第三話 魔王様の街角訪問〜城下町編〜
私はジュゼ・トーン・リマイド。現在の魔界の知大臣です。魔王様の秘書的な役割と思って頂ければ良いかと存じます。私には信じられるものが一つございます。お金です。お金は裏切りません。お金は身を守ってくれます。お金は武器にもなります。この胡乱な魔界に於いて、他に信じられるものがありましょうか。いえ、あるわけがございません。私はそんな信念を持って生きております。
さて、ご挨拶はこれくらいに致しまして、本題に入りましょう。本題とは魔王様の件でございます。以前の魔王様は民に目もくれず豪遊三昧でしたが、今の魔王様は違うようで、城下町の様子を見たいと申されました。私は止めました。何故止めずにいられましょうや。魔界の城下町が如何なる場所かを知っていれば、当然止めるというものです。ですがそれでも「魔王をやる以上、自国の民の様子を見ておかないとダメだろう」と仰るのです。嗚呼、何というお人好しでしょうか。私とトンスケに嵌められたも同然の立場だというのに、それを早々に受け入れておられるのです。私は顔には出さないよう努めましたが、心の底では率直に申し上げると愚かな人だと思って見ていました。ですが同時に丁度良い機会だとも思いました。この魔王様の発言が上っ面だけの方便なのか、本気でそう思っているのか、その辺りを見極める良い機会になるかもしれない、と。と言いますのも、主に以前の魔王様のせいで、城下町ですら荒れ放題です。それを見てどう思うのか、どう対応するのかを見れば、この方が真に仕えるべき魔王様か、それともやはり信じられるのはお金だけなのか、というのを考える材料になるかと思ったのです。
そういうわけで、私はその申し出を了承し、出立の準備を始めました。元の魔王様の事もあり、視察だけであれば、素顔のまま外出されるのは控えた方が良いと思い、魔王様の服を見立てに玉座の間を出て衣装室へと向かうことにしました。それを止める方がいらっしゃいました。トンスケです。
「止めた方が良いのでは?治安が悪いですし、せめて護衛でも付けた方が。」
と彼は申しました。嗚呼忠義心。彼は元の魔王様の事は率直に言って嫌っていました。だからこそまともな感性を持っていると思われる今の魔王様を案じているのでしょう。
「大丈夫です。私が着いていきますので。」
まだあの魔王様はまともに魔法も使えません。私が着いていかなければご自身の身も守れないでしょうから。そう言うとトンスケは得心して去っていきました。私も信頼されているものです。ですが私が着いていくのにはもう一つ理由がございました。どういう魔王様かを見た結果によっては何らかの処置をすぐに取り行えるからです。余りに愚かな魔王様であれば、中身を変えるか、あるいは。そんな考えもあったことは否定致しません。ふと、顔に出ていないかと不安になり鏡を見ると、そこにはいつも通り、氷のような自分の顔がありました。
さて。小一時間程した後、魔王様はフードを被り、護身用に杖を持って、裏口を通って城下町へ向かいました。私も同行し、彼と同じように顔を隠しています。そして城下町に着いた時、
「うわぁ。」
と思わず口にしていました。顔に出さないように努めていたようですが、顔に出やすい性格らしく、明らかに予想以上に酷いと思っている顔が眼前にありました。
城下町は荒れ果てていました。家々が古ぼけているというわけではありません。魔界の家屋は基本的に木製ですが、魔法により強化されているのと、魔界の木を使用しているので、長期間の利用が可能な耐用性を備えています。自然界の方々から見ますと、中々異様な見栄えのようではございますが。
荒れ果てているのは人々の方です。服はボロボロで、食事もできていないのか姿は痩せこけて、歩く姿もどこか俯いていて気力が感じられません。街中には『無能な魔王は辞めろ』という張り紙が貼られています。魔王の城下町だというのに何と言う事でしょうか。しかし元の魔王様は全く意に介していませんでした。理由は簡単。城に籠もって何もしなかったからです。民の事など何も考えていなかったから、民がどうなろうと、民が何をしても気に留める事すらありませんでした。だからこそこの荒れ具合なのです。
魔王様はその様相に絶句し、そしてぶつぶつと何かを呟き始めました。諦めたのかと思って耳を攲てると、
