第10話 時間を大事にします!
とにかく、否定されていた。それは、もしかしたら、私がおかしいからではないか? もしかしたら、かつて、普通に接してくれた人たちも、憐みや、我慢で接していたのではないか? あの時のあれはそういうことだったのではないか? 他の人とは違う狂ったものがあって、それで排除されているのではないか? 私が悪いからではないか? 死ぬか? いや、生き残って後遺症が残るのが怖い。安楽死が羨ましい。突然死が羨ましい。痛いのは嫌だ。死ねない。生きるか? 私が生きることは許されているのか? 私は全ての敵なのではないか? どこに行っても同じ目に合わないか? 次になんとか進んでも、繰り返しにならないか? だったらいっそ……。調子の良いときにそういう本を読もうにも、バーナム効果で全て自分が悪く見えてくる。こちらの思いは言い訳、庇い、ペンディング……。はっきりとした悪でなくぼかして遠回しに殺されるから、信頼できるはずの人たちから殺されるから、自分がおかしいのではないか、全て間違っているのではないか、とどんどん追い込まれていった。
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大学生活は華やかだ。奴らから解放されたこと、隣に沙那恵さんがいることもあって非常に充実している。前回もこの時期は楽しかった。呪縛されていても何だかんだ楽しいは楽しかった、と思う。多少は好きなことができていたから。
家の事は一応当番を決めてあるが、2人とも一人暮らしをしていたから家事に慣れているし、むしろお互いにやりたい方だ。お互いに手助けをしたい。そこに損得はない。何をしていても幸せだ。居間でお互いの視線が合って微笑み合うことがある。少し照れるが、幸せとはこういうことを言うのだと思う。
講義は特に問題ない。基礎のは出席しなくても良い。内容を理解して試験で良い成績を取るだけだ。役に立つ講義以外の時間は図書館やPCルームで調べ物と仕事をしている。前回の記憶と高校卒業までの学習分があるから、こういう時間を作ることができている。同学年の顔ぶれも懐かしい。やはり何だかんだ大学生活は楽しかったのだと思う。ただ今回は、前回とは別のグループと付き合っている。EWとGKのあの裏切り方は今でも憶えている。
大学の図書館には専門書が沢山あり、幅広い知識を深く学習することができる。他の大学から本を取り寄せることも可能だ。ただし、足が付くから復讐のための調べ物には利用できない。電車で他の地区の図書館に行ったり、Torを使ったり、後は足で情報を収集している。家の近所にも図書館はあるが、そちらは蔵書よりも落ち着いた空間が目的だ。入り口にシトラス系のアロマが炊いてあって、入る度に気分が良くなる。沙那恵さんと気軽にデートに行くことがある。
それから今回はサークルに入ることにした。色々と新歓に出て野外活動サークルに決めた。活動自体は緩く、たまに集団でまとまってどこか自然の多い所に行き、めいめいが釣りや登山、サイクリングに野鳥観察など、和気藹々とやっている。他大学の友達や彼女を連れてきてもよいという自由さが大学らしくて、良い。仲間に教えてもらって遊んだり、沙那恵さんと子供の頃にはできなかったことをやったりしている。
沙那恵さんも大学生活と都会生活を少し戸惑いつつも楽しんでくれている。嬉しい。大学の講義も熱心に受けている。サークルに入るつもりはなかったそうだが、せっかくだからと勧めたら、手芸サークルを選んだ。ほんわかした空気の中のんびりやっているらしい。今はタティングレースを練習している。楽しいし売ることもできる、としたり顔になっていた沙那恵さんは可愛かった。あと、手元で小さな作業をしているときの、小動物のような姿も可愛い。好き。
