聖地巡礼
チタン
第1話
朝日が部屋に差し込んでくる。女は目をこすりながら起き上がった。昨日の疲れが抜けてないのか体がだるかった。なにしろ昨日は長旅だったからな、と女は思った。
時計に目をやると午前7時を回ったところだった。
この部屋には昨日チェックインした。1週間だけ滞在するためのウィークリーマンションだ。手狭だが清潔感のある部屋だった。
女は朝食を摂ろうと、昨日コンビニエンスストアで買ってきた出来合いの弁当をレンジで温め始めた。
そして朝食の前に、日課である朝の礼拝をしようと、手を組みながら天を仰いで祈りの言葉を唱えた。女は「天啓教」という新興宗教の敬虔な信徒だった。
「天にまします全なる
礼拝は15分ほど、日に2回行う。
天に向かって祈りを捧げ、世界と一体になった我らが神に日々の安寧を願うのだ。
午前7時40分。
この滞在にあたって、オプションで1週間だけ新聞をとった。女は長年、電子媒体でニュースを読んできたので、紙媒体で新聞を読むのをこの旅の一つの楽しみにしていた。
郵便受けから朝刊を取ってきてバッと広げた。女はまず朝刊をなんとなく斜めに読んでみた。紙を広げてニュースを読むのはとても新鮮な気持ちだった。
朝刊には見慣れない言葉の羅列、そして極め付けは印字された2020年6月15日という日付、それらを見て女は初めて自分が本当にこの地に降り立ったことを実感した。
女はとても遠いところから、ここにやって来た。
遠い、と言っても距離の話ではない。
彼女はここから100年先の未来からやってきたのだ。
♢♢
この時間旅行は女にとって単なる観光ではなく、明確な目的があった。その目的とは、自分の信じる「神に会う」ことだ。
「神に会う」とは単に聖地を巡礼するのでもなければ、概念的な話でもない。この時代には
ちなみに最近未来では宗教家達の時間旅行が流行っている。
私自身もこの旅行のきっかけは旅行会社の営業マンに勧められたことだが、この流行はみなの信心を深める良いことだな、と女は思っていた。
新聞を流し読みし終えると女は不満げな様子で身支度を始めた。
なぜ彼女が不満げかといえば、新聞のどこにも「天流院光聖」という文字も、彼の開いた「天啓教 」の文字もなかったからだ。
彼が神の啓示を得て天啓教を立ち上げたのは2019年6月15日、つまり今日のことである。彼、天流院光聖は今日、「天にまします神を信じなさい」という天からの声を聞き、教祖として目醒めるはずなのだ。
ならば、その偉大な出来事の予兆が新聞に記載されていてもおかしくないはずなのに……。
まあそれもこれから、我らが神であられる教祖様を直に拝見できることと比べれば些細なことだ。得てして世間というのは、いかに素晴らしいものでも受け入れるのに時間がかかるものだし。実際、2119年でだって蒙昧な人々は偉大な神を受け入れられずにいるのだ。
そんなことを考えながらいつもより入念に化粧をし、身なりを整え終えると、女は期待と興奮に胸を膨らませながら部屋を出た。
午前11時。
女は教祖の住んでいたとされる街に到着した。天流院光聖は現世で「佐藤 康生」と名乗っており、この頃は思索のために世捨て人として生きていたと伝えられている。
昼間にも関わらず、街は閑散とした様子だった。
少し歩いていると、中年の主婦が向こうから歩いてきた。
女は主婦に声をかけた。
「すみません、少しお尋ねしたいんですが」
「ええ、どうされました?」
主婦は快く応じた。
「佐藤 康生さんという方をご存知ないですか?」
「佐藤さんですか? ごめんなさいねぇ、わからないわ」
女は肩を落とした。
「では、ここら辺に川はありません?」
たしか教祖様は街の端に流れる川のほとりで思索に励まれていたと真聖書に記述があった。そこに行けば会えるのではないかと女は考えた。
「川ですか? それならここを道なりに行くと見えてきますよ」
