第7話 馬鹿襲撃

「あら」

 浄子が二階堂に視線をやった。

 どうやら私のファッションセンスは金持ちにも通じるらしい。

 二階堂が得意に体をひねると浄子が口を手の裏側で隠して笑った。

「おほほほ、誰ですのストリッパーなんて呼んだのは。気が利くではありませんの」

 上機嫌な浄子にあわせるように回りもはやしたてた。

「ほらほら服を脱いで見せなさいまし」

 浄子が金を振りまき囃し立てるように手を叩く。一万円の束が床に落ちて重たい音をたてた。

「んなことできるわけないだろ」

「あら、随分お高いんですのね。気に入りましたわ」

 好奇心旺盛な爛漫とした浄子の視線がヤクザの娘に釘付けになった。

「あら、かわいらしい。お名前はなんといいますの」

 娘は答えない。浄子の顔が二階堂に向いた。

「なんていいますの」

「しらねぇよ」

「だったらなんて呼んでますの」

「ガキ」

「あら、貧相なお名前ですこと。私が素晴らしい名前をつけて差し上げますわ」

 さっさとつければいいのに浄子は袖から取り出した扇子で額にかすり傷が出来るほど押した。この真剣さに皮肉は見られない。馬鹿だが悪い奴ではなさそうだ。

「うむむ」

 唸っている。

 さっさと銃を突きつけてさらっちまうか。

 絢爛な会場に、豪華なドレス、尊大すぎる態度。もう十分だった。

 産まれながらの金持ちというのはこれだからいやなんだ。

 躾をしなかった馬鹿親の代わりにさらう過程で顔面を何度か殴ってやるのも良いかもしれない。社会の荒波に揉まれるというのがどういうことだかわからせてやる。

 脚に固定した拳銃に手を伸ばした。

 浄子が大声を上げ両手を万歳した。

「思いつきましたわ」

 扇子で浄子を指す。

「マリア、マリアですわ」

「だったらそれでいい」

 浄子の体に抱きつくように近づいた。

 素早く銃を抜き、浄子の腰に突きつけた。浄子の耳元に低く囁いた。

「だから、ちょっと大人しくしててくれないか」

 浄子は予想以上に鈍かった。

「ほら喜びなさい」

 くるくる回りだした。スカートが円錐状に広がる。花畑の香水が鼻についた。

 浄子が移動したせいで拳銃の先端が露見した。銃が知られると警察からの依頼であると気付かれる。歯車が代わりの銃をくれなかったのでハンカチを巻いて対処していた。

 それでも先端を見ればそれが銃だと誰でも分かる。周囲が一瞬ざわめいた。

「あら、面白いおもちゃですわ」

 あまりにも浄子が脳天気だったためか出し物と勘違いされたらしい。

 はは、と笑いが満ちた。不安が安心に切り替わったためかおおげさに腹を抱えて割れって居る客も居る。

 かえって二階堂は焦った。注目を集めすぎている。静かにスマートに事を運びたかった。客が気付いた頃には、浄子は既にホテルを出ている。そうするのが理想だった。

 だが、そうするには浄子があまりにも馬鹿すぎる。スマートなやり方を通すには、被害者もスマートでなければならないのだ。

 ふざける浄子にまた囁いた。

「こいつはおもちゃじゃない。本物だ」

「まぁ、ドスが効いてますどすわ」

 一発天井に撃つのもよかった。そのまま誘拐を強行して撤退する流れが良さそうだった。

 だが、歯車の忠告を思い出す。

 尾田川ホールディングスはその莫大な資金で強力な私兵を整えている。

 尾田川重工の兵器開発部が作った最新の兵器を用いているらしい。かなり練度の高い部隊だときく。「特に山岸という男に気を付けろ」と歯車が言っていた。

 どこに部隊がいるかわからない以上、強行突破は難しい。護衛役として付近に潜んでいるだろう。

「大人しくしろ」

 小声で、語気は強く言うが浄子には届かない。

 銃を突きつけているのに言うことを聞かない奴ははじめてだった。

 苛立ちというよりは歯がゆさ。焦燥感と言うよりはもどかしさが二階堂を支配した。銃を向ければ人は跪く。それが二階堂の常識だった。

「ねぇ、この子。マリアをちょっと抱かせてくれません。子供はこのくらいが一番かわいいと思いますの」

 両手で浄子がマリアを触りに行く。マリアが二階堂の後ろに隠れた。

「ほら、恥ずかしがらないで。ほらほら。おねーちゃんとチューしますわよ」

 産まれがいいとここまで精神に差が出るのか。育ちはよくないようだが、それでも二階堂を腹立たせるには十分だった。

 もうこのまま勢いでさらってしまおう。

 このお嬢様は馬鹿だから客もちょっとしたノリとして見てくれる。

 それにかけた。

 浄子の額に銃を突きつけた。

「止めろ」

「なにをですの」

 唐突だった。会場の扉が蹴破られた。

 男たちが靴音激しく乱入してきた。黒い装甲をまとっている。

 赤く光る二つの眼。デジタルHUD搭載のガスマスクに、軽量のアーマープレート。体の外側をカバーしている無骨な金属。これはエグゾスケルトンの枠だ。

 装備が整いすぎている。テロ組織ではなさそうだ。

 外観で性能を察知されないように武器に布をかぶせて秘匿している。それだけで厄介な相手だと分かった。

 こいつらが尾田川の私兵か。

 まだ客がいる。撃っては来ないだろう。

 ロングコートの男が天井に向けて銃を上げた。男の手首のあたりが虹色に光った。

 銃声が一つ。本物だった。

