第9話 死体襲撃

 とはいえ、二階堂のギャング撃ちの向こう側には武装解除を施した兵士たちがいるばかりだった。

 骨折やダメージでまともに手も握れないはずだ。あの圧倒的不利な状況を考えると奇蹟とも言える状態だった。

「おーい、そこの君。銃を下ろして」

 どうせ向こうには武装した兵士がいない。それでも二階堂は銃を構えたまま山岸と向かい合っていた。

 山岸が二階堂に呼びかけた。

「そのお嬢様、幾らで売ってくれるますかね」

「それを待ってたんだよ」

 一発撃った。銃を持ち直そうとしている兵士の腕に当たった。

 満足げに銃を下ろす。もう銃をまともに持てるのは二階堂と山岸だけだ。

「これで女を殺して私も殺す、なんて真似はできないな」

「そんなことするつもりはありませんよ。我々はいつでも功利主義的ですから」

「だから怖いんだろ」

 ぽっかりとあいた会話の間。

 事情を把握できずにいるのは浄子だけだ。頭突きしてまでも攻撃の意志のない人間を撃つのを止めない。そんな女があっさりと銃を下ろすのが浄子には謎だった。

 山岸が部隊に攻撃をやめさせた理由もまた浄子にはわからない。

 さっさとこの女を殺してしまえばいいのに、と本気で思っていた。折れたテーブルの足でこの女の頭を殴ってしまおうかとさえ画策している。

 二階堂に山岸が笑いかけた。

「二階堂さんですね」

「随分耳が早いね」

「さて、どうでしょうお値段の方は」

「五億くれ」

「わかりました」

「やっぱり十億」

「二十億までなら税引きで出せます」

「なら二十億、税引きで」

「交渉成立ですね」

「もっと出せるか」

「欲しがりすぎは身に毒ですよ」

 おーい、と山岸が会場の入り口に呼びかけた。

 秘書らしきスーツ姿の男が出てくる。

 扉の閉まり際、廊下に別の部隊が見えた。腕を撃たれている彼らだけが山岸の前線力ではないらしい。二階堂は冷や汗が背中を伝うのを感じた。

「この人の口座に二〇億、税引きで。二階堂小夜さんって人ですわ。凍結も解除しといてくだせぇ」

「かしこまりました」

 秘書が端末を操作した。目配せを受けて携帯で口座を確認した。

 二〇億が振り込まれていた。浄子を保護するための依頼額のおよそ百倍に当たる。本当に安く買いたたかれていたらしい。

 体中の毛穴という毛穴が開いた。これだけあれば一億を返したところでいくらでも遊んで暮らせる。なにをしようか、と皮算用をすればするほど体が軽くなるが油断は出来ない。

「はい毎度」

 体を開けて山岸に浄子を狙わせた。握ったままの拳銃を見えないに握り直す。

 もしもの事態に備えて山岸を人質に取るシミュレーションをした。

 浄子が右往左往する。

「今何してますの、ねぇ山岸」

 山岸が鼻で笑った。

「癌はアンタだって事ですよ。お嬢さん、あんたがキャンサー」

「なんですってーっ。山岸あーたね、雇い主の私に牙を剥くなど」

 山岸が腕を伸ばして銃を構えた。銃身が異様に長い独特なリボルバーだ。親指で撃鉄を引く。軽い金属音。

「おやすみなさい」

 山岸の腕の周りに鈍色の輝きがあった。反動で山岸の腕が浮く。食らいつくような凶暴な銃声のあと、抗議のため両手を開いていた浄子がそのまま棒のように後ろに倒れた。大口径で撃たれたためか、後頭部が大きく吹き飛んでいる。脳漿が飛び散り頭蓋骨の破片や脳みそが床を汚していた。山岸が近づく。

