第11話 オカルトを信じますか?


 普通でいいから生きたかった。ビハインドから這い上がって、ようやくスタートラインに立ってももう、手遅れだったのか。頑張った。人間になりたかった。入ろうとした。でも、ダメだった。生来のものなのか育ちなのか、または運命なのか。結果を出しても、はじかれた。金は生命と同義だから、その容赦のなさが真っ向から向かってきた。逆境から、いろいろなやり方が、まだ若いから、呪いが浴びせられた。今まで積み上げてきたわずかなものさえ瓦解した。それで、次に進むことができる人とできない人がいて、そういうのがあった方が周りにとっては都合がよくて、自分たちが良ければそれでいいから、レッテルを貼ってそこに押し込まれて、そうして私は無敵の人になっていった。





 仕事も始まり、2人の通勤に便利で治安の良いマンションに引っ越した。セキュリティも強固で環境も良いところだ。2人ともラッシュ時は避けて通勤できるから満員電車とは縁がない。私は自転車で行くこともある。

 職場では新人歓迎会を開いてもらって、それから諸々の案内をしてもらって、上司から手ほどきを受けながら自分の仕事に専念することができている。元々内定した直後から通っていたので新鮮味はそこまでないけれども、それでもやはり社会人になると違う。学生のうちの成果は夏のボーナスとして振り込まれた。


 沙那恵さんも仕事が順調のようだ。お互いに協力して家事をして、時には家で仕事をして、時間を上手に使っている。家で仕事をしているときに沙那恵さんが休憩しないか誘ってくれることもある。


 「ねえ、紅茶飲まない? 淹れようと思うの」


 ノック音の次にドアの開く音。それから彼女の声が近くに聞こえる。部屋に入ってきたようだ。


 「そうだね、もうすぐ一段落するよ――」

 そう言って後ろを振り返ると、屈んだ沙那恵さんがすぐ目の前にいて、優しい瞳がこちらを見つめていて、柔らかい髪の毛が私の頬にかかって、くすぐったい。いい匂いがする。


 「えへ、驚いた?」


 近くにいる。たまにこういうことをする。お茶目な面も見せてくれる。好き。


 お返しに私もちょっとだけびっくりさせることがある。花を買ってきたりだ。その花を沙那恵さんは大切に花瓶に移してくれる。幸せだ。



 仕事以外のときはデートによく行くし、どちらかが忙しいときには趣味をしながら時間を過ごしている。沙那恵さんの編み物は上達して、色々作っては定期的に売って利益を出している。それで夕食のおかずをちょっと豪華にしてくれる。結婚できて本当に良かったと思う。


 だが、前回の人生を忘れたわけでは決してない。今回の人生でも悪人はいくらでもいたが、それとこれとは関係のないことだ。





 これから私が行うことは奴らにとっては不意打ちに感じるだろう。今回は一切関係がないからだ。しかし、これは先制攻撃でも、無差別攻撃でもない。これは逆襲だ。奴らが平和に生きていることが、私の今後の人生の、心の隅にわずかな影を落とす。ほんのわずかだが、奴らの世界のルールではそんな些末なことでも、排除する取っ掛かりになるのだから。まさか自分がするのは良くてもされるのは良くないなど自分勝手なことを言うまいな。

 復讐は何も生まない? それはそう思う人が思っておけばよいことだ。自分のところで終わらせればいいだろうが。私がその負を背負う義務はない。私のところで止めれば自分に回ってくることがないからか? マイナスの資源の押し付け合いだよな。つまり、生存競争だ。覚悟しろ。地獄から戻ってきた。



 まずは、EWか。奴は別の大学の修士課程に進学した。もう、足が付かないように移動する方法はいくらでもある。大学生が住むような家なら侵入は容易だ。物盗りに見えるようにバールで滅多打ちにする。財布から金を抜いて、使ったものとまとめてビニール袋に入れて海へ流す。台風が来ているからすぐにどこかに行くだろう。



