第4話 酒場襲撃
三時間ぶりにあった歯車は上機嫌だった。
「だからいったんだ、むやみに殺すなって」
口論しても家が元通りになるわけでもない。
うるさい死ね、とだけ言い返して気を取り直した。
「で、私んちを滅茶苦茶にしたあいつは誰なんだ」
「ああ、あいつな」
身元が分かっている。ほっとした。
身元の分からない人間を殺すと面倒だ。
死体の身分を証明しないと賞金が入らない。籍もなく罪もない密入国者を狩りまくって大儲けした馬鹿がいたせいだった。
大体の犯罪者は指紋が残っているので楽なのだ。
「お前が前にカチ込んだ花魁ガールズの親分の旦那だよ」
「の、で繋ぎすぎだ馬鹿」
花魁ガールズは街で勢力を拡大しつつあった娼婦の組織だ。
売春をしていると裏の世界の情報が集まる。娼婦たちがその情報を総合して横取りしたり、襲ったりしているうちにギャングとしては目を見張る物になっていた。
このドンを暗殺する依頼を報酬につられて警察から受けたのだ。
「お前らが殺せっていったんだろ」
「俺たちは検挙しろっていったんだ。現認検挙で即殺害なんてお前だけ。しかも本当なら旦那の方を抑えて女に取引を持ちかけるって作戦だったんだ。手綱を握るだけで良かったのにぶっ殺しやがって」
「手間が減って一石二鳥じゃねぇか」
「おかげで混乱が起きてやがる。内部抗争でもう十何人も死んでるんだぜ。そんなのはCIAの仕事で警察の仕事じゃない。今時刀で切られた死体が山ほど出てやがる。おかしなことになってるんだぞ」
「ゴミ共が同士討ちしてりゃ気分も良いってもんだろ」
「巻き添えがでたら俺たちの責任になるだろ」
「で、結局私を保護するつもりはないわけだ」
「自業自得だからな」
花魁ガールズの旦那が賞金首になっていることは黙っていた。
回収班に死体をさらわせてしまった以上どうせ金は貰えない。だが、家の前から死体が消える。とんとんだ。
二人が言い合っている間、娘はじっと手遊びもせず立っていた。
歯車と娘の目が合う。道ばたで死んだ猫を見たように歯車は目を逸らした。
「で、このガキは」
「多分、私をおそったヤクザの娘だよ」
「メスガキがいるって報告はないんだけどな。あとヤクザじゃなくてギャングだ」
「んなことはどうでもいいけどさ、せめて宿舎くらいは回してくれるだろ。家が滅茶苦茶なんだよ」
「知るかお前の蒔いた種だろ。ま、一万はやるけどな」
「情報屋の分は」
「そいつは巻き添えだろ。なしだなし」
話は終わったようだったが、二階堂は歯車の机の前から動かない。壁に掛かった時計がぼんぼんと鳴った。
「なんでまだいるんだ」
「このまま帰すつもりか。このガキを預かれよ」
「警察は託児所じゃねぇんだよ。お前が責任もって処分しろ。常識のない若者だな」
「ふざけんな」
「おい、こいつをつまみ出せ。あと消臭剤もってこい。こいつ臭い」
歯車が鼻を摘まんだ。制服警官たちが飛んできた。
店主がジョッキを磨いていた。薄暗い照明の店だ。四人掛けのテーブル席が四つにカウンター席が六つ。中規模な店だ。
音楽もテレビもないのは昼間だからだ。客はそれなりにいた。それぞれ酒を飲んでいたり、机に突っ伏している。グループの客は同じ話を何度もして同じ笑い方をして喜んでいた。
「ウィスキーくれ」
二階堂はとりあえずカウンター席に座った。
ウィスキーの注がれた重いグラスを両手で迎え入れる。
「で、なんでそれでうちにくるんだ」
「行く当てがないんだよ。敷金礼金がもったいないし」
出されたウィスキーを飲んだ。熱い液体が喉を刺激して胃へと下っていく。わざと空気を含ませて飲む。二階堂の自己流だった。そうしたほうが美味いし、げっぷをするともう一度ウィスキーの匂いを楽しめる。
「け、家が直るまで居るつもりかよ」
げっぷをした。胃から立ち上ってくるウィスキーの香気に脳がしびれる。
禿頭の店主が顔を歪めた。
「汚えからその飲み方止めろ」
「うまいんだから仕方ないだろ。ウィスキーのうまさを恨めよ」
当て付けにまたげっぷすると店主が頭を振った。
「イキりやがって」
バーの客のほとんどは現役の警官だった。元警官が経営しているバーだ。
