第11話 神出鬼没で

廊下で、知らない人とすれ違った。

ここで働く人は少ないので、顔は大体覚えたはずだったが、その人は、全く初めて見る人だった。

というか、あの人って、初日に殿下と一緒にベッドに入っていた、あの男性ではありませんこと?!


「!!」


気付いた瞬間、思わず声が出そうになったので、とっさに両手で口をふさぐ。

やっぱりそうだ!

この人、初日に殿下と一緒に寝ていた人で、間違いない。

あれ以来、顔を合わせたことがなかったので、デリバリー的な人なんだろうか。

思わず視線をそらすと、向こうはむしろこっちをじろじろと見てくる。

ものすごく気まずくて、私はとっさに使われていない部屋に入った。

ここには空気の入れ替えをしに来たんですよ、と言わんばかりによそよそしく窓を開けてみる。


「(どうした?また部屋を間違えたのか?)」

「ち、違いますよ。ほら、さっき廊下ですれ違ったあの人!あれって、あの人ですよね!」


リノさんは、壁を抜けて廊下へ行き、顔を確認してきたらしい。


「(あれがどうした?)」

「いや、なんかきまずくないですか?」

「(どうして?)」

「だって、裸見ちゃってるし。殿下と、その、熱い夜を過ごされたかと思うと、ものすごく、きまずいです」


リノさんは、大きなため息を吐く。


「(殿下とは普通に接しているのにか?)」

「普通じゃないですよ!未だに視界に入ってくると、ドキッとしますから!」


ぎゃあぎゃあと、リノさんと二人でわめいていたら、がちゃりとドアが開いた。

思わず、カーテンを掴み、サボってませんよアピールをする。

さっと振り向くと、さっきの男性が後ろ手でドアを閉めるところだった。


「どうかいたしましたか?」


平静を装って、話しかけてみる。

正直、心臓はバクバクだ。

なんで入ってきたんだよ。


「特に用事はないのだが、話し声が聞こえたものでね」

「気のせいでしょう。見ての通り、ここには私しかいません。こちらの御部屋をお使いになりますか?すぐに準備をいたします」

「いいや、その必要はない。邪魔してすまなかった」


黒髪のがたいのいい男性は、すぐに部屋を出て行ってくれた。


「っはー!……気をつけよう」


男性が出て行くと、緊張感が一気に消えて、脱力感に襲われた。

ほんと、気をつけなくちゃ。

リノさんの姿は私にしか見えないから、他の人には盛大な独り言を言っているようにしか見えないことを忘れてはいけない。


「(すまない。少し離れる)」


リノさんはそう言って、壁を抜けてどこかに行ってしまった。

ふっと肩の力が向けて、ぐったりと窓枠に寄り掛かった。


「ほんとに色々気をつけよう」


ため息をつきながら、窓を閉めて、カーテンを引き、これで完璧だと指差し確認をして部屋を出ようと、ノブに手をかけたときだった。

リノさんが壁をすり抜けて戻って来た。


「(待て。しばらくここで時間をつぶせ)」


リノさんは、声を出すなと、口元に人差し指を立てて訴えてくる。

私は首を傾けて、なぜ?とアピールしてみたが、リノさんには通じなかった。

この人と意志疎通を図るのは、ものすごく難易度が高い。


「(こっちだ。ここから外に出ろ)」


リノさんは、窓の方へ飛んで行き、カーテンもガラスも突き抜けて外に出ていく。

だーかーらー、私にそんな芸当は無理なんだって。

カーテンをそっと開けて、窓の鍵を外す。

リノさんは、上半身だけ部屋の中に入れて、早くしろと訴えてくる。


「(ここから下に出て、屋敷に戻れば問題ない。案内はしてやる)」

「こ、ここ、2階ですよ?普通にそこから出ればいいじゃないですか」

「(死にたくなかったら言うことを聞け)」


ひえっ。

それ、殺人鬼の上等文句ですよ!

なるべく小さな声で訴えてみたものの、しーっと、静かにするように注意された。


「(壁のヘリを辿れ。そのまま下に降りてこい)」


リノさんが言う、ヘリ、というのは、外壁の装飾のことだ。

確かに、都合よくでこぼこになってはいるが、ぎりぎり人差し指が引っかかる程度のやつですよ、これ。

指で体重支えろとか、どこのアスリートだよ。


「無理ですよ、こんなの!」

「(簡単だろう?)」


リノさんは、本気で言っている。

というか、なぜできないんだと不思議がっている。

ほんとに出来るの?

私に?