 さらに二発が胸に撃ち込まれた。心臓と脊髄。バイタルゾーンを完全に破壊していた。ついでとばかりに山岸が余った三発を胸の辺りに打ちこんだ。

 銃声の度に浄子の体が弾み、千切れた肉片が宙を舞う。

 銃声が止んだ。二階堂は首を伸ばした。浄子が間抜けに口を開いたまま大の字になって死んでいる。

 敵意がないことを示すためか山岸がシリンダーを振り出した。溝の彫り込まれていないノンフルートシリンダーが山岸と油断なく銃に目を向ける二階堂の顔を反射する。薬莢と弾がぱらぱらと床に落ちた。空になったリボルバーを振り戻すと、そのままホルスターにしまう。

 弱めに山岸が拍手した。

「いや、良い機転でしたよ。まさか、あそこから切り返されるとは思いも寄りませんでした。最新兵器は楽しくて良いんですが、対策されちまうとされるがままですな。いや、良い実験になりました。楽しかったです」

 やれやれ、とハンカチで額を拭っている。

「にしても裏切らせちまって悪かったですわ、ま、これからが大変ですけど用があったらすぐに駆けつけますんで。雇われの気苦労という奴には心底、同情します」

「どういう意味だ」

「あら、分からないはずはないんですがねぇ。ま、そのときになりゃあわかりやす」

 山岸が服に手をつっこんだ。

 身構えた。山岸が両手を挙げるようにゆっくり取り出したのは名刺だった。電話番号と名前、さらにメールアドレスが書かれてある。

「なにかあればここへどうぞ」

 音もなく山岸がきびすを返した。

 その後ろ姿に二階堂が叫ぶ。

「医療費は出さないからな」

「みんなすぐ治るんで平気ですよ。死にさえしなけりゃあとは金で時間を買える。良い時代ですわ」

 山岸の声が遠ざかっていく。

 三分ほど待って会場の扉を開ける。

 廊下には誰もいない。まるで最初から何もなかったかのように空っぽだ。

 会場に戻って何度も携帯を確認した。二〇億ある。頬を打った。夢じゃない。

「やった、やった」

 小躍りした。

「これで遊んで暮らせる。人生安泰だぞ。お前一人くらいなら飼ってやれるぞ」

 マリアに言い募った。二〇億も金があれば地元の友達や親を黙らせてもあまらせるくらいの名声になる。

 デカい家を買ってそれから車も買って、掃除や家事はお手伝いにやらせよう。遊びも死ぬほどやれる。

 ひとしりき飛び跳ねて、まだ無事だったテーブルの料理をつまみ食いした。口いっぱいにものを詰めて咀嚼する。

 窓から外を見た。遠くの方にパトカーの赤いランプが光っていた。通報を受けてここへ駆けつけているのだろう。

 マリアが浄子の死体の側に屈んでいた。名残惜しいのだろう。なんだんだで名付け親なのだ。

「このお嬢さんは残念だったな。でも私らは大成功だ。よかったじゃねぇか。帰るぞ」

 浄子の死体の側に座り込んでいるマリアの肩を揺する。

 口の中の物を吹き出した。

 マリアが浄子の死体をもてあそんでいたのだ。飛び散った脳みそや脳漿、頭蓋骨の類いをまるで砂場の山を集めるかのように寄せてきて浄子の頭に戻そうとしていた。

 引き抜いた花を地面におけばまたキレイに咲くと思い込んでいる子供のようだ。

 ぴちゃぴちゃと湿った音がする。マリアのドレスと手は浄子の血と体液で汚れていた。

「おい、おい。死んだ奴は生き返らないんだぞ」

 マリアの腕を引いたが強い力で引き剥がされた。

「おい、止めろよ、そんな事」

 子供故の無心さからか、マリアは脳みそをこねまわし、弾丸によって穴の開いた頭に手を突っ込んで出し入れした。服を破る。けして豊満と言えない浄子の胸がお淑やかに露わになった。大きければ弾むように現れただろう。