仕事はほどほどだ。PCを使ったものを引き続き行っている。プログラミングやホームページの作成などだ。単価も悪くはないし、様々な企業との伝手を作ることができるのが強みだ。沙那恵さんは家庭教師をしている。シングルマザーのところの女子中学生だという。2人とも上手く、人間らしく生きることを謳歌している。
*
夏前には学園祭があった。サークルの出し物はグッズや写真の展示くらいだった。クラスの出し物は焼鳥屋だった。私は前日までの準備を手伝い、当日のシフトからは外れた。協力してイベント事をやるのはやはり楽しい。高校と違って、自分だけが得をしようとする人はあまりいない。それで排他されたときのリスクもあるだろうが。そんなわけで、学園祭当日は沙那恵さんと色々なクラスやサークルの展示や出店を見学した。
「沙那恵さん、あの奇術研究会のショーを見ませんか? 本格的なんだって」
「はい。どんなのが見られるか楽しみだね」
少し高めの席を探して座るとショーはすぐに始まった。タネはとうに割れていてる。色々な細工に応用しているからだ。だが、それを突っ込むのは野暮だ。手品は手先の見事さを見て驚くものだと思う。沙那恵さんの無邪気に驚いている横顔が少女じみていて愛おしかった。
「楽しかったね。最後の手品は本当にすごかった」
「うん、楽しかったね。でもね、○○さんと一緒だったからもっと楽しかったんだよ」
こういうのが不意に来るからたまらない。分かっていてもあの声で言われると幸せになれる。
沙那恵さんの大学の学園祭は、招待券がないと入れないものだったからか小規模だった。手芸サークルの展示を一緒に見に行ったときに、沙那恵さんが同級生に「主人です」と紹介していた。多分一瞬変なことを考えた人がいたようで、顔が赤くなっていた。まあ、沙那恵さんは私の妻だ。
*
夏休みになった。大学の夏休みは長い。2人とも問題なく試験を終わらせていたから自由だった。だから、新婚旅行も兼ねて日本の南の方を巡った。それくらいの余裕は捻出した。所々貧乏旅行になってしまったが、沙那恵さんは「2人でいればそれで幸せ」と言ってくれた。2人とも旅行は一緒に行ったのと修学旅行くらいだったから、今まで失った分を取り戻すように全てを満喫した。このために私のスケジュールは極めてタイトになっていた。高校時代から、いや、もっと前から事前に準備していたことが功を奏して何とか遣り繰りできた。
有名な自然公園に行ったり、博物館や美術館、水族館に動物園、神社……。地方の料理に舌鼓を打ち、時にアドリブを挟んで興味のある所に寄り道したり……。電車の窓から見える海や島々、山中の光景はただ眺めているだけでも飽きなかった。特に2人とも海を見るのが好きだ。車の免許は一発試験で取っていたから、駅からレンタカーで移動したり、時にはレンタルサイクルでポタリングしたり、2人でゆっくりと過ごした。
ある風の心地良い日、ボートで湖の上に出た。夏にしては低めの気温で空が澄んでいた。平日ということもあって人は少なく、2人だけでそこに浮いているようだった。
「こうやって、何もしないのもいいね。○○はちょっと忙しそうだったから。たまには休んでね」
優しい声で、年下に話すように。慈愛に満ちた目が見つめている。沙那恵さんは二十歳になったからだろうか、いや、元からか、時々お姉さんごっこをする。でも、これはコミュニケーション、ロールプレイだ。お互いに分かってやっている。
「そうだね」
「ねえ、天気もいいから寝たら? こういうのやってみたかったの」
憧れもあると思うが、休ませてくれようとしているのだとも思う。
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「じゃあ、そうさせてもらうよ」
リュックサックを枕にしてボートの上で横になる。目を閉じると鳥や蝉の声、風の音が一層クリアに聴こえてくる。沙那恵さんは本を読んでいるようで、時折頁をめくる音が混ざる。落ち着く香りが水や草木のものと溶け合っている。世界が、私達が生きていることを祝福してくれているようだ。