 客が先を争って外へ抜け出していく。逃げ遅れた客が何人か取り残された。

「あら、皆様トイレかしら。なってませんわね」

 すっとぼけている浄子の腕をひねった。

「あいたたた」

 痛がっているが気にしない。腕を後ろで固めた。頭に銃を突きつける。ごりごり、と見せつけるように押しつけた。

 ロングコートの男からは目を離さない。

 銃の姿を認めた部隊が包囲のためにゆっくりと広がりはじめた。号令もない。

 二階堂が怒鳴った。

「おい、部隊を止めろ」

 ロングコートの男が腕を上げた。拳を握り、部隊の散開を制する。横一列に並んだ部隊の前に一歩、ロングコートの男が歩みを進めた。

 回りの重武装とは対照的に男は茶色のコートを羽織っただけの格好だ。部隊はその男の後ろで油断なく銃を構えていた。

「山岸、山岸じゃありませんの」

 先頭の男、山岸が心配いらないと浄子を安心させるように頷いた。

 表情には油断がない。喫緊の事態だからだろうか。そうは見えなかった。

 どちらかというとこぎ出す機会をうかがっているように見える。しかもかなり大きそうな船である。座礁すればそのまま死んでしまうような。

 バランス良く机に乗っているスプーンがふらふらと揺れた。シャンデリアの光が反射した。

「この不躾な女をどうかしてくださいませんこと?」

「おい、どうこうするにしてもこいつの命を考えろよ」

 腕をさらにひねり上げた。危険を思い出させるように浄子の頭に強く銃を押しつけた。

 落ちそうになるマガジンを小指で抑える。

 秘密任務だ。

 出来高警察であることは隠さなければならない。マガジンが落ちたり、ギャング撃ちをすると即座に出来高だとバレてしまう。

 かといって出来高は任務中には出来高専用の銃しか持たせてもらえない。自己責任で銃は持てるが、二階堂は武器を買う場所を知らない。

 いつもの撃ち方以外で彼らと渡り合える気はしなかった。

 司令官である山岸一人を適当に撃ち殺すのもいい。そうやって混乱を作り出し、脱出するプランもありだ。

 だが、山岸の装備の軽さは脅威だった。ほとんど丸腰である。ネゴシエーターというわけでもないだろう。なにか隠し玉を隠し持っているに違いない。

 鷹揚に山岸が語り出した。

「お嬢さん、昔の人にとってはね。液体のりが効くと知るようになる前の時代にはね、癌というのはですね。寿命だったんですよ。肉体の寿命なんです。コピーミスが目立つようになったらそれで人間の体はおしまい、とそういうワケなんで、抑えることはできても根絶することは難しい。それは病と言うよりはもはや現象なわけなんですよ。雨が降るとか火山が爆発するとかまぁ、それと同じ具合のね」

 ふらふら、とスプーンが揺れ始めた。

「この癌を取り除くためにできる最善の方法。まぁ、今時は色々ありますが昔なじみで最も効果のある方法と言えばそう、切除しかないわけですよねぇ。癌は栄養を吸って健康な細胞をもどんどん壊していく。つまりですね、取り除かないとどんどん悪くなっていく。もし、誰かが癌を見つけたら、それを切除しないといけないわけなんですな、これが」

「そうですわね、癌は怖いですわね」

 浄子の声色は真剣だった。山岸の意味深な例えを無視して真剣に癌の恐怖に怯えていた。

 二階堂は話が最悪の道筋を辿ることを予見した。上昇していく心拍数。手が汗ばんだ。

「その癌を見つけた方が居まして、私はその執刀医なんです。私どもはガンで、その癌の除去を執刀しろと仰せつかったんですわな。ガンをガンガン撃って」

 不敵に山岸が笑った。

「そのガンが私だというのね。で、癌はどこにありますの」

「お察しが悪いようで」

 山岸が浄子に指をさした。

 反射的に二階堂は長机を押し倒した。

 上等な料理が床にぶちまけられた。ワイングラスが紫色の中身を零しながら落ちていく。それを弾丸が打ち砕きワインが散った。

 長机に肩を押しつけた。半身で備えたのだ。

 机に背中を預けると抜けた弾に臓器がやられる。

 内蔵をやられるくらいなら腕の方がマシだ。臓器がやられなければ片手でも戦える。

 任務は浄子の誘拐。死なれるわけにはいかない。ぼんやり立ったままの浄子のスカートを引っ張った。座らせ、同じ姿勢を取らせる。

 マリアは膝を抱えて座っていた。的が小さい。当たりはしないだろう。構う余裕もない。

 つま先の絨毯を机を抜けてきた弾丸がうがち、床に穴をこしらえた。

「弾、抜けてますわよ」

「そのまま狙われるよりかマシだろうが、こっから先は想像力の世界なんだよ」

「なるほどですわ」

 本当に分かっているのだろうか。

 とりあえず生きている。幸運だった。

 温かい料理が載っていたことと机の材質が幸いした。こちらの体温はまだ机越しに把握されていない。

 近頃はサーモグラフィー技術が発達したせいで薄い板や煙幕などの遮蔽物が役に立たない。熱発生煙幕弾などもあるにはあるが、二階堂には手が届かない。

 銃声が止んだ。先ほどの攻撃は手続き的な排除行動だ。通常弾による制圧が失敗したら次の工程に移るだけだ。リロード音がした。

 今までのは小手調べだ。

 ここから本当の戦闘になる。

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