第8話 まさかの身内

神様と別れて、すでに一週間になる。

忙しいのか、面倒なのかは知らないが、ここまで放置するってどういうことなのかと問い詰めてみたい気はする。

しかし、その相手は今、どこで何をしているか見当もつかない。

というか、わかりたくもない。


リノさんの体を借りているので、仕方なく、いつも通り、彼女の日常を代行していた。

起床時間は日の出前

リノさんから、どんな不測の事態にも動じず、対応は完璧を求められたが、無理な相談だ。

朝はゆっくり寝ていたいもん。

まず、そこからして無理だ。

朝からしゃきっとしろなんて、無理。

日々の業務内容にも疑問が残る。

掃除と雑用の日々にも、疲れた。

休日は月に2度。

ブラックもいいところだろ、これ。

しかも、それは鉄仮面である彼女の務めであって、私の仕事ではない。

私の仕事ではないのだが、体を貸してもらっているため、私がしなければならない。

肉体を行使しての物理的な作業は私が行い、やり方のフォローを鉄仮面に分担してもらった。

そもそも、ここの世界の常識が私にはない。

文字の読み書きすらままならないのだ。

しかし、請け負った以上、ボロが出たら大変だからと、頑張っては見たものの、私は自分が思うよりもうまくやれてはいない。

間違いなく。

日本人だもの。

他人に対しては愛想良く、挨拶を忘れずに、適当に笑って、さも興味がありますって感じを装い相槌を打ってしまう。

そのどれもが、鉄仮面ちゃんが今までしてこなかった類の動作に含まれているらしく、そのたびに怪訝な顔をされると、心にトゲが刺さるようだ。

他人に対して冷たく接しろなんて、生粋のジャパニーズとして生まれた私には、荷が重い。

むしろ、罪悪感すら感じてしまう。

すると、不振がられるという、悪循環に陥ってしまい、どうしていいか分からなくなったところに、事件は起きた。


「お前は誰だ?妹はどこにいる?」


突如、風のように現れた鎧姿の男性に、壁に押し付けられた。


「い、いもうと?」


首元を掴まれると、締め上げられるようで、苦しくて苦しくてたまらなかった。

腕を叩いても、力が緩む気配はない。


「(すまん。これは私の兄だ)」


突然の兄の登場に、驚いて鉄仮面の方を向くと、ぐいと顎を持たれ、無理矢理、顔の向きを変えられた。


「もう一度聞く。お前は誰だ」


お兄さんがいらっしゃるとか聞いてないんですけど!