 次は、AOだ。奴は前回の職場の後輩だった。今は修士課程か。奴は宇宙人だった。日本語が通じないというか、何故そんなことをするのか、謎のルールに基づいた一律の行動しかとらず、注意したことを覚えなければ、メモも取らず、じゃあ何かが抜群にできるのかといえばそんなことはなかった。何も並以上にできたことはなかったのではなかろうか。危険行動で仕事の成果が吹っ飛んだときは、その時だけは反省したような顔をしたが、数十分後には笑いながら話しかけてきた。違う時空の生物だった。何度怒りを感じたものか。ああいうのは本当は良くないことだが、殴られないと分からないのだと思う。動物の躾と同じだ。いや本当に。


 こんなのでも急な人材不足の穴埋めに雇ってしまったなら、仕事ができるようにしなくてならなかった。私も最初のうちは丁寧に言って、見せて、やらせて、フォローして、些細なことでも褒めたりしたが、何も伸びなかった。いない方が仕事が回った。それでも人数分の仕事は回ってくるし、不始末の処理は私がすることになるから、辛かった。今回の人生でもあれほどのはいない。


 タチが悪かったのは、こういうのを庇って言い逃れをするのがいることだった。博愛のような面をして、偽善で、自分だけが気持ち良ければよいような奴だ。AOも弱者の振りをして隠れてぬるま湯に浸かり、進歩せず、その結果仕事が来なくなった。それを、上から目線で自分にふさわしくないからと思っていたらしく、いつの間にか辞めて行った。そのことも私のせいにさせられたな。あたりがきつかったとかで。とにかく誰かのせいにしなければ収まらないから。私の話は聞かれなかった。


 何にせよAOが少しでも何かしようとしていれば、まだ変わったのかもしれない。だが奴にとってはそうしないことが楽で、給料も支払われるわけだった。



 だから、奴のベッドの下に、奴の大学から持って来た某線源を隠した。大学はザルだ。しばらくしてAOは体調不良を起こし、皮膚科を受診して放射性皮膚炎と診断された。その後医師から警察に連絡が行き、線源が見つかって大ニュースとなった。


 AOは無実を伝えようとしただろうが、日本人なのに意味の分からない日本語ばかり話すこと、普段からの奇行のためにやりかねないことからどんどんと追い込まれていった。私が何もしなくてもAOの奇行は次々とネットに投稿されていった。傍から見ると面白いのだけれども、当人たちにとっては大迷惑であったことが文章からありありと伝わった。AOの住所や出身校は誰かが投稿していたから、実家、親戚の住所と勤め先も追加した。アパートの管理会社や近隣、大学からは訴訟、慰謝料請求が無数に来ているようだった。あらゆる団体から怒りの声が上がっていた。


 大学は行政からセキュリティの甘さを相当絞られたようだ。AOは退学になった。後遺症も残った。家族は身上を潰しても賄いきれず、自殺して保険金を詫びに当てたそうだ。本人は生きてはいるが実質指名手配犯のようなものだ。誰も近づかない。





 再び春になった。職場にはすっかり慣れて、小さめだがプロジェクトを終わせることができた。外部との調整もスムーズに運ぶことができた。小さい頃から人と話す訓練をして、体型的に自分に教えていたからだ。保育園の時から立場をはっきりさせておいてよかった。株も上手く運用できている。


 沙那恵さんも仕事を楽しんでいる。彼女が幸せなら私も幸せだ。この前、時間を作って迎えに行って、そのまま外食に行った。幸せに浸りながら、駅から家までの、街灯に照らされた賑やかな道を2人で歩いた。月が綺麗だった。