私達が幸福を維持するには一層の努力が要る。真っ当なスタートを切れていないからだ。そうした努力をすることを許される尺度は、要は、まともな人生、まともな周囲にどれだけ恵まれているのかだと思う。手助けがあれば、成功体験が積み重なって、上手くいき易い、と思う。許されていなかった人は分かってはいても、脳がそう機能しにくいから、難しい。
だから、というわけではないが奴らに復讐する準備は怠らない。前回の人生の悔いを残さないことは私にとって平穏に繋がる。生存競争だ。顔や仕草が気に入らないからと的にすることが彼らにとって正しいわけだから、自身の利のために的にすることが彼らにとって正しいわけだから、同じことだ。どうして、隅でひっそりと生きることさえ妨害しようと思ったのだろうか。
春休みには残りの半分、日本の北の方を回った。外は寒かったが、沙那恵さんがいるだけで暖かかった。夏と同じような所を巡ったり、こたつの中で雪景色を見ていたり、小さな雪だるまを作ったり、美味しい物を食べたりと存分に堪能した。2人とも雪を見るのは好きだ。
*
さて、2年生になり、米国に留学した。単位交換制度がある協定校の総合大学だ。留学にずっと憧れていた。前回は金がなかった。下地も知識もなかった。自分にはできない、どうせ上手くいかないと呪いにかかっていて行動に移せなかった。何よりも男親や女親に妨害されるのは目に見えていた。心配しているのではなくて、何かあったら自分たちの手間や金がかかるからだ。血は水よりも濃い、という邪悪な言葉があるが、結局それを信じることができるような幸せな家庭の特権なのだろう。もう、出だしが違うのだ。
沙那恵さんも本格的な方ではないが、無事同じ大学に留学できた。お互いに一緒にいたかったし、沙那恵さんに世界を見てもらいたかった。総合大学だからなせたことだ。5年ぶりに同じ学校に通うことができている。物価が高めだが治安がよく、近くに大抵のものがそろっている。
旅費や家賃、生活費をどうするのかは前から考えていた。仕事の伝手でパトロンを探し、大学の方からもいくらか貰って賄うことができた。世界中を探せば酔狂な金持ちはいるし、成績は抜群のものを修めたからだ。こういう目標を立てて行動に移すことができるのは精神的支柱があるからで、これをへし折られ、伸ばすことを揶揄されるような環境ではなし得ることができなかっただろう。できる人はレアケースで、万人に当てはまらない。今回挑戦に繋げることができたのは、小さい頃から報酬系を働かせていたためだ。勿論沙那恵さんがいてくれたからでもある。
留学してしばらく経ったが、米国の講義はとにかく忙しく、楽しい。周りもやる気に満ちていて、素晴らしい環境だ。総合大学だから全く専門外の話も聴講できる。単語が分からなかったりするが、それでも面白い。全てに興味が尽きない。沙那恵さんは英語の発音が段々流暢になっている。英語の沙那恵さんの声もいい。好き。変に気取った発音をするできるアピールの奴とは大違いだ。もう私よりも語彙力があるし、言葉選びも上手い。活き活きとしているのを見るとここまでやってよかったとしみじみと思う。
大学には世界中から人がやってきているので、あらゆるものが違う。国の歴史も、生活も、物価も、人種も違う。別荘を親がいくつも持っている金持ちもいれば、休職してきているビジネスマンもいれば、近くだから来ている人もいれば、国を背負って来ている留学生もいる。相手の価値観を尊重しながら切磋琢磨している。世界中の人と生のコネクションができるのは実に良い収穫だ。
仕事をしている暇はなかった。代わりに、と言っては何だが時間を何とか捻出して、教会がやっている孤児院や老人ホームにボランティアをしに行った。人に優しくすることは善いことだ。その見返りに色々な話を聞かせてくれた。視点も時代も違う話には刺激された。
