第552話【加藤弥生 頑張ります3】

<<加藤弥生視点>>

医学部の教授の1人シュワルツ先生は、この学校の卒業生です。


もう卒業して30年位になるかしら。


入学してきた当初はちょっと尖ってて、よく叱られていたわね。


当時の先生達が教務室でぼやいているのをよく耳にしていたから覚えているわ。


授業もサボりがちで単位が危なかったって聞いてたけど、あの事件以来すっかり医学を志すようになっちゃって。


今じゃ国際連合医師部会の中心メンバーなんだから、人間って何がきっかけになるか分からないものね。


彼が医師になるきっかけとなった事件とは.....






「シュワルツ君!あなた!またサボってるのね!駄目じゃない!」


「やべっ、サヅナ先生!」


「こらっ、逃げるな!待てっ!」


学内の庭園のベンチに寝そべりいつものようにサボっているシュワルツ学生。


彼は厳格な医師の父親とその星でナイチンゲールとして働く母親の間に生まれたひとり息子であった。


彼に意思には関係なく、生まれた時から医師になることを義務付けられた彼は、幼少期より医者としての英才教育を受けていた。


そして父母が卒業したこの大学へと進学してきたのだ。


漠然と医師になるものだと思ってはいるが明確な目標が彼には無かった。


同級生が国際連合本部や異世界防衛連合軍、その他国際連合の下部組織をそれぞれ志願し、それに向けて学び、将来の夢を語るのを聞きながら、自分は何をしたいのだろうって考える。


でも、彼は分からなかった。自分が何がしたいのか。


医師になって父親のように、毎日患者を診る。


それが今自分に与えられた使命だ。そう思っている。


でもそれがしたいことかと言われると、違う気もする。


そんな漠然とした中で、彼は考え続けていた。いやサボっていた。



サヅナ先生に見つかったシュワルツは急いで荷物を抱えると一目散に逃げる。


勝手知ったる場所。彼は茂みに入り込むとまんまとサヅナ先生を撒くことに成功した。


「少し外にでも出てみるかな。」


辿り着いた場所は庭園を抜けた先にある学生門の前。


そこから外に出ると学生目当ての商店街に様々な店が整然と並んでいる。


授業を終えた学生や、授業と授業の間の時間を仲間と共に過ごす学生の声が商店街の通路にまで溢れていた。


なんとなく商店街を歩いていた彼は、細い路地の片隅で蹲る少女を見つけた。


どこにでもある廉価な服を着た少女を見た彼は彼女の元に近寄る。


「大丈夫かい?」


「......」


「どこか痛いの..あっ、血が....」


声を掛けても返事が無かったので、彼は少女の肩に手を掛けようとして驚いた。


少女の脇腹にはナイフが突き刺さっていたのだ。


周りを見渡すが、こんな路地には誰もいない。


「誰か!誰か、手伝って!」


表通りまで出て助けを乞うと、向かいの八百屋の親父が近づいてきた。


「この路地の奥で女の子が血を出して倒れているのです。どうか一緒に病院まで運んでください。」


「病院って言ったってなあ。この辺りの奴じゃ満足に治療費も払えねえぜ。」


「大丈夫です。僕が払いますから。とにかく学内の病院までお願いします。」


八百屋の親父は訝しがりながらもシュワルツ少年の懸命さに負けて、彼の案内で少女を学内の附属病院へと連れて行った。



「シュワルツ君、とりあえずは大丈夫だ。よく助けてあげたね。」


病院で診察してくれたのは医学部で教鞭を執るガイツ先生。

外科手術の名医で、すぐに手術対応してくれた。


麻酔が利いてよく眠っている少女。そのあどけない顔にシュワルツの表情も緩む。


点滴と輸血で血色も戻ってきたように見えた。


「有難うございました、ガイツ先生。」


「うん、3週間も入院すれば大丈夫じゃないかな。ただ、ちょっと気になることがあるんだ。


しばらく僕が検査と経過観察しておくよ。」


「よろしくお願いします。」


ぺこりと頭を下げるシュワルツ。そしてその日から彼のお見舞いに向かう姿が病院で見かけられるようになったのだ。


「やあ、容態はどうだい?だいぶ顔色が良くなったね。」


「シュワルツさん、ありがとうございました。突然刺された時はもうだめだと思いました。」


日に日に回復していく少女の姿をシュワルツは眩しそうに見ていた。


「シュワルツ君。ちょっと良いかな。」


そんなある日、ガイツ先生に呼ばれたシュワルツは彼の研究室へと連れていかれる。


「実はね、どうやら彼女は白血病らしいんだ。しかもかなり進行していてもう手の打ちようがない状況だ。」


「白血病...」


「外科手術をした際に血がなかなか止まらなかったから、気になっていたんだ。

精密検査の結果がさっき出て、それで分かったんだよ。」


医師として幼いころから英才教育を受けていたシュワルツ。


当然白血病のことは知っていたし、末期となればそれが意味することも。


少女には身寄りが無かった。孤児院で育ち、小さな子達の面倒を見るのが彼女の仕事だったのだ。


そんな小さな世界しか知らずに、この歳で死の宣告を受けるなんて。


彼の家は医師の家系だ。当然病院で亡くなっていく大勢の人達を見てきた。


小さな頃からその光景を見ていた彼には、当たり前の光景であり、そこに私情はなかった。


だが今は違う。残り少ない命とは知らずに薄幸ながらも懸命に生きていこうする少女は、今の彼には眩し過ぎる存在なのだ。


教授の研究室を飛び出した彼が少女の病室を訪れたのは、その5日後だった。


病室に入ったシュワルツは自分の目を疑う。


前日の夕刻、容態が急変した少女は、既に危篤状態に陥っていた。


ガイツ先生が、ベッドに近付いたシュワルツに声を掛ける。


「昨日、容態が急変してね。もう意識もほとんどないはずだ。

今晩が山だろうね。」


シュワルツは5日間も少女を訪ねられなかった弱い自分を悔やんだ。


自分なんかより彼女の方がずっと不安だったはずなのだ。それなのに、それなのに...


少女の手を握る。少し冷たくなっているその手は握り返してこなかった。


シュワルツの目から涙がこぼれる。


そしてシュワルツは彼女の手を離すことが出来なかった。


そしてその夜、何時頃だろうか?


睡魔と戦いながらも、力ない少女の手を握り続けていたシュワルツの手に、ほんの少しだけ手を握り返してきた感触があった。


その微かな握力から「ありがとう」という言葉が流れ込んできた気がして、シュワルツはハッとして少女を見た。


そして少女がその短い人生を閉じたことを悟ったのだ。









「イザベラ君。この病気の症状について説明して下さい。」


「は、はい。その病気は...........」


それから憑き物を落とされたかのようにシュワルツ君は勉強するようになったんだったわね。


『あの時の少女のような子供をひとりでも救いたい。』


彼の信念はそこで決まった。そして彼は父親の病院を継がずに、ここに残って研究と後進の育成に力を注ぐようになったのよね。



上手く機能し出してくれて本当に良かったわ。


彼のような優秀な人材がひとりでも多く育ってくれることが、この学校を創設したイリヤ様やわたし達の願いなんだからね。

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