 「今日は来てくれてありがとうね」


 「うん」

 喜んでもらえて嬉しい。


 「でも、ちょっと恥ずかしかったかな。みんなに見られていると思わなかった……」

 思い出してか頬が赤くなっている。それなのにわざとむくれている振りをしている。月明かりが差して地の美しさに混ざり、心を奪われる。


 「なら、今度は迎えに来てよ。ね。これでおあいこだよね」


 「うん。前言っていた和食屋に行きたいな」


 日常の些細な会話を覚えていてくれる。私が職場近くにあって美味しそうと一度話したことを。ああ、愛している。



 それから、ペットを飼い始めた。メスの犬と猫を一匹ずつだ。本当は犬猫どちらか一方にする予定だったのだが、出会った時に、言葉にできない惹かれるものがあった。沙那恵さんも一緒のことを考えていて、同時に同じことを言った。上手く交渉してどちらも家に迎えることができた。飼育に必要なものはすぐに揃った。トキソプラズマなどの病気の対策もばっちりだ。


 クロもブチも賢く、訓練、教育は簡単だった。世話は少しだけ大変ではあるが、それ以上に賑やかで日常が一層楽しくなった。私達は生物部だったからなのか、2匹がしっかりしているからなのか、困ることはない。ペットホテルでもお利口と評判だ。クロもブチも構ってあげることもあれば、2匹でじゃれていることもある。異種なのにどうやってコミュニケーションをとっているのか不思議だが、阿吽の呼吸で姉妹のように仲が良い。昼頃になると日の当たる場所で一緒に寝ているのをよく見る。癒される。



 だが、まだ残りがある。ここまで静かだったのは、諸々のタイミングを計っていただけに過ぎない。前回の職場の所在地は、私が高校までいなくてはならなかった所とも、首都とも離れている。だから、奴らにとって、これから唯々不可思議なことが起こり続けるように見えるだろう。しかし、これは生存競争だ。





 まずは不倫の事実を奴らの職場、家、その近所、実家、配偶者の実家、配偶者の職場に伝えた。勿論動画とやり取り付きだ。BMと取り巻き3人の腹にあるのは上司のINの種でできたものではないかと強い疑いがかかり、職場も、連中の家庭も騒がしくなるだろう。要するに、こういうことだったのだ。


 奴らの職場は阿鼻叫喚だ。一斉産休、育休で人手が本気で不足する予定で人材確保も困難を極めているのに、その原因がINにある可能性が濃厚となれば周囲の反感は免れられない。会社も部署も不倫に相当お冠だろう。それでも奴らは出社していた。これだけで終わるはずはない。



 次に、BMの子を下校時に捕まえて、INの家の近くまで持って行き、滅多刺しにして捨てた。BMはシングルマザーで、子の帰宅はいつも遅かった。暗い道を通るときにすれば容易だった。近所の監視カメラには敢えて映るようにしてあったし、使われたのはINの家の包丁と車で、現場には髪の毛が落ちていたから、INの妻は容疑者となった。アリバイはない。家で寝ていたのなら、何故車を盗まれたことに気付かなかったのか? 薬が効いていたからだ。海外製は強い。近所が見たのは? 変装した遠目の姿だ。

 BMはそれで悲劇のヒロインになったつもりなのか、いつもより元気になっているようだ。一層INと親密になっている。訳が分からない。


 取り巻きの1人、CKは一家まとめて毒殺した。奴の趣味は山登りを騙った山の幸を盗むことだから、家に忍び込んで料理にキノコVVVとWWWをいくらか混ぜておけば、あとは勝手に全滅した。下痢と嘔吐が止まらず、呼吸困難と高熱で動かせない体を何とかのたうたせて、救急車を呼んだ頃には手遅れだった。誰がスマホを枕元から動かしたのかな? 警察は痕跡からただの誤飲と判断して、それで終わった。


