犯人の小さなミス
安茂里茂
前編
「おーよく来たな」
インターホンを押して、三秒くらいしてから扉が開いた。
「ああ……お邪魔します」
中から出てきた男に案内され、部屋の中に入る。
一人で暮らしているワンルームのマンションにしては、結構広い部類のような気がする。
「まあ、座ってくれ。準備するから」
男はキッチンへと入り、酒やつまみを準備する。俺は言われた通りダイニングルームにあるテーブルに着く。
五分後、ビールからワイン、ウイスキーやらたくさんの種類の酒を持って男は俺の前に座った。
「いや~俺ん家に人が来るのはお前が初めてだな」
はは、とヤニで汚れた歯を見せながら男は笑う。
「そうか。……たくさん酒を出すのは良いが、俺は飲めないからな」
愛想よく返答しているつもりだが、うまくできているかは自信がない。
「ああ、分かってるって。お茶でいいか?」
そう言いながら男は自分の分と俺の分の飲み物を注ぐ。
形ばかりの乾杯をし、コップに注がれたお茶を飲む。
気分良く酒を飲んでいる男を前にして、緊張している自分に気がついた。
まあ、ある程度の緊張は必要かもしれない。失敗しないためにも。
俺は今日、目の前にいる男を殺そうとしているのだから。
いつからだろうか。目の前の男を殺そうと思ったのは。
きっかけは大したことじゃなかったと思う。そこそこ長い付き合いがあり、その中で殺意が熟成されていった感じだろうか。
もちろん、目の前の男は俺のそんな殺意なんかまったく気づく様子はない。それに気づくような奴だったら、そもそも殺そうなんて思わないだろう。
一時間後。
男は予想通り酒をたらふく飲み、眠りについた。よっぽどのことがない限り目を覚まさないのも分かっている。
さて、ここからが本番だ。
ありきたりかもしれないが、事故死に見せかけて殺そうと考えている。
酒を飲んで酔ったまま風呂に入り、溺死……という筋書きだ。
というわけで、意識を失った男の服を脱がす。意識を失っている人間を風呂場に移動させたり、服を脱がすのには骨が折れた。引きずって移動させることも考えたが、それだと何か残りそうだったからやめた。俺の方が体格が良くて助かった。
お湯をためた湯舟にこれまた苦労して入れた。しかし、男は全く目を覚ます気配はない。
大きく息をつき、男の頭をお湯の中に押し込む。酔っているとはいえ、息苦しくなると抵抗するかと思っていたが、一分を過ぎても全く動く気配はない。
念のため、五分ほど頭を沈め続け、手を離した。男はお湯の中で沈んだままだ。
「よし……」
そう小さく呟くと、次の行動へ移す。
風呂場内に残っているかもしれない自分の痕跡を消す。男が意識を失ってからは手袋をしているため、指紋の心配はないが念入りにしておく。もちろん、その際に男が風呂場で事故死したという状況と矛盾がないように、つまり、蛇口や風呂場の扉に男の指紋をつけておくというようなことは忘れずにしておく。
風呂場内での作業を終えると、今度は脱衣所に場所を移す。さっき脱がせた服を洗濯かごの中に入れる。パンツにズボン、Tシャツ、トレーナーと放り込んでおく。酔っているという設定だから、たたんで入れる必要はないが、ある程度の理性は残っているということで、洗濯かごの中にきちんと入れておいた方がそれっぽいだろう。
脱衣所内も不自然な状況にならないように、自分の痕跡を丁寧に消していく。
次はダイニングルームに移る。テーブルの上のコップや食べ物を、一人で晩酌していたような状況にする。どうしても片付けなくてはいけない食器類はきれいに洗い、食器棚の中に戻す。もちろん、水滴はきれいに拭きとっておくし、間違った場所に片付けるようなミスはしない。キッチンにも入ったから、キッチンもきれいにしておく。
一通り証拠隠滅を終え、玄関の前に立つ。
部屋を出ていく前にもう一度おさらいしておく。男が意識を失ってからは指紋が残らないように手袋をしていた。そして、それまでの行動も、玄関を入ってテーブルに着き、飲み食いしただけだ。家の中にあるものにはほとんど手を触れていない。
そして、テーブルやいす、ドアノブ等も丁寧にきれいにしておいた。まあ、警察が調べれば、家主である男の指紋も消えているわけだから、不自然ではあるだろうが、そもそも事件として処理するかどうかも分からないし、もし仮に指紋を調べたとして、男が気まぐれに掃除をした可能性も否定できないはずだ。
一応男が掃除をしたかもしれない道具はあるし、不審に思っても、それが俺の犯行につながることはないだろう。
また、自分の痕跡を消すことに執着しすぎて、事故死にしては明らかにおかしい痕跡を残すようなこともしてないはずだ。
男は酔って風呂に入って死んだという状況にしたいのだから、男が酒類を飲み食いした状況はしっかりと残している。風呂場に入っているのだから、ドアや蛇口に男の指紋もしっかり残している。
まあ、詳しく調べれば、持ち方が変、とか分かるかもしれないが、それも積極的なミスにはならないだろう。別に男の利き腕を間違っているというわけでもないし。
あまり長居するのもあれだし、そろそろ現場を後にする。
夜遅くで、目撃されにくい時間帯を選んでいる。万が一見られてもいいように、マスクと帽子で軽い変装はしている。そして、男のマンションに監視カメラの類がないことも確認済みだ。
静かに扉を閉める。
扉の内側のドアノブも外側のドアノブも忘れずに綺麗にして俺は帰宅した。
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