別にそれだけをやっていたわけではない。沙那恵さんと二人で買い物に出かけたり、遠出をしたりもした。有名な所ではないがどれも新鮮だった。日本にない景観は圧倒的で神秘的だし、博物館で日本の物が展示されていると郷愁を感じた。
それに、米国には本当に多様なものがある。クスリ、銃、浮浪者、格差、差別……。そういったものを見ることも非常に良い勉強になるのだ。体験は決してしなかったが。
*
日本には冬前に戻った。久々の家はやはり良かった。米国でも沙那恵さんと一緒に住んでいたけれども、生活感が懐かしかった。大学で仲間と昼食を食べてたわいもない話をするのも懐かしかった。EWやGKも普段は話をしないのにしれっと仲が良い風に近寄ってきたから、障らない程度に相手にした。
あのスケジュールから逃れられたのも少し嬉しかった。実は結構きつかった。たまに分刻み未満だったことがあったような気もする。沙那恵さんに相当生活をフォローしてもらった。自分のスペックはそんなに高くない。けれども、一生に一度くらい多忙な期間を送ってみたかった。
また、この間研究室決めがあった。前回とは違う所に入った。当然だ。こちらの方が研究資金も業績も多い。留学したこともそうだけれども、親と妹を殺しておいた後からはあの激痛に襲われることがなくなっている。まあ、別に、だからと言って、前の研究室であったことを許したわけではないからな。今回だけで言えば、何だろうか、視界に入ったら前回のことを思い出して嫌になるから、今後何かで付き合いがあったら不快だから、始末しておくというくらいか。彼らのやったことと何も変わらない。ちなみに前の研究室にはGKが入った。というよりそうなるように仕向けた。奴が興味を持っているという噂を流したら、そこの先輩に絡まれれて流れで入ってしまった。
それから、二十歳になったのでお酒を飲み始めた。沙那恵さんもそれまで飲まずにわざわざ私に合わせてくれた。初めての飲酒、ということで高級な日本酒買って熱燗で飲んだ。十数年ぶりに飲んだ酒は本当に旨かった。
「ああ、沁みる……」
「ふふっ、おじさんみたい。でも、美味しいね。大学の友達が言っていたことが分かったような気がする」
「そうだね、美味しい。今度はビールやワインも試してみない?」
「うん。楽しみ」
沙那恵さんの目元がトロンとしている。普段よりも艶っぽく見える。きれい。好き。私もこの体では初めてだから酔いが回っている。
「沙那恵さん、飲みすぎはダメだよ」
「うん、○○。ふふ、幸せです」
*
3年生になった。講義は問題ない。研究室のラボワークも、経験があるから恙なく行えている。ノウハウが一部違うから何でも前回のままとはいかないが。専門の知識も下手な博士課程よりは蓄えていると思う。しかし、大事なことは目立たないことだ。教授や准教授の前で、何か問われたときだけにする。適当に無知を演じておいた方が他の人の攻撃の的にならずに済む。
それに、これで夜中に大学内を歩いていても怪しまれなくなった。監視カメラが付いている場所も把握している。前の研究室の、誰が何時頃いるかや鍵の隠し場所も憶えている。工作は容易い。念のために再度下調べ済みだ。
仕事の方は量よりも質で稼げるようになってきた。下積みのおかげだ。始めた株も今のところ順調だ。沙那恵さんと一緒にのんびりしたり、都内の色々な所を巡ったりする時間の余裕ができた。沙那恵さんは車の免許を取り始めた。私はその分家事をよくやっている。持ちつ持たれつ、無償の助け合いだ。
進学するか就職するかは迷ったが、ちょうど伝手で良い所を見つけることができたので、そこに決めた。ということで就活はすぐに終わった。都内にあって、結構大手で、福利厚生も給料も良い。自分のポジションはフレックスタイム制で、自宅業務もできる。メンバーもまともだ。滅多に見つかるものではない。仕事をすることが求められるのはやはり嬉しい。これも、ずっとやることをやった結果だ。内定のお祝いに沙那恵さんとワインを飲んでフランス料理を食べた。幸せだ。修士や博士は働きながらいずれ取ろうか。