 それから、取り巻きの2人目、JTの実家――同じ土地に住んでいるから実質同居のようなものだが――近くに野生動物XXXの死体から抽出して培養した微生物YYYをばらまいた。なぜなら、奴の実家は畜産業を営んでいたからだ。すぐに家畜の調子は悪くなり、いくつか死に始めて、獣医師に相談した結果、YYYに感染したと診断された。それが行政に届けられて周辺で飼育している同種の全家畜に安楽死を施すことが決定した。JTの実家が発生源であることはすぐに知れた。それで生計を立てている近隣の農家からも、全国の農家からも、行政からもJTの実家は本気の殺意に晒されることになった。法定伝染病だからだ。JTの実家の産業が潰れたことは言うまでもないが、それどころで済むはずはない。


 3人目の取り巻き、NEは階段から落とした。家に忍び込んで靴に細工をして、奴のアパートの階段にもZZZを薄く塗っておいた。漫画のように落ちていき、強く腹を打って、狙い通り流産した。NEは高齢で不妊に悩んでいて後がなく、この妊娠は渇望していたものと知っていた。NEは気が狂って離婚された。この時に夫を刺殺してしまい、刑務所ではなく精神病院送りになった。





 奴らの職場は大混乱になっていた。目に見えたことだ。そのタイミングで世界中のマスコミと行政に奴らの職場の不正をリークした。どうやって漏れたのか、誰にもわかるはずはない。なぜなら、前回の記憶だからだ。どこを探しても決して証拠は出ない。


 前の職場は世界中にある支部の1つのようなものだから、全世界の顧客から世界中の支部にクレームが入り、世界中の支部から奴らの職場にクレームが入り、職場や行政から奴らは説明と調査を求められたようだ。それでも誰も手伝わず、部署の連中は退職し始めたりして、INや別の上司のHHは朝早くから夜遅くまで缶詰になっていた。外部の調査機関が常に出入りして監視していたし、マスコミや記者が職場や奴らの家の周りにいつもうろついていた。

 さらに、匿名掲示板に職場全員の住所や顔写真、家族構成まで投稿した。傍からは人事の情報が漏れたように見えているだろう。週刊誌は奴らの不倫、伝染病の出所、INの妻やNEの事件について既に嗅ぎつけていた。



 無論、これだけで終わるはずはない。まずはHHだ。AOや奴らを庇っていた奴だ。奴はトラブルがあればその原因や責任をうやむやにする、何でも雑用を引き受けるような、その場の顔だけを守る偽善者だった。私が立場上奴らに注意をすると、すっ飛んできて的外れな屁理屈をこね出したものだった。だから奴らには人気だった。良い隠れ蓑だったからだ。いつの間にか、なぜか私への連絡を買って出るようになって、その癖タスクの順序を立てられないから情報は届かなくなっていった。情報元に直接伝えるように言うと喚き始め、また庇いが始まり、私=悪で敵、だから悪意を持っても良い、の図式を奴らの中に作り出していった。その場にいても伝達し始めたときは何がしたかったのか分からなかった。

 ちなみにHHは私を庇うことはなかった。味方の振りをしたフレンドリーファイアは食らったが。まあ、そんなものだ。


 だから、今更関わるのが面倒に感じた。辟易した。家に忍び込んでシンプルにHHと妻、帰省していた子、それから奴の母の首を落とした。証拠も残さない。手慣れたものだ。本の頁をめくるのが上手く、速くなっていくのと同じだ。目的は次の頁を見ることで、紙をめくる事にも紙の材質や厚みにも強く興味を持たない。たまにはゆっくりとめくるときもある。普段は何も意識せずにめくる。そんなものだ。



 警察やマスコミが不正との関連を疑い始め、一連の出来事は不正で被害を受けた人たちの呪いとも言われ始めた。JTとJTの母、夫、3人の子はJTの家にあった鉈で頭をかち割った。JTの父は自殺に見せるように納屋で首を吊らせた。要するに、この老人が不始末の責任に心中を図ったというシナリオだ。死体は逃げた後が残るように動かしておいた。首吊りは自殺に見えるよう、UUUで麻酔をかけて昏睡状態にしてから首を縄にかけて、後は踏み台にした椅子を倒せばおしまいだった。土埃まみれの納屋に、足跡を1人分、JTの父の靴を履いてしっかりと残した。吊った後にその靴を履かせて、他の足跡が残らないように窓間に梁を通してその上を渡った。


