第九十八話 魂を呼ぶ声
俺は途方に暮れながら自動の車椅子で病院内を彷徨いていた。
少しくらいはいいだろと無理を言った。
もう病室で寝ているだけなんてやっていられなかった。出来る事なら今すぐ元の世界に戻りたい。そんな欲望を抱かずにはいられなかった。
だが現実にはそんな事は不可能である。
認めたくはない。勿論だ。諦められるわけがない。…あいつらを放っておくわけにはいかない。俺には責任がある。魔王としての責任が。それを途中で、自分の意志と無関係に放棄させられるなど許せるわけがない。
それでも窓の外に広がるコンクリートとアスファルトの街並みを見ると、嫌でも認めざるを得なくなっていく。ここは元の世界。魔法が無い世界だ。戻る方法なぞ無いのだと。
「はぁ。」
俺の声とは思えない低いおっさんの声が、俺の口から吐き出された。
「どうされました?…あ、れ?貴方は…何処かで…。」
同じ病院の…名前も知らない女性が話しかけてきた。
「あ、そうだ。テレビで拝見した事があります。あの…無駄金費太郎さんですよね?」
「え、ええ、はい、まぁ。」
違うと言いたいが、違うと言っても信じてもらえないし、とりあえずそういう事にしておく。
「大変でしたね。」
そう言われても俺は事情を知らない。病院の先生やナースにも聞く事が出来なかった。知るつもりも無かったが、一応聞いてみよう。下手すれば一生このままだ。
だがどうやって聞けば良いものか。
少し考えた末に俺は、とりあえず記憶喪失のフリをする事にした。
「すみません。事故のせいか、最近の記憶が全く無くて。」
そういうと彼女は神妙な面持ちをし、言うか言うまいか迷う素振りを見せた。
「もし宜しければ、ご存知の事を教えていただけませんか?」
促してみると、彼女は恐る恐る口を開いた。
「あの…落ち着いて聞いて下さいね。私もテレビで見ただけなので。…なんでも…その、借金を苦に………とか。」
はい?
最後の部分が聞き取れなかった。
なんて言ったのかを聞き返そうとした時、テレビから声が聞こえてきた。
『先日、国会議事堂の前で事故がありました。被害者は国会議員候補の無駄金費太郎さん、五十一歳で、警察では当選しない事を苦に自殺を図ったものと見て捜査を進めているとのことです。』
「…。」
俺は頭を抱えた。
自殺か。自殺かぁ。なるほど?自殺を図ったタイミングで転生か。まるで以前の俺だな。いや違うよ。俺は自殺したくてしたんじゃねえよ。事故だよ事故。ちくしょう。こいつが自殺なんて図ったせいで、俺はこうも身動きがままならない状態に陥ったのか。一生恨むぞこの野郎。
『無駄金氏は、四年前の選挙での事故の後、その責任を問われ立候補を取り消しとなり、それ以来生活に困ることが多々あったとのことです。』
俺も一因だった。ごめんねおっさん。でも曲がり角でスピード出したお前の車が悪いと思う。
「はぁ。」
俺は今日何度目かわからないほどの溜息をついた。深く。とても深く。溜息ばっかりついてるな俺。
「あの、すみません。」
「いえいえ、気にしないで下さい。私が、私が全て悪いんです。」
これはある意味では本心だった。俺のせいでこの体の俺は失脚ーーーいや、確か政策もロクなもんじゃなかった気もするので、時間の問題だったとは思うがーーーし、自殺を図り、結果として俺がこのような目にあっている、というわけだ。何かの縁で結ばれているのだろうか。嫌な縁だ。ともあれ、回り回って一因が俺にあるのは否定出来なかった。
「まだ記憶はあやふやですが…教えて頂いたお陰で何とかなりそうです。それでは。」
そう言って名も知らぬ彼女と別れた。彼女はずっと「めげずに生きて下さいね」としきりに言っていた。ああそうするよ。…めげずに、は無理かもしれないか。