秋頃になるとGKは落ち込みがちになっていた。一学年上の、奴と同じ研究室のKKの仕業だろう。KKは、とにかく野心と自信の塊で、実力は多少あるが、自分が正しい、自分優先という思考の持ち主だ。後輩は自分の手足だと思っているようで、好き放題にやっている。そこの教授のTS、准教授のTR、助教のMRが止めることはない。他の研究室員も止めない。変な噛みつき方をするからだ。別の大学の修士試験に合格して、それを鼻にかけている。前回は大分いいように扱われた。それも、自分がおかしいから、研究室とはこういうもの、と思い込んでいた。来年までの我慢、来年になれば後輩と雑用を分担できると思っていた。
だから、卒論を校正する手前での段階で、奴のPCをハッキングして丸ごとデータを消した。研究室のPCに保存してある分も忍び込んでパスワードを割って、うっかり誰かが間違えたように消去した。ザルだ。ついでに奴の試験系で誤った結果が出るように仕込んでおいた。研究室の物は教員の予算から出ているだろうが、奴らにも色々とされたから、その分をとりあえず少し返したまでだ。先に仕掛けたのは奴らだ。
KKは大パニックになっていた。不幸にもデータは別のところに移してあったが、文章は書き直し、試験結果は既知のものと違い、予想も立てようがなく、試験を失敗したとしか考えられない状態だからだ。それにKKの思考力は落ちている。ある条件下で育った貝XXXのYYYに生物濃縮されているZZZを抽出して、KKのコップに塗布し続けてあるからだ。コーヒーブレイク用に個々人のカップが置かれているから、隙を見れば簡単だ。緩慢に脳障害を起こすように用量を調節してある。
また、助教のMRの異動が上手くいかないように、仕事の不出来振りを応募していたポジション先に匿名でリークした。MRはTSのコネで席があるようなだけで、本当に何もしていない。だから、私が追い込まれたときも一緒になって追い込んできた。忘れていないからな。自分の保身のために、つまり自分が生きるために、他者を追いやる。それは戦争の引き金を引いていることと変わらない。こいつはまずこれ位で良いか。
そうして冬になり、私は研究室生活を楽しみながら、日常生活を送っていた。他の室員と居酒屋に行ったりと付き合いもできている。仲間とレトロゲームをしながら昔の話をしたりもできている。サークルにもたまに顔を出している。前回やりたくてもできなかったことだ。
沙那恵さんはゼミに所属するようになり、就職活動も始まって忙しそうだが、お互いにフォローしあって楽しく生活している。家族というのはこういうことを言うのだと思う。
KKの卒論は何とか完成した。しかし、考察がままならず、厳しい指導を受けたそうだ。室員の発表を聞きに行ったついでに聞いたがグダグダだった。これなら次の大学ではもはや相手にされないだろう。厳しいけれどもハイレベルで優秀な自分にふさわしい所と常に自慢していたからな。しばらくすれば日常生活もままならなくなるんじゃないかな。
*
夏になった。卒論も、仕事も株も順調だ。大まかだが、世の中がどうなるのかを知っているから、利益を出すのはそう難しくない。沙那恵さんの就職先もすんなり決まった。都内で半分在宅でもよく、福利厚生もしっかりしている。何よりも産休、育休に理解のあるところで、理想の分野でもあると沙那恵さんは嬉しそうに言っていた。本当に良かったと心底思う。相変わらず彼女の笑顔にはかなわない。幸せにしたい。
研究室は、新しく外部から優秀な博士課程が入ってきたり、まともな後輩が入ってきたりして切磋琢磨できている。ただ、古い秘書が私の出張費用をごまかして、それとなく聞いてもしらばっくれたことがあった。だから夜道を歩いている所を狙って上手に罠にかけて植物状態にした。ミスを認めて返金すれば良いだけなのに、どうして何でも駄々をこねれば通ると思っているのだろうか。奴にとってはよくあることで、無礼極まりない態度をとっていたことは我慢していたが、信用や金となれば話は別だ。それは私の命なのに。新しく雇われた秘書に伝えたら無事返ってきた。良かった。