 その帰りに人事のDNの家に忍び込んで、DNとその妻、2人の子を石斧で撲殺した。正確には死ぬ寸前にした。DNは人権、公正、安全を謳いながらも、結局身内のためにしか動かない奴だった。コンプライアンスなどは飾りだった。ボーナス、昇給について問い尋ねても上席で見直しをしているから偏りはないと、妥当性については触れずに話を切った。それ以上聞こうものなら、そういう態度だからそうなると言わんばかりの対応だった。

 他にも何だったか、特定の人に当たりが強いというクレームが来ているとけちをつけられたこともあった。誰かは概ね分かるが。自分に非があるなら直すから誰が言ったのか、どういう状況だったのかを尋ねたら、話は二転三転し、肝心のところは言えないと抜かした。中身がないことでも吊るし上げられるわけだ。それで公平の振りをしているからなおタチが悪かった。金は、時間は、信用は、命だ。

 今なら何かあったら即労働基準監督署、弁護士、議員などのところに行く。絶対に内部に相談してはならない。どこで誰と誰が繋がっているか完全に分かっているなら別だが。全て録音して、可能なら録画もするべきだ。ただし、それを気取られてはならない。絶対に信用してはならない。


 その後、SSSとTTTを使って土砂崩れを起こし、生き埋めにした。大雨のおかげで多少音がしても近隣には気づかれず、地盤は緩んでいるから容易に家は潰れ、全壊した。石斧は分解してその辺りに混ぜておいた。翌日、ただの事故死とニュースで流れていた。運悪く土砂や倒木に体をぶつけて死んだそうだ。





 前の職場は混沌としていた。まず、業務が停止した。遅すぎるくらいだ。それから、別の部署の連中からも退職者が現れ出した。自分の個人情報が漏れているから、呪いが来るかもしれないとでも思っているのだろう。あとは退職金か。いつ潰れるかも分からないからね。周辺の会社からは騒ぎで疎まれているから、近場で転職先を探しにくいだろう。見て見ぬ振りをした分だと思ってくれ。

 後はINとBMだ。警察が定期的に奴らの家の周りを巡回している。当然だと思う。ここまであったら次があると思って張り込むのは普通だ。


 それなのに、INは実家に逃げた。周囲からの視線に耐えられなかったようだ。予想済みだ。奴の実家で作られていた果実酒に薬物QQQと麻薬RRRを添加しておいた。果実酒はINの母が作って、INに贈って楽しんでいるものだ。前回の記憶で知っていた。果実酒を息子の帰還にどうであれ喜んで振る舞ったが最後だった。

 QQQは痙攣、激しい痛み、不安を引き起こすが、RRRが効いているうちは緩和される。RRRが切れるとQQQの効果が出て、それから逃れるのに果実酒を飲めば、RRRが再び取り込まれ、一時絶頂する。アルコールも入っているからあっという間に永遠に依存することになる。RRRは米国の某所から手に入れた。国境をどうやって越えたかはまあ、秘密だ。決して悪用をしてはならない。



 ある日、私は季節外れの花火大会を廃ビルのある一室から見ていた。私の視線の先にはBMがいる。INのスマホから不倫の誘いをしたら馬鹿面を下げて現れた。自分から警察を撒くなど愚かだ。指示通り、遠くの雑木林に来ている。穴場だとでも言っておけば何の疑問も持たないような奴だ。周りに人影はない。花火が上がり始める。奴は腕時計を見て時間を確認している。生で見ると前回の出来事が思い起こされる……。


 (やるか)

