第3話 自宅襲撃

 正しいことをして責められるのは嬉しい。

 人殺しだと罵られようとも正しいことをやっていると自覚があれば楽しいものだ。現実や理解のない人々に刃向かっているのを想像してはじめて自分が、自分自身の人生の主人公になったようなそんな気分になれる。

 現実が扉を叩いた。

 お笑い動画を止めた。ジャージのズボンの後ろに油断なく拳銃を挟む。

 歯車の話はとりあえず気には留めていたのだ。生きる目的はないし、死んでもいいとも思っている。だが、今日死にたくない。

「おーい、おーい」

 聞き覚えのある声だ。

「んだよ」

 紙くずを素足で踏んで扉を開けた。紙くずの下のハイヒールが歪んだ。

「おまえよう、インターホンくらい直せよ」

 歯抜けが屈託なく笑っていた。情報屋だ。

 歯に着色汚れがあって黒や黄色に変色している男だ。ホームレス然としているが警察に情報の類いを売りまくっている。だから服を買う金くらいは持っているはずだった。

 おおそよクスリや酒、女に注ぎ込んでしまってみすぼらしくなったのだろう。人間の終点が目の前にいる。

「なんだよ」

「すごい山があれば教えろって威勢よかったのはお前だろ」

 情報屋が汚い歯を見せて笑った。

「こいつはすげぇぜ。取引だ」

「へぇ、どの連中が」

 情報屋が女の耳に囁いた。

「花魁ガールズ」

 最近巷を騒がせていたギャングだ。名前には聞き覚えがある。つい半年前にこのギャングのドンを殺したばかりだ。

「それはまともな話なんだろうな」

「当たり前よ。ウチだって情報で飯を食ってるんだ。ウソを教えちゃああがったりってもんよ」

「私に対する報復か」

「ちげぇよ、あいつらの前ボスの旦那に賞金がかかってるのさ。とんでもないな。そいつここらにいるらしいぜ。確か黄色の屋根のモーテルだったな」

「で、その大切な情報をタダで売っちまったわけか」

 情報屋が素っ頓狂な顔をした。

「情報ってのは広まっちまうから金になるのさ。水道の蛇口を売るようなもんだが、お前が誰かに広められるか」

 言い返す言葉はない。ため息を吐いた。

「で、報酬は」

「一〇%も貰えりゃ万事オーケーってなもんよ。こいつを潰せば箔がつくぜ。女出来高警察ギャングを一家殲滅ってな。花魁ガールズの新しい親分が前親分の旦那も消したいんだそうだ。もしできりゃあ新聞にだって載らぁなぁ」

「でもよぉ、欲しいのはそんなんじゃないんだよな。わかるだろ」

「注文が多いなお前は」

 情報屋が営業を始めた。こうなると弁舌が止まらない。情報屋になる前はどこかの企業の営業だったらしい。営業は人の心をちょっと押してやること。それが彼の理念だった。決めぜりふのように、ちょっと背中を押しただけさ、というのだ。

 成績は良かったらしいが、金を持ち逃げして身を落としたと聞いている。

 そんな人間が相手でも暇はつぶせた。お笑い動画と変わらない。適当に相づちをうち時間を殺した。

 情報屋の後ろの道にホームレスがいる。街を歩けば必ず視界に一人はホームレスがいた。珍しく別段目を引かれる存在ではない。

 気になったのはホームレスが子供連れだからだ。

 誘拐を疑った。ホームレスと妙な娘と手を繋いでいる。見たところ親子のような距離感だ。

 不自然なのはその服装だ。ホームレスはすり切れたコートに脂ぎった髪をしている。娘の方は白いフリルのついた黒いドレスを着ていてまるで人形だ。

 あまりにも釣り合いが取れていなさすぎる。

 よけい誘拐犯らしく見えてきた。それかホームレスの趣味かである。どちらにせよ、捕まえて差し支えのない相手だ。

 現認逮捕か射殺。どちらを選んでも一万円貰えた。

 なによりも幼い少女を助けるのは思い描いていたヒーロー像とも合致する。

「おい、あんた」

 情報屋越しに呼びかけた。情報屋は構わず営業を続けている。

「ほら、俺の話を聞けって。為になるぞ」

 ホームレスの動きが止まった。こちらへ振り返ろうとする。その動作がやけに重たい。左脚を引きずっている。ぎこちなく足を動かし、ようようの体でこちらを振り返った。

 素早くホームレスがコートの前を開けた。なにをするつもりかとみているとズボンの前を開ける。

 露出狂の類いは楽な日銭だ。

 出てきたのは鼻で笑えるものでなく、面白い物でも何でもない。無骨な黒い銃だった。

 部屋のゴミ袋に飛び込んだ。重みと空気の板挟みに耐えきれなくなった袋が破れた。

 異臭と這い回る害虫の不快感を激しい銃声が消し飛ばす。

 銃声が狭い部屋の壁で互いに衝突して出て行く。

 窓ガラスが割れた。玄関の木の扉からドアノブが垂れ下がる。

 銃撃は長い。連続的に鳴っている。

 狭い部屋では音もでかい。銃声に聴力をもっていかれないように耳を覆った。それでも鼓膜に響く。一発当たりの火薬の量が多いのだ。

 総弾数の多いマシンガンを使っている。銃の形状を見てぴんときた。銃の種類には詳しくないがあれはマシンガンだ。あれを隠し持つためにズボンに突っ込んでいたのだろう。だからあんなに歩くのがぎこちなかったのだ。