他の学生は就活や修士試験に向けて活動している。私は表面上運よくことが進んだ体を装っていたから特に妬まれることもなく、愚痴を聞いたりお祝いをしたり無難にしている。
そんなある日のことだ。ついに研究室棟の、前回の研究室から大爆発が起こった。割れた窓から煙が濛々と溢れ出ているのが見える。周りがざわついている。消防や警察が来ててんやわんやになっていく。他の人は怪我をしていない。タイミングを計ったからね。さあ、始まりだ。
当然この件はニュースとなり全国で報道された。某機器が爆発したということになっていた。ここからだ。まず、TRと一学年下のNHとの援交動画と、メールのやり取り、NHの個人情報を匿名掲示板に投稿する。学内の個人部屋で、建てたばかりの新居で、出張先や郊外のホテルで、など様々な動画が公開されていく。ついでにNHの自宅、実家、親の職場、親戚全ての家に動画を焼いたCDを送付しておく。翌日、何となくNHを可哀想と思う空気は一瞬でなくなったと研究室の後輩が言っていた。あ、MRとGKは爆死した。
NHは前回、弱者の振りをして私を追い詰めた。弱者恫喝だ。雑用も何もしない。片付けない。それを注意すると、分かる? 周りから私が悪いことにされる。あの死にそうな感覚だ。じゃあ、自分たちが何かするのかというとそうではない。音もなく悪意がしみ込んでいく。あの、忌まわしさだ。どうしてそこまで肩入れするのか、今回観察していて分かった。准教授と援交していたからだ。道理でとんでもないことでもNHを庇ったわけだ。そしてそれは私のせいにされた。変な傾きがあれば風見鶏、事なかれ主義のTSが味方に付き、それにMRが乗り、全体の空気がそちらに乗って……。次第に悪意の度も増していった。
そうなると、分かるか、仲間だと思っていた者も態度を翻すのだ。なあなあというか、大人になれよというか、そんな分かったような空気を出しておけば正しいというような……。大方上から吹き込まれたのだろう。あの感触はえぐい。仲間がそう思っているなら本当にそうだろうと他の学生もそちらに乗った。
追い込まれて男親と女親に相談した私は、無事、全てを私のせいにされた。奴らは表向き丸くなっていたから、憔悴していた私は頼るところとして思いついてしまった。その結果、わざわざアパートまで来て、男親に大学まで引きずりだされて、土下座をさせられて、廊下で、衆目の前で、殴られた。誰も止めなかった。何も変わっていなかった。女親が、自分だけは味方とでも言いたいような、自分に酔った発言を繰り返していた。
大学のハラスメント相談室は役に立たなかった。それはそうだ。彼らの給料は大学から出ている、なら、大学を庇うに決まっている。自浄組織でなくて、情報収集組織だから。そんなことも考えられないほど私は参っていた。今なら即そういうのに強い弁護士に相談する。ここで金がかかっても、信用を失うよりましだと思う。
そんな中でも1人だけ、大学側に変わった人がいた。GTさんだ。彼は話を聞いてくれた。できることも少なかっただろうが、何とか卒業まで結び付けてくれた。何もなくなった私は、生きる希望をその人のおかげで再燃させて、執念で卒業した。今回関わることはなかったが、遠目でその姿を見て、幸せでありますようにと祈った。
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大学もコネでマスコミを抑えているようだが、全て上手くいくわけではない。数日後、少し沈静化、というかネットの住人が飽きてきたところを見計らってTS、TR、MRの住所、実家、家族、出身校、卒業アルバム、とにかく諸々を匿名掲示板に投稿した。TSとTRが責任逃れをする発言がニュースで流されていたから、途端に掲示板は盛り上がり、各サイトに転載され、予想通り近くに行く者まで現れた。まあ、実際、某機器が管理点検不足であったことは事実だが、爆発は別の仕掛けだ。