「(早くしろ。今ならまだ間に合う)」

「ううううう。怖いけどアスレチックだと思えば。これは遊び、娯楽、楽しいレクリエーション」


呪文のように言い聞かせ、窓枠に足を賭け、身をのりだしてみる。

幸運なことに、通行人の姿は見当たらない。

高さ的には2階程度だから、落ちても死なないだろう。

ましてや、すぐ下は植え込みだ。

なにかあっても、たぶん大丈夫。

根拠のない自身で、無理矢理納得した振りをして勇気を出す。

窓枠を乗り越えて、外に出た。

リノさんが言う、壁の装飾に足をかける。

あ、意外といけるかも、これ。


「(カーテンと窓を元通りにしろ)」

「そういうことは早く言ってください!」


手を伸ばしてカーテンを直し、窓を閉める。

閉める?

ど、どこにつかまればいいの?


「(ここに手を置け)」


リノさんが指差す場所は、指をひっかけられる程度の出っ張りしかない。

とりあえず、指をそこにひっかける。

あ、なんかいけるかも。

そうして、ゆっくりと窓を閉めた。

これで完璧だ。


「(早くしろ)」


よし。後は、はしごの要領で降りるだけだ。

そうして、トカゲみたいに壁に張り付いて右足を下ろした時だった。


「うそっ!」


足を下ろすことにばかり気が取られて、左足がおざなりになってしまった。

滑ったと思った時には、もう遅かった。

体を支えようと手に力を入れた瞬間、壁の装飾がポロリと外れた。

リノさんが驚いたように息を飲む音が聞こえ、私は思わず目をつぶった。


「った~!!……あれ?思ったほど、痛くない?」


落ちたとき、背中をぶったらしいが、思ったよりも痛くない。

ぎゅっとつぶった目を開けると、目の前に、神様の顔があった。


「なっ!!」

「危ないですねー。ぎりぎりで間に合ってよかったです」

「あ、あの」

「あなたも無茶がすぎます。とにかく、今は移動しましょうか」


神様は、私を横抱きにしたまま、早足で歩きだす。


「ありがとうございます。助かりました」

「お尻をぶたずに済んでよかったですねぇ」

「え、えぇ、そうですね」


はははは~、なんて、乾いた笑いしか出てこなかった。

ほんとに助かりました。

というか、助けるなら、もっと早くに何とかしてほしかったんですけど!

なんて、文句を飲みこんで大人しく運ばれて、誰もいない安全な場所に来ると、ゆっくり下ろしてくれた。


「無事で何よりです」

「ほんとに助かりました。ほんとにありがとうございます」


自分が思う以上に怖かったんだと思う。

少しだけ指先が震えていたので、隠すように両手を握りこんだ。


「(練習が足りない。私なら、もっとうまくできた)」

「ごめんなさい。精進します」


リノさんは、相変わらず厳しい。

少し前までただの学生だったんだから、少しぐらい手加減してほしいのに、彼女はそんなに優しくない。

優しい言葉の一つくらい、かけてくれたってバチは当たらないと思うんだけどなぁ。

私は、褒めて伸びるタイプの子なんだよ。


「喧嘩はよくないですよ」

「(こんなものは喧嘩の範疇にも入らん)」

「あなたにとってはそうでしょうけどねぇ。おやおや、大丈夫ですか?」


きっと、酷い顔をしていたんだと思う。

神様は、そっとやさしく私の背中をさすってくれた。


「怖かったですねぇ」

「いや、まぁ、はい。大丈夫ですから」

「(ずいぶんと優しいんだな)」

「今ここでリタイアされたら、約束が果たせませんからねぇ」

「そ、そうですよね」


まぁ、理由はともあれ、慰めてくれたことに変わりはない。

神様って、実は優しい神様なのかも。

ほんの少しだけ、見直したかも。

ただし、大いなる不信感まではぬぐえなかったけれど。


「どうぞ」


神様から渡されたのは、温かいお茶だった。

どこから出したんだ?

ほんとに謎だ。


「これを飲んだら戻りましょうか」


見慣れたうすーい笑顔に、今はちょっとだけ安心できる自分が怖い。

きっと、慣れてしまったんだろう。


「あの方には気をつけてくださいね」

「どう気をつければいいんでしょう?」

「そうですねぇ。私の方でも対処を施しておきますが、一人になるのは避けてください」

「頑張ります」

「その意気です」


そうして、ぬるめのお茶を一気に飲み干して、カップを返すと、まばたきの間に、いなくなってしまった。


「ほんとに不思議な神様だなぁ」

「(私の体に怪我がなくて何よりだ)」

「そうですねー」


こんなことがあったのに、リノさんは、どこまでもリノさんだった。

少しは、私の心配をしてくれてもいいのにっ!

しかし、神様にまで避けろと言われる人物って、一体、何?

逆に怖いんですけど!




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