二階堂にとっても昔なじみのバーだった。店主の保栄茂乃美男は二階堂の昔馴染みだ。二階堂が出来高警察として登録されたときはもうすでに禿げていた。
頭の側面にしか髪がない。歳を取っていた。元は教官だ。二階堂は銃の撃ち方や捜査の手順をこの保栄茂に教わった。
保栄茂がねこなで声を出す。
「嬢ちゃんビール飲みなよ」
「ガキにそんなものを飲ますなよ」
「保護者面とは驚いた。クソ女にも情があるらしい」
「こいつ追い払ってもついてくるんだよ」
このバーに来るまでに路地裏で一回、駅で一回、トイレで一回、追い払った。さらに走って撒きもしている。「ここで待ってろ」と言い置いて行きもした。
だが、いつの間にか側にいる。バーに同伴してきたのは追い払うのを諦めたからだ。
「お、二階堂隠し子かい」
デリカシーのない馬鹿警官の揶揄を浴びた。ウィスキーをまた流し込んでげっぷをする。
保栄茂がグラスに注いだ。
「ほら、ビールだ」
「ションベンビールじゃなくてまともなのだせよ」
「んなこと分かってる。世界の皆がお前みたいに非常識ってわけじゃないんだ」
娘の前に出されたのはビールジョッキに注がれたミルクだった。娘はなにも言わずにジョッキを手に取ると舐めるように少しずつ飲んだ。
「苦かったら私に言えよ、いつでもこのハゲを殺してやるからな」
「こんな可愛い子の前でクソみたいな冗談を言うな。部屋、かしてやらんぞ」
「え、かしてくれんのか」
「二階の部屋だ。ただし、こいつはお前のためじゃない。その子のためだ。あと服も出しとけ洗っといてやるよ、こいつもお前が可愛そうだからじゃなくてその子のためだ。お前酷い臭いだしな。張り込み用の着替えがあるからそれを着ろ。一晩泊まったら部屋を探せ」
善意を隠したい時、保栄茂は早口になる。保栄茂は教官になっても新人をいびったりしない変わり者だった。お人好しで人に物を教える変人だ。この口調が出たら安心だった。
「そんなに臭いか」
疑ってジャージを嗅いだ。娘にも嗅がせた。
娘はニコリともせずミルクを飲み、飲み、飲み干す。
残りのウィスキーをやっつけて二階に上がった。
前にも泊まった部屋だ。
外で犯罪を探してなにも見つからず帰るのが面倒くさくなると二階の余っている部屋に泊めて貰っていた。
警察官もたまに夜勤をサボりにここで寝ていくらしい。ベッドと棚がある程度の質素な部屋だ。
部屋にあったスラックスとシャツを着て、ジャージはまとめて外に出しておいた。保栄茂が洗濯してくれるはずだ。
部屋の隅を指さして、隣の部屋からもってきた枕やらクッションやらを投げた。
「そこ、お前のスペースな」
無言のまま娘はゆっくり移動してクッションを抱いて座った。喋らないし、身じろぎもしない。まるで人形のようだった。
「お前なんなんだ」
娘の爪や髪は若さとなんらかのお世話によって綺麗に手入れされている。それが二階堂には目障りだった。
身ぎれいにしてもらいやがって。
「話してくれないとさ、こっちもやりにくいんだわ」腰のホルスターから銃を抜いた。「売り飛ばしちまっても良いんだぞ。お前みたいなガキが好きな変態は幾らでもいるんだからな」
撃鉄を起こす。
「こいつでお前の父ちゃんを殺した。すぐに後を追わせてやっても良い」
娘はそれでも黙ったまま、銃口を見つめ返していた。無表情で銃口を見上げている。眉も震えないし、口元も真一文字に結ばれていた。
クソガキが。
縦に構えていたのでマガジンが滑り落ちた。遊底を引き切って弾を出す。空中でキャッチしてから、撃鉄をゆっくり戻し、ベッドに横になった。
一時間ほど寝ていた。娘は相も変わらずクッションを抱いたまま二階堂のことをみている。鬱陶しい。
部屋でだらだら過ごしていたかったが、パソコンもなかった。なにより娘の視線がつらい。
店に降りてウィスキーを貰った。
「もうちょっと身だしなみを整えろよ」
「お前は私の親かよ」
「親みたいなもんだ」
「そこまでふけてないだろ」
ウィスキーをあおった。
「小言をもう一個言っとくぞ。あの子に辛く当たるなよ。事情はよく分からんが良いトコの子なんだろ」
「ヤクザの子供だよ。ま、あれでも人生初っぱなは上手い具合に行ってやがったんだからな。産まれながらの勝ち組だったんだ。まぁ、私のおかげで滅茶苦茶だけど」