「これだと城の外も不味いかもしれん。でも全部は見切れないから使者を派遣して状況確認が必要だな。しかし問題は時間だ。三ヶ月だとどこまで対処出来るか。手っ取り早いのは治安維持か?軍の人数は何人いる?一部を割いて警備に回すか?しかし国の防備が必要かにも寄るな。まず外敵勢力の確認をしないと…。食料の自給率とか城の備蓄を割けるか?でもそれでも雀の涙だよなあ…。」
と、どうやら今後の方針を考えているようです。私は驚きました。この人は真面目に今後魔王としてやっていくつもりなのかと。
「魔王様。呟くのも結構ですが、聞こえると奇異の目で見られますので、ご注意を。」
「あ、いや、すまん。口に出てたか。」
そういうと彼は黙りました。ですが顔は真っ青です。元々赤めの皮膚なので余計に目立ちます。ふむ。どうやら捨てたものではないようです。
そのまま街を歩いて人気のないところで、魔王様に尋ねられました。
「ここの人達の食料ってどうなってるんだ?」
私は正直に答えました。
「自給自足となっています。…食べられてない人がいるとは思いますが、政府では把握していないのが実情です。」
「くそ。あーもう、前任を恨むぞ本当に!!全然何もしてねえな!!」
私が元の魔王様を放逐したのもこれが原因でした。本当に、民に対し目を向けない方でした。
「食料になるものってあるのか?」
「野生化した魔獣・魔人の肉…でしょうか。凶暴化した魔獣・魔人というのは魔物という扱いになりまして、その魔物は狩る事が推奨されています。その肉が食料となったり、色々な素材として活用出来たりしますね。」
「うえ、同族殺しか…。」
「そちらの世界の倫理ではあまりよろしくないかとは思いますが、見ての通り魔界は生きるか死ぬかの瀬戸際ですので、中々そうも言ってられないのです。」
「まあ、理解は出来る。仕方ない。魔物狩りを進めて食料供給を増やすか…。」
また魔王様は考え出しました。その時です。
「だれかあ!!たすけてえ!!」
幼い女の悲鳴が聞こえてきました。その方向を魔王様と同時に振り向くと、今まさに野生の狼族、即ち魔物が、少女に牙を突き立て食らおうとしていました。辺りに人はいませんし、いたとしても誰も気にしないでしょう。魔界では残念ながら良くあることです。ですが魔王様は違いました。
「ジュゼ!!俺の魔力を!!」
突然叫びました。私は驚きながらも答えました。
「え、いやしかし、今やったら彼女に正体がバレるのでは?」
それに魔界であれば、この程度の出来事は良くあることです。
「うるせえ!!そんなこと言ってる場合か!!あの娘が死んじまうだろ!!」
そうしている間に彼女に魔物の牙が突き立てられようとしています。すると魔王様は「もういい!!」と叫ぶと、ローブを「邪魔だ!!」と投げ捨て、手元の杖を振りかざし魔物に殴りかかりました。すると魔物は魔王様に気付いたのか、魔王様の方へ向かってきました。彼は杖を横にして魔物の口に突っ込み、何とか耐えています。
私は唖然としてその姿を見ていました。彼は今は魔法がロクに使えません。なのにあのような魔物に殴りかかるなど、見る人が見れば自殺願望でもあると錯覚する程の暴挙です。ですが彼はそれを止めません。私は呆然とその姿を眺めてしまいました。何をしているのだろう、と。
やがて私は正気に戻りました。私は何の為にここにいるのか?魔王様の警護のためです。そして最悪の場合は…。ですが、その最悪の場合は成立しない事が既に分かっています。であれば何をすべきか?答えは一つです。
「全く、手間の掛かる…!!魔王様!!心の準備はよろしいですか!?」
私はシンクロ魔法を唱え始めました。これは誰かの体を借りる魔法。ただしその誰かが心を私に許してくれなければなりません。
「も、勿論だ!!早く!!涎が!!涎が垂れてる!!」
今にも杖を噛み砕き食らわんとする魔物に戦々恐々としている魔王様。長く保たない事は明白です。私は急いで準備を整え、呪文を叫びました。
「ズィーナ・ロ・シンク!!」
すると私の体が魔王様の体と同調しました。私の目は魔王様の目。眼前に魔物が居るのが見えます。同時に魔王様の心の中も読み取れました。自分と少女の身を案じている事。魔界の今後を案じている事。今までの全てがうわべで無く、本心からのそれである事が理解出来ました。やはり私のすべき事は間違いなく一つでした。
私は魔王様の体内に迸る魔力の奔流を制御しながら、杖に炎の魔力を込めていきました。すると杖の周りから炎が迸り、眼前の魔物へと向かいます。魔物はそれに気づくと杖を離し距離を取りました。
