第10話 ハゲ襲撃


 殴られた勢いで机が浮かび、上にあった飴やらタバコやら書類やらが床に散らばった。だが『歯車』と書かれたネームプレートはぎりぎりで端に止まった。

 素早くネームプレートを元の位置に戻して歯車が唾を飛ばした。

「お前、てめぇがどんなことをやりやがったのかわかってんのか」

「なにいってんだよ。あいつは確かに死んだけどここには生きているだろうが」

 茹でられた蟹よりも赤く、生きている蟹よりも歯車は泡をくった。

 一方、二階堂は自分でも何を言っているのかわからないまま歯車と言い合っていた。

「なんの話をしてますの」浄子が苛立たしげにつま先で床を叩いた。「ここにはまともな物がなに一つもありませんわね。そこのあなた、飲み物もってきなさい」

 歯車は今にも机をひっくり返しそうな勢いだった。

「だからお前には無理だと言ったんだ。たしかにこいつは似てるがな、そこらの娼婦とっ捕まえてきてそれらしい服を着せただけだろ」

「違うって、確かに殺されたけどよ、そのあとこいつが」マリアを指さした。「こいつがこの馬鹿女を生き返らせたんだよ」

「ふふ、馬鹿女ですって、言われてますわよ」浄子がマリアにじゃれついた。

「くそが賠償はもういい。もう二度とここに来るな。お前はもう終わってるんだ。電話がよ。電話が来たんだ」

「はぁ?話を聞けっての」

「制服ゥ!」

 制服警官が姿勢を正した。

「は」

「こいつをぶっころせ」

 構えるが早いか銃声が部屋中を転がり回った。制服警官の射撃が下手くそで良かった。二階堂は無傷だった。

 歯車にしがみついて頭に銃を突きつけた。

「撃つなぁ、撃つなぁ」

 歯車が喚いた。制服の動きが止まった。

「どういうことなんだよ」

「どういうもなんも、お前が敵に回した連中がヤバすぎるってタダそれだけなんだよ」

 歯車は大学を出たキャリアだ。キャリアとはいえども、警察という縦社会における階級間における情報の断絶は大きい。歯車は鬱陶しいが所詮は警察と出来高とを繋ぐ仲介業だ。殺すほどでもない。