 明らかに違法な代物だ。おかげで部屋の反対側にも穴が開き、積み上げてあったゴミ袋が破れ虫どもがうじゃうじゃと溢れだした。

 パソコンのモニターに映った芸人の笑い顔が打ち砕かれる。

 部屋にある床以外のもの全てを弾丸が引き飛ばしていく。

 壁越しにトイレを撃ち抜いたらしい。水があふれ出す音までした。

 めちゃくちゃやりやがって。

 後片付けを思うとこのまま撃ち殺された方が楽そうだ。

 銃声が止むまで声を上げずじっと伏せた。

「おい生きてるかぁ」

 情報屋に呼びかけた。返事はない。情報屋は血のドリンクサーバーになって玄関にうずくまっていた。

 腰にさした拳銃を抜く。

 舌打ち。

 マガジンが抜けてしまっていた。スライドを短く引く。薬室に一発入っている。

 ゴミの隙間から外をうかがった。

 ホームレスは地面に膝を突いて弾帯と格闘していた。装弾不良があったらしい。

 ゴミに寝そべってじっくり狙った。

 ゆっくりと息を吸い、銃を横に構え片目をつぶる。

 銃口がぶれないようにそっと引き金を絞った。

 目の前でマズルフラッシュが瞬く。

 ホームレスが突き飛ばされたかのように倒れた。

 首を伸ばして様子を伺う。悲鳴もない。倒れたままだ。

 起き上がり足早に近づいていった。マシンガンを蹴り飛ばす。

 ホームレスにはまだ息がある。血の反吐を吐いていた。弾丸は良いところに飛び込んだらしい。

 ホームレスの顔には見覚えがなかった。ということは報復ではないらしい。忘れているのではなければ、だが。

 銃声がつついたのは女の家だけではなかった。

「なんだなんだ」

 品のない声が路上に飛び出す。

 歯の抜けた顔やはげ頭。二重顎のパンチパーマ女。昼間から顔の赤い酔漢などなどが色違いでバリエーションを増して各々の部屋の窓から唾を飛ばしていた。

「騒ぐな、もう終わったんだよ」

「ふざけんな、出来高警察がよォ、殺しすぎて報復されたんだろ」

「今から調べるところだっつってんだろォ」

「うるせー、さっさと引っ越せこのおが屑女ァ。小さいつが言葉に多い奴はな、馬鹿なんだよ」

 罵声を舌打ちで頭から閉め出した。

 ホームレスの顔がよく見えるようにしゃがみ込む。

「おい、おっさん」

 呼びかけると盛大に吐血した。泡の混じった赤い血がホームレスの口元から喉を汚す。

 弾丸はどんぴしゃり腹に命中していた。胃に溜まった血が食道を遡って口から溢れだしている。

 どうせすぐに死ぬ命だ。さっさと吐かせるのが吉と出る。顔をはたいた。

「何とか言えよ」

「お前二階堂小夜だろう」

「このガキはお前が誘拐したのか」

「俺は、やったぞ。やってやったぞ」

 ぶくぶくと血に泡が混じった。

「おい、おい」

 顔を殴った。殴る度に男の首が回る。首に力が入っていない。じきに目からも力が抜けていった。

 死んじまいやがって。

 頭をかきむしった。面倒くさいことになる。

「おい、ガキ。お前はコイツの何なんだ」

 娘はただ二階堂の顔を見つめるだけだった。

 しゃがんだまま娘の肩を掴んで前後に揺する。

 部屋の片付け、ホームレスの目的、その他細々としたタスクの数々が二階堂に苛立ちを募らせた。

 娘の髪が前後に激しく揺れる。娘はされるがまま、首をがくがく前後に震わせていた。

「なんとか言えよコラ」

「うるせーゴミがァ」

 住民の悪罵と同時に二階堂の尻の近くで空き瓶が割れた。

 ブラウン管テレビが基盤を吐き出す。割れ物ばかりが飛んでくる。彼らの住居には壊れやすい物しかない。

 空き瓶や茶碗、水差し、テレビ、雑誌、中身の入ったご飯のお伴、炊飯器。

 空飛ぶ品々の背景にはスカイツリーが子供に見えるような巨大な塔がある。その上には天井都市がずしりと乗って、街全体を威圧していた。

「ゴミはお前らだ、とっとと働け」

「余計なお世話だ」

 ガラクタの雨が余計に激しくなった。

 適当に一人撃ってやろう。

 引き金を引いたが弾がない。娘の手を引いた。情報屋の死体を飛び越えてぼろぼろの家に飛び込んだ。

「あーあー」

 家はもう住めそうになかった。廃墟予備軍住宅が廃墟になっている。

 扉も穴だらけで壁や窓もずいぶん風通しが良くなっていた。玄関には情報屋が死んでいる。ポスティング業者が放り込んだゴミをさらに血で汚して固くしてれていた。

 後片付けを考えると憂鬱が加速するだけだ。とりあえず電話をかけて回収班を呼んだ。

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