俺はしょぼくれながら、街並みでも見ようと病院の屋上へ向かった。普通病院の屋上など閉じていそうなものだ、半ばダメ元であったが、不思議なことに開いていた。俺はこれ幸いとばかりにドアを開けて入った。
そこはコンクリートの木々に覆われるジャングルのようであった。
大した景色じゃないな、と思ってしまった。
豊かな自然など一ミリもなく、代わりに所狭しと高層ビルが立ち並び、あの東京タワーさえ今では低く見えるこの東京、五階建ての病院の屋上で見えるものなどたかが知れていた。
これだったら魔界の景色の方が綺麗だったのでは無いかと思ってしまう。
あそこは幾つもの顔を持っていた。火、闇、水、土、風。どれも恐ろしい一面と魅力的な一面を兼ね備えていた。それが今では愛おしく思えてきた。
何よりこの数年間で知り合った人々がいた。
いまいち信用できないが、ここぞという時は頼りになる奴がいた。
信頼しあえる勇者がいた。
信頼してくれる部下がいた。
最初はともかく、今では心の底から信頼しあえる秘書がいた。
あの世界に戻りたい、心からそう思った。
目から涙が滲んできた。
霞む目を動く方の腕で擦る。
『嘆く お前に 与えよう』
『二つの 道を 与えよう』
遮られた視界の闇の中で、声がした。気のせいだろうか。俺はキョロキョロと辺りを見回す。誰もいない。
『生=この世界で 今のまま生きるか』
『死=かつての世界で 危険に身を置くか』
また聞こえた。気のせいではないようである。だがその声の主は何処にも見当たらない。
機械のような声。抑揚の無い声が俺の頭に響いてくる。さながら魔法で話しかけられているかのように。
…かつての世界、というのは、つまり魔法のあるあの異世界の事だろうか。確かにあそこは危険に満ちている。この世界は魔法もなく、秩序がある。平穏な生活が出来るだろう。向こうの世界に戻るというのは、そういった平々凡々な生活に別れを告げるという事でもある。
だが俺は迷う事なく後者を選んだ。このままここに居ても、俺はただの政治家になれなかった男として生きていくだけになる。例えそれが平穏な道でも、そんなものよりも、俺は俺の意志で生きていける世界、あの世界に戻りたい。
あの世界で生きてこれたのは、エレグという別の魔人の力があってこそ、という一面は確かにある。
それでも俺があそこで生きてこれたのは、仲間達が居たからだ。そしてその仲間を得られたのは、きっと、俺が俺だからだ。俺を信じてくれたからだ。その信頼に応えなければいけない。その信頼を失いたくない。俺は…俺は、あいつらと生きていたい。
『生の道を選ぶなら このまま戸を超え 戻るが良い 穏やかな 平凡なる道を 行く如く』
『死の道を選ぶなら このまま身を投げ 念じるが良い 死して尚 生きる道を 選ぶ事』
その声と共に、屋上のドアが光り出した。そして、転落防止用に設けられたフェンスが一箇所外れ、そして黒くおどろおどろしい煙がそれを取り囲んだ。
ドアが生の道、フェンスの先が死の道という事だろうか。
…色々ごめんな、無駄金さん。この体、捨てさせてもらう。
声を信じていいのかは分からない。信じる理由は何一つ無い。だが縋れるものはそれしか無い。今残されている、もしかするとあの世界に戻れるかもしれない方法は、ただ一つしか無い。
俺は意を決して、車椅子を加速させて、フェンスの外へと飛び出した。
落下すると重い頭の方が地面=コンクリートを向く。視界に入るそれがどんどんと近づいていくのが分かる。今まさに激突するというところで、俺は目を瞑りーーー。
グシャッ、という音と共に、俺の意識は消えた。
『『お前の 選択 見届けた 最後の 審判 今より 下す』』
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