二階堂が悪ぶった笑い方をし、ウィスキーを流し込んだ。保栄茂がグラスを磨きながら忠告した。
「どこのガキだろうがクソガキでもない限り優しくしておいた方がいい。騒がないガキは決まって良いガキさ。今時ガキの世話がまともにできるってだけですごい奴だ。いつの時代でもそうだけどな」
お替わりのウィスキーがでた。
「瘤付きが嫌われるのもいつの時代も同じだよ」
「未亡人ハンターが尽きる世もなしだな」
ウィスキーを一口でやった。
「で、殺された男、最後になんていってた」
「やったぞ、ってさ」
「へ、そりゃ復讐だな。よかったな、ようやく一人前だ」
「おかしくないか。殺されたくせにやったぞ、だなんて」
「復讐してやろうってのは頭がおかしくなったやつが大半だ」
気持ちよく言いながら保栄茂がウィスキーを出した。
「俺の時なんてすごかったぜ。こいつは俺が警察を引退することを決意することになった奴でな。あのときは確か藻が沢分署にいたときだった。犯罪率全国ワースト三位の街よ。日本の掃きだめといわれた場所でな」
云々と保栄茂が話し出した。
保栄茂の引退しそうになった話はだいたい、藻が沢か髙來の分署にいたときの二つに分類できる。
それから苦々しい思いで逮捕したら一家が崩壊して逆恨みされたパターンでさらに三つ。すごく悪いギャングを逮捕したら逆恨みされたパターンで合計四つだ。
だが、結末は常に同じだ。
「もうちょっとだけ警官を続けてみようと思ったが」
と信念の強さをアピールする。
そこから「さすがに体が動きそうになくてね」
と老成をアピールして、
「ま、なにかあれば必ず叩きのめすさ」
と生涯現役っぷりを示す。
「で退職金でこの店を作ろうと思ったわけさ」
と締める。
「この犯罪地帯さ、だから土地代も何もかもが安かった。だが、元警官が経営する店だ。カス共はなかなか寄りつかねぇさ。ま、警察の汚さも知ったからな。お陰で警備も万全だよ」
気持ちよさそうに語っていた。
もう夜だ。テレビがついていた。
『尾田川寛一さん一二〇歳の誕生日を迎える』
アナウンサーが喋っている。
尾田川寛一は日本屈指の大企業尾田川ホールディングスの総裁だ。二〇年前から死期が近いと噂されていた。だが、なんだかんだでこの時期になると誕生日を迎える。
長生きする奴はいる。だが、どうせ自分は六〇前に死ぬだろう。
二階堂はそう信じていた。
曲のワンフレーズを呟いた。保栄茂が店で流している曲だ。耳についてたびたび思い出すフレーズだった。
「『自殺するのが流行りなら長生きするのも流行り』か」
「THEHIGH-LOWSかあれは良いバンドだ。ミサイルマンはTHEHIGH-LOWSとしてのデビューシングルさ。俺が二十歳の頃にはもうクロマニヨンズとして活動しててな、なんとこいつら十枚目のアルバムを」
また保栄茂が念仏を唱えだした。ロックはジジイの聴く音楽だった。パンクなら尚更だ。もう二〇年ほど前からだった。ジャズと同じで細々とだが脈々と音が鳴っている。
「お前の言ってたミサイルマン、レコードでかけてやろうか。今じゃあレア物なんだぜ。レコードってのは保存しにくくてなぁ」
アルコールがまた、本格的に脳を侵しはじめた。忘れようとしていた疲れが体に重くのし掛かってくる。
瞼がダンベルのように重たい。店内で客が騒ぐ声が近く聞こえたり遠く聞こえたりする。
腕をまくらしにて重い上半身をカウンターに寝かせた。
保栄茂が二階堂の髪を掴んだ。顔を引き起こし言う。
「寝るなら上で寝ろ」
返事もせずスツールをゆっくり降りた。
階段を這うようにして上がっていく。
部屋の中では娘がクッションを抱いて眠っていた。
寝息も立てていない。死んでいるのかと思っているほど大人しい。
だが、見ていると寒そうだ。
ベッドの掛け布団をはぐり、娘に投げた。起こさないように近づいて、娘の全身を掛け布団で覆ってやる。
二階堂は掛け布団のないベッドでアンモナイトの化石のように丸まって眠った。
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