 歯車の首を押さえたまま窓ガラスを撃った。歯車の首が縮んだ。

「殺しはしねーよ」

 ここは二階だった。下には車もある。なんとかなるだろう。

「お前はここで保護して貰え」

 浄子に言って飛び降りた。

「待って下さいましー」

 どういうつもりか浄子も二階堂を追って窓から飛び降りた。


「なんですのこのしみったれた店は」

 早速浄子が馬鹿を言った。

「しみったれてて悪かったな」

 追っ手を撒くのに夜までかかった。

 店内にはサボり警官がまばらにいる。こいつらに捕まる心配はない。朝来て夜まで飲んでいる連中だからだ。

 浄子は無神経に歩みを進め、この世で最も繊細なうだつの上がらない四〇目前の警官に絡んでいた。

 碌な目にあわないだろうが放っておいてカウンターに座る。保栄茂に借りていた服は汚れていた。

「追っ手は撒いてきたんだろうな」

「殺さないようにするのが以外とムズくてな」

 出されたウィスキーを飲んだ。

「面倒くさそうな話だな。だが、撒いてきたんならそれでいい」

「そこのおハゲ。二百年もののワインを。私のおごりでこの方々に」

 テーブル席から浄子が叫んだ。

「んなもんねーよ」

 叫びかえして保栄茂が眉をしかめた。

「なんなんだあの女は」

「わかんねーんだよな、いきなり生き返ってよ。丁度いい、ミルクでも出してろ」

「生き返ったってどういうことだよ」

「このガキが手をかざしたら生き返ったんだよ」

 いつの間にか隣にマリアがいた。

「わけがわからんな。この子がか」

 マリアは出されたミルクを無言で飲んでいた。

「あなたがた昼間からお酒を飲んでましたのね。良いご身分ですわね、仲良くしてあげますわ」

 浄子が警官に胸を張り、威張り倒している。

 保栄茂が頭を抱えた。

「いつの間にこの店は女子供たまり場になったんだ」

 保栄茂の嫌味も今の二階堂にはなんてことはなかった。

「まぁまぁ、こんな店は五〇〇くらい買い取れるくらいの金は入ったんだから勘弁してくれよ」

「ヤベェ山に手を出したみたいだな」

「そうなんだよ、あのお嬢様を守れって命令されてたんだけど、なんだかんだで買収されちまってさ」

「そんでぶっ殺したら蘇ったってか。そんで金は貰ってるんだろ。キナくせぇキナくせぇ。それ以上俺に話すな」

 テーブル席の方からガラスが割れる音がした。

「このガキが生意気言いやがってひんむいてやる。大人を舐めるなよ」

「ハゲ、ちょっとハゲ、助けなさい」

 巨漢警官に足を持たれ宙ぶらりんになっていた。スカートを抑えながらわめき散らしている。

 店を壊されたら面倒だな。嘆息して保栄茂がジョッキを置いた。

「ハゲってよぶんじゃないよ。側面には生えてるんだからな。そもそもハゲというのは弱点をさらけ出すことでその強さを表現するための生存戦略なのさ。インドの神カーリーが当時は内臓とされていた舌をさらけ出すのと同じなんだよ。本質的に自分の弱点が頭脳であるってのを理解しているんだな、これが。昔、脳みそは鼻水を作るためのものと考えられていた。当時もっとも頭の良かった連中でさえこれなんだ。つまりだな、ハゲってのは産まれながらにして、遺伝子からして、脳が大事であると知っているナチュラルボーンに頭の良い連中特有の体質なんだよ。これは生まれ持った才能なんだ」

 ぶつぶつ言いながら保栄茂がカウンターを出て行く。

 カウンターに居る客はキープの瓶を抱いて寝ていた。

 話し相手が居なくなると暇になる。

 浄子の騒ぎを見物するのもよかった。

 だが、今後のことを考えなければならない。山岸の言葉はまだひっかかる。その時が来たら分かる、とはいうが、その時とはどう言う時のことを言うのだろう。貰った名刺をみた。山岸才蔵。書かれてある電話番号に電話をかけるか迷った。

 浄子が生きているのなら、山岸も裏切られたと思っているのだろうか。

 だが、実際に山岸は自分で浄子を撃ったし、もし裏切られたと思っていても浄子をまた殺して差し出せばどうにかなるだろう。それに保栄茂は二階堂の教官である。付き合いもそう短くはない。普段は冴えないハゲの親父だが、いざというときは役に立つ。汚職をしたことがないという噂も聞いてる。本当ならこの街で誰よりも信用できるはあずだ。