 風速も、風向も、良い。遮蔽物もない。ここからなら、当たる。前回は散々、地獄のように追い詰められた。自分が一番でないと済まない、それでスペックは高くないからお友達以外を貶める。くだらないマウントを何度も仕掛けて、自分のミスは棚に上げ、私のミスは瑣末なことでも大罪のように吊し上げる……。頭に来ても馬鹿を相手にするのは無駄だが、実害があるから、つまり、私の命に関わるから話は別だった。それもINや取り巻きたちなどの隠蔽、庇いでうやむやにして、喚く、駄々をこねる、それが人事考課にも影響を及ぼして、仕事は減らされていき、陰口は職場全体に広がり――。


 (まあ、すぐに、関係のないことになる)

 照準を定める。花火のタイミングに合わせて、引き金を引く。


 バンッ!


 命中した。サイレンサーのおかげで響かない。イヤーマフを外す。ざわめきに変化はない。どちらにしろもう関わりのないことだ。


 その夜、遠くの海をゴムボートで回り、途中で泳ぎも駆使して、銃をギターケースごと捨てた。



 BMの死は報道によって知らされた。不正が関係した何かの隠蔽だとか、どこかの流れ弾だとか、どうして当日そこにいたのかだとか、ワイドショーが連日特集を組んでいた。あとはINが勝手に自滅するだけだ。



 INは果実酒を飲み干した後、離脱症状から逃れるために母親をゆすったようだが当然何も出るわけがない。入手できなかった怒りで包丁を持って暴れ回っているのが見える。音は聞こえないが、何か狂ったことを言っているようだ。刃に血が付いているから母親でも刺殺したのかな?


 「……、…………!」

 警官が静止しているようだ。INにそれが通じるとは思わない。ただでさえ思い込みが激しく、敵のレッテルを貼るのが好きな奴だ。そうだった。それで、作為的な情報収集に、捻じ曲げた解釈、都合よく不透明に飾り付けられた報告で、私は追い込まれた。BMや取り巻きが媚びを売っただけで、先入観で話は通じず、決めつけで全てを終わらせられた。パワハラやモラハラのレッテルを貼られて処分されそうになったこともあった。セクハラのレッテルを貼られなかったのは奴なりのプライドだったのかな? まあ、もう、終わったことだ。どうでもいい。


 「…………!、…………!」

 INが包丁を振り回している。幻覚でも見えているのかな。


 「……!、……………………!」

 警官も警告している。INには通じていない。何か叫んでいる。包丁を振り回したまま、突っ込んでいき、そして――


 パン


 わずかな銃声が聞こえた。それを見届けて私はその場を離れた。まあ、こんな山中から双眼鏡で見ているとは思わないだろうし、野鳥観察をしていたと言えば疑われる余地もないだろうが、念には念を入れて、だ。



 INは一命を取り留めたと報道された。世間は大騒ぎだ。不正の渦中の人物が麻薬中毒で母親を殺して警察に刃物を向けて撃たれるという、誰もの注目を惹くような出来事だったからだ。RRRを摂取していたことやBMの殺害に銃が使われていたことから、危ない人たちとの付き合いがあったのではないかと噂する者もいた。INの弁明は余りにも不可解で、無理のあるものだった。禁断症状で死ぬまで苦しんでくれ。



 *



 そうして、ついに、前の職場が無くなるという緊急ニュースが流れた。やっと、過去の清算が、終わった。近くの公園のベンチに座る。手の甲が不意に優しく痛む。どこかで鐘が鳴っている。子供たちの無邪気な笑い声が聞こえる。温かい日差しが私を包み込む。終わった。やっと、終わった。そよ風が、木々のざわめきが、噴水から水が落ちる音が、達成を称えてくれている。呪いは解けた。やっと、自由だ。



 ゆめが あすが…… はじまる……



 これから未来に向かって充実した人生を進もう。私の隣には沙那恵さんがいる。彼女のお腹には私達の新しい命が宿っていることが分かった。平和で幸せな世界だ。ああ、生きています。人間として、生きています。

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