魔王様は一時的に体を使いたいと思っていました。なので私が体をお返しすると、彼は魔物に対し叫びました。
「刮目せよ!!我は魔王エレグ・ジェイント・ガーヴメンド!!魔界の如何なる者をも等しく守り、如何なる罪人にも等しく罰を下す者!!幼き子を脅かす魔物よ、その罪身を以て償うが良い!!」
そして魔王様は体を渡してきました。これがやりたかったのですね。まあいいです。私は杖から溢れる炎を調整し、魔物だけを包み込むようにした後、杖を振り下ろしました。すると炎は魔物を焼き尽くし、死霊族への転生、即ち骨となった後、その骨すら残さず灰にしました。
終わったのを確認し、私はシンクロ魔法を解除しました。私の視点は魔王様のそれから、本来の私のそれへと戻っていきます。魔王様はしばし呆然とした後、ハッと正気に戻ると、少女へ駆け寄りました。
「だ、大丈夫か。」
取り繕うように威厳を込めていましたが、残念ながら多少上擦っていました。私も近寄り少女の様子を見ると、彼女はすんでのところで助かったようで、牙が刺さること無く助かっていました。血も流していません。それをご自身の目でも確認されたのか、魔王様はホッと胸を撫で下ろしておりました。
「あ、あの、ま、魔王…様?」
少女がウルウルとした目で尋ねてきました。その目には恐怖と畏敬の念が入り混じって、どう見ればいいのかわからないという様子でした。それを見た魔王様は慌てて言いました。
「あ、ああ。ただ通り掛かっただけだ。気にするな。それより、危ないから一人で出歩いてはいけない。親はいるのか?」
すると少女は言いました。彼の優しさの込められた言葉に、その目と声色から恐怖の色は消え失せていました。
「い、います。…あ、後ろに。」
私達が振り向くと、どうやら一部始終を見ていたと思われる女性が、慌てて駆け寄ってきました。悲鳴を聞いて駆けつけてきたようでした。息も絶え絶えです。
「はあ、はあ、ミ、ミーア!!良かった、良かった…!!ま、魔王様!?わ、私の娘を…!?あ、その、あ、ありがとうございます!!」
母親も、今までの魔王様のイメージと異なる行動に困惑しているようでした。
「いやいやいやいや、ただ、その、通りすがっただけだ。そこな女、その、子供から目を離してはいかんぞ。我がまた通りかかるとも限らんからな。では失敬。」
無理矢理否定すると、魔王様はスタスタと立ち去っていきました。私は彼女らにお辞儀をすると、彼に付き添って立ち去ることにしました。振り向くと、母親が何度もお辞儀をし、少女は敬意の篭った眼差しでこちらをずっと見つめていました。
「失礼ながらお聞きしたいのですが、何故彼女を助けたのです?」
「は?」
十分離れた場所で、私が魔王様に尋ねると、彼は聞き返しました。
「助けない理由がないだろ?あのままだと彼女死んでたぞ?」
「そうかもしれません。ですが、元々魔界とはそういう所です。恐らく他に誰かが居たとしても誰も助けたりはしなかったでしょう。」
「だからって目の前で死にそうな奴を助けないわけにいくか。俺はそういう考えなの。悪いか?」
彼の目は真っ直ぐで、全く嘘が無いように見えました。
「…いえ、良い考えかと思います。」
私は口角が自然と上がるのを感じました。
「なんだよ笑ったりして。」
「いえ、大したことではありません。ええ、大したことではありません。改めて、先程は遅くなり失礼致しました。次に似たような事があれば迅速に対応致します。」
「あ、ああ。よろしく頼む。」
「ええ。…さて、ローブも捨ててしまったので、これ以上歩いていると他の人の目に触れる恐れがあります。城へ帰りましょうか。先程の魔法の復習もした方がいいでしょうし。」
そう私が提案すると、彼は同意しました。私は転移魔法で城へ帰ることにしました。城に帰った私の目に鏡が写りました。そこにはいつもの氷のような自分の顔は無く、少し綻んだ春のような顔がありました。
私はジュゼ・トーン・リマイド。現在の魔界の知大臣です。今の私には信じられるものが二つございます。一つはお金です。お金は裏切りません。お金は身を守ってくれます。お金は武器にもなります。この胡乱な魔界に於いて、他に信じられるものがありましょうか。かつての私であればノーと答えた事でしょう。ですが、今はもう一つありますと答える事が出来ます。その"一つ"が何なのかは、今は伏せる事にしましょう。
期待していますよ、魔王様。
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