 傷口を確かめるように指を突っ込んだ。感触を確かめているようにも見える。

 狂ったかのようにマリアは死体にじっと見入り、いじくり回してた。顔を近づけ臭いも嗅ぐ。表情一つ変えていない。

「お前」

 言うべき言葉が見つからない。いくら鉄火場になれていようと少女が名付け親の死体をかき回してる状況に出くわしはしなかった。

「それ食うのかよ」

 馬鹿なことを訊いたと後悔する。口の中のものが一気に血の味を帯びた。リアルな死の臭いに吐き気がこみ上げる。もしマリアがなにか一言でもものを言っていたら吐いていたところだ。

 ここは叱るべきところだ。吐き気をこらえて食べ物を嚥下した。

「おい、やめろ馬鹿」

 マリアの髪の毛を掴んでやめさせた。だが、マリアは常軌を逸した力で死体にとりつく。

 負けじと髪を引っ張る。痛がってやめるかと思ったが、甘かった。マリアの頭皮から髪の毛が抜ける。ぶちぶち、と音が鳴り、髪の毛が抜ける感触が手に伝わった。たまらず手を離す。髪を引き抜いたあまりにも生々しい感覚に手を開けたり閉じたりした。

 狂気的な熱中ぶりだ。「おい」や「こら」と語彙力を総動員してもマリアは二階堂を一顧だにもしない。愛想がつきた。そもそも、勝手についてくるのが鬱陶しかったのだ。ここで別れられればせいせいする。

 マリアからスニーカーの入ったバッグを奪い取る。このスニーカーは高いのだ。

「私は帰るからな。お前は一人で遊んでろ」

 きびすを返した。しばらく歩く。

 にしても気持ちの悪い物を見てしまった。

 ぐだぐだ思い出さずにタバコでも吸おう。ポケットのエコーに手を伸ばした。

 一瞬失明したのかと思った。目の痛みを感じ、眩しいのだ、と気付く。徹夜して太陽を見たときの何倍も目が痛く、開いてなどいられない。

 会場中が真っ白な光に包まれていた。光量は尋常ではない。フクロウがみたならショック死しそうな光量である。

 目を閉じ、顔の前に手をかざす。

 後ろからの光だ。背中で受けているのにまともに目を開けていられない。一体全体何がこんな光を放てるのか二階堂には見当もつかない。山岸たちの部隊が持ってきたフラッシュバンの類いになんらかの形で誘爆したのかも知れない。

 そんな音はしないが、だとすると他にも爆発物があるだろう。

 マリアが危ない。

 振り返った。痛みを我慢し、細く目を開く。見たところ爆発などはない。こんな激しい光を放って爆発する親切な爆弾との思い出もない。物の影が異様に濃かった。

 それ以外に見えるものと言えば、マリアが浄子の死体に手をかざしている光景だ。

 二階堂は自分の目を疑った。

 マリアによって集められていた浄子の部品がまるでなにかの生き物かのように浄子に吸い込まれていく。

 飛び散っていた血さえもが浄子に意志を持った金属のように集って戻っていった。

 一体全体どうなっていやがる。

 二階堂が状況を把握しきる前に光りは止んだ。

「大丈夫か」

 マリアを浄子から引き離す。マリアも抵抗するのもやめて大人しく下がった。

「どうなってる」

 浄子の顔。山岸が頭に作ったはずのトンネルはすっかりと塞がってしまっている。胴体に開いた穴もそうなのだろうか。見ようとしても服が完全に復元されている。

 破って確かめてやろう、と手を伸ばす。浄子が目を開いた。手が止まる。

 固まる二階堂の前で浄子は何事もなかったかのように起き上がり、床に座るとぐっと伸びをした

「アーなんだか疲れましたわ」

 二階堂は両方の目でしっかりと浄子が死ぬのを見た。山岸も素人ではない。頭を撃ってそれでも、バイタルゾーンを破壊するという徹底ぶりには感心もしたものだ。

 だからこれは夢に違いない。

 二階堂は自らの頬を打った。二度打つ。流れるように携帯を確認する。痛くて二〇億あった。夢じゃない。

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