無視して、後片付けを始める。
リノ兄と一緒の空間になんて、居たくなかった。
しかも、恐ろしいことに二人きりだ。
また首を絞められたりしたら、今度こそ心が折れてしまう。
正直、顔も見たくない。
声も聞きたくない。
同じ空気を吸うのすら、嫌だ。
必要以上の接触はしたくない。
リノ兄には、苦手を通り越して、嫌いという感情しか持ち合わせていなかった。
向こうにも、ちゃんと伝わったのだろう。
リノ兄から距離を詰めてくることはなかった。
「今日、お前の先輩が来なかったか?」
リノ兄は、そう問うてきた。
先輩なんて知らないので、首を傾げてみる。
さぁ?そんなもんは知らん。って感じに。
そうしたら、例のあの男娼さんが先輩だと教えてくれた。
嘘でしょ?
そんな先輩は要らない。
「お前は、この件から外されることになった」
ますますわけがわからなかったので、無視していたら、リノ兄は勝手に話を始めた。
それは、リノさんが今請け負っている案件から下ろされるということだった。
私に、人は殺せない。
というか、虫も殺せない。
もちろん、暗殺者として役には立たず、処分対象にされてもおかしくなかったのだ。
今まで、頭のおかしい兄が、上への報告業務をしていたために、ここまでばれずに済んだらしい。
なかなか進展しない現状に業を煮やした依頼主は、請負主にクレームを入れ、請負主は、状況確認のために人を寄こしてきた。
その調査員というのが、例の男性で、リノさんの先輩だという。
リノ兄は、聞いてもいないのに、わざわざ説明してくれた。
「それと、すまなかったな」
リノ兄は去り際に、ぽつりと一言、謝罪の言葉を口にして帰っていった。
今頃謝るとか遅くない?
ないわー。
それで許されると思っているなら、大間違いだ。
初めに抱いたマイナスの印象は、そう簡単に覆すことなどできないのだ、
というか、リノさんも、知ってたのなら教えてくれてもいいのに。
「ここって、リノさんの関係者が多くありませんか?」
「(そうか?他は知らないからな。比べられてもわからない)」
「いや、私も他はどうなのかなんて知りませんけど」
これだけ命を狙われているのに、死なない殿下も殿下だ。
まぁ、確かに、不振がられるのもわかる気がする。
これだけの暗殺者が揃っていながら、何故生きているんだろう?
素人の私だって、不思議に思う。
殺すだの、殺されるだの、物騒な話はしたくないし、正直、関わり合いにだってなりたくない。
気になるけれど、無視に越したことはないのかもしれない。
「リノさん。この案件から外されるってことは、もうここに用はないんじゃないですか?」
「(あぁ、そうだな。しかし、すぐ離れると怪しまれる。もうしばらくはここにいることになる)」
「そうなんですね。色々大変ですね」
今回のことで、私の中で、神様の株がひそかに上がったりしたが、まだまだ信用は置けない。
その後は、リノさんの先輩に会うこともなく、比較的平和に過ごせたように思う。
「どうして先輩は、実力行使に出ないんですか?」
「(あれは、私の素行調査をしに来ただけだろう。暗殺の任を受けてはいないはずだ)」
なんでも、先輩とやらは、意外とお金にがめつい性格らしく、ただ働きはしない主義を貫いているそうだ。
依頼を受けていないから、殺しはしない。
そもそも、殿下は貴重な金づるだ。
先輩にしてみたら、生きている方が都合がいいと、そういう感じなんだそうだ。
「あ。そう言えば今さら何ですけど、依頼人は誰なんですか?」
「(さあ?)」
「さぁ、って。そんな訳ないでしょう?」
「(私の仕事は、対象をなるべく自然にみえるように始末することだからな。必要最低限の情報しか知らされていないし、知るつもりもない)」
「そういうものなんですか?」
「(あぁ。そういうものだ)」
ふーん。
そういうものなんだ。
じゃあ、リノさんは、末端に位置するのかもしれない。
実行犯は、都合が悪くなったら、切り捨てられるものだったりするし。
あれ?
だとしたら、もしかして、私って、ものすごく危ない立場にいるんじゃなかろうか?
心中、穏やかではいられそうにもない。
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