 ちら、とテーブルをみた。助けて貰った浄子がテーブルの上にのって保栄茂に説教を垂れている。

 電話をかけるとワンコールででた。電話越しにエンジン音が聞こえる。車にでも乗っているのだろう。

「いやぁ、どうやったんですか。やってくれましたね」

「私にだってわからないんだよ。金持ちだから勝手に蘇ったのかも知れないだろ。それにヤバくなったら助けてくれるんだよな」

「それは罠をかけているつもりなんでしょうか。今度は向こうに寝返ったんですかね。ま、どちらにせよ出向こうと思ってた頃合いです。依頼が更新されたのでね」

 言葉の裏には報復が見え隠れしている。あんなのにもう一度会ったら今度は本当に死ぬ。浄子じゃあるまいし蘇れるかどうかも分からない。

「頼むよ。またあの女を渡すからさ。金、半分。半分やるからなんとかならないか」

「預金、みてみたらどうですか」

 預金を確認した。白目を剥きそうになる。何度見直しても0円だ。

「全部ガメやがったな。私の貯金と前金まで」

「三〇〇〇万は手間賃って事でお疲れ会で使わせて貰いますよ。若いのに結構持ってますね。安心してくださいあなたの葬式代はうちが出しますので」

 丁度店の近くを救急車が通った。サイレンの音がうるさい。携帯からも救急車のサイレンが鳴った。

 保栄茂が戻ってきて机の上の名刺を取り出す。山岸才蔵。読んでから血相を変えた。

「馬鹿お前なに」

 保栄茂が言い終えぬうちに店の入り口が吹っ飛んだ。ガラス片と木片が店中に散らばった。

 考えるより先にカウンターの裏に飛び込んだ。

 二階堂が姿勢を直した頃にはもう保栄茂はすでにカウンターに背中を預けてガスマスクを顔にはめていた。予備のマスクを貰う。

 息苦しいが頼もしい。ガスマスクの呼吸が覚束ない感覚はかえって二階堂の精神を安定させた。

 催涙弾が飛び込んでくる。ガスが店中に満ちた。とりあえずという具合に保栄茂がショットガンをコッキングし、入り口に撃つ。

 銃を持っているとちらつかせれば安易な突入はしてこないはずだ。

「おい、あいつらエアバーストライフルをもってるぞ」

「そいつはいけねぇな」

 カウンター裏のスイッチに保栄茂が手を伸ばした。

「こいつをやると色々壊れて嫌なんだが」

 押した。電気が消え、テレビが消え、冷蔵庫の電源もとまる。窓や入り口から差し込む街灯や看板の灯りも全部が消えた。保栄茂がスイッチを押した効果だ。保栄茂の店を中心にして半径一〇〇mにある電気機器全てが壊れ、電気が消えた。

 パルス砂を用意していた保栄茂である。店のハイテク対策は十分だったらしい。強力なEMPパルスによってほとんどの電子機器が死んだ。

「バッテリーも全部使い果たしちまった」

 店は真っ暗だった。だが、騒いでいる様子もない。酔いどれ警官たちはまだしっぽり飲んでいる。

「おい、あの女はどこだ。お前の連れだろ」

「どっかで伸びてんだろ」

 浄子はカウンターの内側で伸びていた。爆風で吹き飛ばされたようだ。

「ここにいた」

「運のいい女だな」

 マリアもカウンター裏にいてミルクを飲んでいた。

 入り口から山岸の部隊がゆっくりと侵入している。コンバットブーツがガラスを踏み、じゃり、と音をたてた。

 銃声。

 首を引っ込めた。カウンターに5.56mm弾が突き刺さった。

「大丈夫かよ」

「カウンターは防弾だ。心配するな。ロケット撃ち込まれたって平気だよ。だが、酒瓶がションベン垂れてると腹が立つ」

「どうするよ、特殊部隊だぞ」

「みりゃあ分かる。あの装備をな。物資よりも人材が大切な連中は大体強いんだよ。企業でも兵隊でもな。くそ、この店ローンだったんだぞ」

 二階堂はカウンターに隠れながら向こう側に叫んだ。

「おい山岸。これは勘違いなんだよ。お嬢さんならまた殺すからさ」

「嬉しい申し出ですがね、もう手遅れなんですわ。ウチらと一緒に来て貰いますんで」

「ヤクザかよ、死ね」

 拳銃を撃ちまくった。だが、9mm弾では通らない。

 まさか連中もこんな寂れた店のカウンターが防弾だとは思わないはずだ。催涙ガスが効かないとなれば、このまま制圧射撃をくわえて蜂の巣にすることを望んでいるはずだ。一時的とはいえ優位的だった。

 グレネードなどは放り込んでこない。死体が滅茶苦茶になると確認が面倒だからだ。だが、それは戦いが短期決戦で終わればの話だった。戦いが長引けば間違いなく投擲物で終わらせにくる。五分持てば良い方だろう。

「交渉決裂らしいな、二階堂」

 ショットガンを下ろして保栄茂が立ち上がる。両手を挙げていた。ホールドアップの姿勢だ。俗に言う降参である。

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