「ああ、そうですか。ありがとうございます」
「いいえ、それでは」
「あ、少し待ってください」
女は主婦を呼び止めた。
「はい?」
「あなたは何か信仰をお持ちですか?」
「はぁ……?」
主婦は途端に怪訝そうな顔になった。
この反応、どうやら神の住まわれる街においてすら、まだ信仰は広まっていないらしい。それならば、彼女を信仰に目覚めさせるのも信徒たる自分の役割だろう、と女は思った。
「天にまします神を信じなさい」
「あら、宗教の勧誘ですか? あいにく興味ないの。失礼しますね」
女の言葉を聞くと主婦は足早に去っていった。遠ざかる主婦の背中を見ながら、女は憐れみに胸を包まれた。「神を信じる以外にこの世に慰めはないのに。また憐れな人を救えなかったわ」と。
過ぎたことを気にしても仕方ない。
女は主婦に教えてもらった通り、道なりに歩き始めた。
しばらく歩くと川が見えてきた。水の濁った大きな川だった。
教祖様は今もこの近くにいらっしゃるのでは、と女は期待した。
女は土手に降りて、川沿いを歩いた。
土手の道には草が生い茂っており、歩くたびスネに当たる草を少し不快に感じた。
しかし、この川で教祖様が思索に励まれていたと思うと、そんなことはどうでもいいくらい胸がいっぱいだった。
土手を歩いていると、大きな橋が見えた。近づいていくと、橋の下に浮浪者が座り込んでいた。
浮浪者はダンボールを地面に敷き、何をするわけでもなく、その上に座っていた。ダンボールの上には小鍋や毛布、ワンカップの焼酎瓶や食べ終えたカップラーメンの容器が敷き詰められていた。どうやら浮浪者はこの橋の下で生活しているらしかった。
汚れた服にボサボサの髪、髭は伸びっぱなし、何日も体を洗っていなさそうな小汚い身なりだった。
とても話しかける気にはなれず、女は浮浪者を避けるため一度、土手から上の道に上がろうと近くの階段を登り始めた。
階段を登り終えようとしたところで、不意に土手の方から声が聞こえた。
「あー、今日も仙人がいるぞー」
振り返って見てみると、何人かの子供たちが浮浪者を指差しながら口々に喚いていた。
「今日は『わたしは神だ』とか言わないのかよ!」
「仙人は頭がオカシイってみんな言ってるぞー!」
どうやら川岸に住み着く浮浪者を子供たちが馬鹿にしているようだった。
しかもその内容を聞いていると、この浮浪者は自分を「神」と宣っているらしい。
それを聞きながら女は内心、「本物の神がいる街で自らを神を名乗るとは」と浮浪者の滑稽さを蔑んだ。
子供たちの声にしばらく黙っていた浮浪者だったが、一向に止まない侮蔑の声に、ふっと立ち上がって叫んだ。
「黙れ! 猿にも劣るガキどもめ! 神からの罰が下るぞ!」
浮浪者の怒声に子供たちは肩をビクつかせた。
「仙人が怒ったぞ、みんな逃げろー!」
先頭にいたヤンチャそうな子供がそう言って走り出すと、他の子供たちもみな一斉に走り去っていった。
一連の光景を土手の上から見ていた女は浮浪者を擁護する気にはなれなかったが、同情の心が湧いてきていた。
天啓教の教えにも弱き者に手を差し伸べよ、とある。女はこの哀れな浮浪者に、せめて慰めの言葉を掛けてこの場を去ろうと考えた。
しかし、自分を神と宣う浮浪者に慰めを与えるには、真の信仰に目覚めさせなければならない。なぜなら、女にとって本当の慰めとは神への信仰をおいて他にはないからだ。
であるならばこの言葉が適切だろう。
女は橋の上から浮浪者へこう言った。
「天にまします神を信じなさい」
浮浪者は驚いて上を見上げた。しかし、橋の下から女の姿は見えるはずもなかった。
浮浪者が橋の下から這い出て、上を確認したときには、女はとっくに立ち去っていた。
彼は女の言葉を、天からの声だと思ったに違いない……。
聖地巡礼 チタン @buntaito
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