警察は見つけようもない。退職を求める声が上がっている。大学側も説明と責任を問われている。そこで、MRの普段の仕事振りを撮った動画と、MRが某機器を操作して大爆発を起こした作り物の映像を投稿した。これで研究室に非があるような空気が世間にできた。庇うような発言を他の研究者がすればネットの住人が突撃する。それでも奴らは大学をやめようとしなかった。生活や立場が懸かっているだろうからね。
次にしたことは、TSの一家を殺して、産廃廃棄場に埋めることだった。マンションだから安全だと思っていたのだろうが、上からの侵入には甘い。翌日には死体の上に産廃が積み重なっていくから掘り返されることはない。他の人たちも使う所だから、警察も手を伸ばしにくいだろう。TSの家にはPCで作成した遺書を残した。TSの妻の家は持ち前の影響力で一連の態度や行動を今まで庇っていたが、この件でついに激怒したようだ。
TRの家は一軒家だから容易く侵入できた。予想通り、家族は援交が知れてからも家にいた。TRの妻はひどくやつれていて、寝ているのに死んでいるように見えた。まずはTRの妻と娘を縛って両眼を取り除き、痛みで悶えている所をTRの妻は腕を、娘は脚を切り落とした。娘は生まれたばかりだから手でもちぎれそうなくらい脆かった。こうしておけば、TRは妻子からずっと離れられない。一生この負担に耐えてね。取った部分は野良犬の餌にした。
ついでにMRの夫と息子達は毒殺した。何故か魚WWWのVVVが作り置きのカレーに入っていたんだって。
これらのおかげで、大学側に何らかの策を講じる必要が出たのか、真相は不明だが、ともかく、TSとTRは退職となった。さらに次のポジションも決まらず、出費もかさんで、世間の目も合って、おちおち生活もままならないようだ。海外のポストもあたっていたが、そこまでの成果がないことと、安全管理ができていないことから当然行けるはずもなかった。私には世界中に知り合いがいるから動向が手に取るように分かる。これで、二度と私の目の前に現れることはなくなった。前の研究室の人たちは卒業が1年は遅れるだろう。まあ、見て見ぬ振りをしていた分だと思ってくれ。多少は楽しかったこともあったからこれくらいでいいかな。
NHは家に引きこもっていて、そのまま死ぬと思っていたが、図太くも生きていた。家族には見捨てられた。大学の誰も相手にしなかった。私の大学の女子学生=援交している、評価されているのはそれのおかげという偏見がついたからだ。それどころか助けようとしたら自分もしていると噂を立てられる。だからだろうか、夜中にコンビニへ行ったときにピンポイントで危ない人たちに捕らえられて、そのまま何本か撮られてヤク漬け性病まみれになってどこかに棄てられた。あの一連の動画はすごかったな、好事家の心を刺激して、世界中で大人気だ。今や"NH"はあの変態行為のタグだ。誰が行動を漏らしたのかな?
流石に2年以上もあれば、特に自由に行動しても怪しまれないのだから、だいたい何でも調べられるよね。
*
そうして私達は卒業した。前回は出たくても出られなかった卒業式だ。ここまで来た。家族、仲間、仕事……。得られなかったものが今はある。幸せだ。陽の光の下を歩いていてもいいんだ。みんな笑っている。ああ、神様、ありがとうございます。あのときから、積み重ねて、人間になっています。彼らがいなければ、人生はこんなにも充実しているのか……。
しあわせー♪ しあわせ♪
ああ、ここにいます。未来があります。生きています。
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