しかも、彼はめちゃくちゃ怒っている。

めちゃくちゃ怖い。

私は何も悪いことはしていないのに。

怖くて怖くて、涙が溢れる。


「(私の言うとおりに話せ)」


鉄仮面ちゃんは、あれこれ指示してくるけど、うまく言葉にならない。

声は震えるし、我慢できなくて涙が溢れたけれど、彼は手を離してくれなかった。

こんなに怖いと思った事はない。

いじめられても、ここまで直接的にやられたことはなかった。

ふと、視線が外れたかと思うと、唐突に手が離れ、そのままどこかへ行ってしまった。

いきなりだったので、私はそのまま地面に座り込んだ。

なにが起きたのかわからなくて、涙も押さえられずに、溢れるままに声を殺して泣いた。

泣いて泣いて、馬鹿みたいに泣いたと思う。

なんでこんなことになったんだろう。

私は何も悪いことなんかしていないのに。

そりゃ、信号無視とかしたかもしれないし、悪口だって言ったかもしれない。

でも、そんな些細なことで、ここまでされる道理はないはずだ。

考えなんかまとまるはずもなくて、でも、自分を肯定することもできなくて。


「(すまない。兄は少々、強引なところがあるのだ)」

「もういやだ。おうちかえりたい」

「(すまぬ)」

「あったかいご飯が食べたい!ケーキがたべたい!カフェオレとか肉まんとか唐揚げとかいっぱい食べたい!」

「(すまぬ)」

「チョコレートだって食べたい。お母さんのご飯が食べたい」

「(すまぬ)」


謝ってばかりの鉄仮面に向かって、思いの丈を全部ぶつけた。

あったかい毛布にくるまれたい。

モフモフのぬいぐるみを抱きしめたい。

誰かに慰めてもらいたい。

もういいよ、って、頑張ったねって言ってもらいたい。

目の前の鉄仮面は、相変わらずの無表情のまま、顔を洗ってこいと言うばかりで、慰めの言葉一つかけてはくれなかった。

もっと優しくしてほしいのに。

どうして、リノさんはわかってくれないんだろう。

しばらくすると涙も治まり、酷い顔のままで日々の作業をこなそうと努力したが、もちろん、上手くいくはずもない。

鉄仮面から不審者に無事昇格した私は、なぜか休暇を与えられたのだ。

あまりにも普段と様子が違うから、極度の疲労が原因だと思われたらしい。

そう判断されるほど、鉄仮面ちゃんは仕事の鬼だったそうだ。

残念ながら、私には真似できそうにもない。


「(ありえない!今まで気づいてきた地位を、信頼をどぶに捨てるのと一緒だ!)」

「知りませんよ。そんなこと私に言われても困ります」


開き直ってしまえば、怖いものなんてなかった。

鉄仮面ちゃんは、口うるさいだけで、見た目だって怖くないし、ちゃんと足もある。

それに、優しくはないが世話焼きらしく、口は悪いが何かと面倒を見てくれる。

この世界の常識について教えてくれたり、文字の読み書きだって教えてくれた。

どうせ異世界にきたのなら、チート能力の一つや二つや三つや四つくらい欲しかったなぁ。

そう愚痴をもらしたら、私は強いぞ!と自慢された。

いやね。

あなたは強くても、今、あなたの体に入っているのは、今まで文化部一辺倒だった、運動オンチの女子高生なんですよ。

体が覚えているとか、そういう類のチートは今まで発揮されませんでしたけど?

そう言うと、複雑な顔をする。

曰く、体は私なのだから、使い方さえ覚えれば同じように動けるはずだ、と。


「むりだと思います」

「(やれ!やらねば、殺されるだけだ)」

「……まじで?」

「(あぁ。今回は見逃されたが、次はないだろう」

「もしかして、お兄さんは同業者の方ですか?」

「(あぁ、そうだが?)」


ひえっ。

当然のように頷き、疑問を疑問で返されるとは思っていなかった。

いやいやいや。

殿下、よく生きてますね。

暗殺者二人に命を狙われているのに、それを感じさせないチャラさがすごい。

殿下は恐ろしく運がいいのか、リノさんとそのお兄さんが無能なのかはさておき。

確認しておかなければならない事項が増えた。


「お兄さんのここでの仕事は?」

「(兵士だ。守備を担っている)」

「兵士?」


聞き返す私の顔を、リノさんは心底呆れたような目で見降ろしてきた。


「し、仕方ないじゃないですか!私の住んでいた世界は、平和な感じだったんですから!」


少しは配慮してください。と言い返すと、リノさんはゆっくりと降りてきて、私の向かいに座った。


「(ここは、国境に位置している。隣の国とは同盟を結んではいるが、そんなもの紙の上での話だ。追われた犯罪者が真っ先に逃げ込んでくるのがここだ。国境を越えてしまえば、違う国だからな。こっちの法律で裁けないことをあいつらは知っているんだ)」

「ここって、そんな危ないとこなんですか!?」

「(あぁ。殿下が来てからは尚更にな)」


驚きのあまり、開いた口がふさがらなかった。


「(あれでも、一応は王族だからな。それにあの顔だ。売ればいい金になる)」

「……そんな物語みたいなことが実際にあるなんて知りませんでした」

「(お前は馬鹿か?)」


リノさんは、また天井に舞い上がっていった。

ふわふわと空を飛び回るのは楽しいらしい。


「(お前も対象にされているんだからな)」

「はい??」


対象とは?

一体、何の?

首を傾げていると、リノさんはさかさまになって胸を張る。


「(私を売れば、いい金になる)」

「はぁあああ??!!!なっ、なんで?!」

「(私は、殿下の一番のお気に入りだからだ)」

「な、な、な、なんですかそれ!最初に、恋愛沙汰はないって言ってたじゃないですか!」

「(私は強いからな。傭兵として、役立っているんだ)」

「暗殺対象の傭兵って、なに?意味が分からないんですけど」


こんがらがってきた。

リノさんの仕事は、殿下の暗殺のはずだ。

その殿下から、自身の身を守る傭兵として一目置かれているとか。

わけわからん。

思わず、頭を抱えてしまった。


「あの、リノさんの仕事って、一体何なんですか?」

「(暗殺だが?)」

「殿下の?」

「(そうだ)」

「敵の敵は味方って言葉、知ってますか?」

「(敵の敵は敵だ。そもそも、私は自分しか信じていない)」


お、おう。

そうですか。

それは、立派な信念ですね。


「お兄さんのことは、どのようにお考えなのでしょうか?」

「(兄は兄でしかない。あれは、少々過保護でな。私も困っているんだ)」

「左様ですか」


過保護って。

その一言で片づけていいの?

私、殺されそうになったんですけど?

めちゃくちゃ怖かったんですけど!


「(死にたくなかったら、私の体を使いこなして見せろ)」

「は、はい。精一杯、努力させていただきます」


身の危険を感じた私は、あくまで自分の身を守るためという名目で、仕方なくトレーニングを始めたのだが。

実際に体を動かして見ると、以外にも楽しかった。

体に染みついた経験は、肉体の使用者が違っても変わらないらしい。

力もある。

運動神経もある。

何より、体が軽い。

足も速い。

運動神経ゼロの私にとって、憧れのような体験をしているに等しかった。


「リノさんって、ほんとはすごかったんですね」

「(私はこんなものじゃないぞ)」


褒めてあげたら、リノさんはまんざらでもなさそうだった。

やっぱり、褒められるって大事だよねぇ。



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