第2話 家宅襲撃
担架ドローンが飛ぶ。クマバチが飛ぶような音だ。顔の返り血を拭う女の腰のあたりを漂っていた。女がジェスチャーを送ると複数のドローンが連結し、滞空する。これで死体を運ぶのだ。
処理班が行内の血を拭いていた。
「あかんて、なにやっても死んだらアカンてぇ」
ドローンの上で力なく死んでいる強盗たちのために客と行員とが泣いていた。
「警察署に届けろ」
女の命令を受けドローンが銀行を出た。そのまま空高く飛んでいく。通りには人が溢れていた。
どこにいっても行列がある。中絶が禁止され、妊娠した女性には一律一〇〇〇万円が配布され、結婚した夫婦にも一〇〇〇万円が支給された。そのおかげで人口は爆増し、日本は空前のベビーブームに襲われている。
東京オリンピックから大体三十年が経っていた。オリンピックの大失敗で正確な年号が分からなくなっているのである。
「なるべく生け捕りにしろよ」
中年の男がタバコを力任せに灰皿に押しつけた。
彼の机には歯車穣二と掘られた人が殴り殺せるほど上等のネームプレートがある。
新しいタバコに火をつけ中年の男――歯車は深く煙を吸い込んだ。
吐きだされた不機嫌な煙が向かうのは先ほど銀行で強盗たちを虐殺した女である。
「いつも通り一人一万だ」
素のまま差し出された六万円を受け取った。数えないまま女はポケットにしまい、きびすを返す。
「おい待て帰るな」
「んだよ」
「あんまりやりすぎんなよ。最近は報復が流行ってるらしいからな。知ってるか?出来高が家に帰ってみりゃ、家族が皆殺しにされてたんだってよ。乱心した出来高は銃を乱射。その場に居合わせた制服警官に射殺された」
「へぇ、制服の撃った弾が当たったのか」
「びっくりする話だが、びっくりすべきはそこじゃねぇ。そいつの家族を殺したのは、そいつが過去に現認して、射殺した男の妻なんだとよ」
「へいへい、どうせ話だけして守りゃしないんだろ。あたしら出来高だから」
出来高警察は警察である。警察と名前がついていたが、通称だ。実際のところは登録された賞金稼ぎだった。正式名称は国家公安委員会公認特殊銃携帯使用許可者である。
制服警官が殺されると、今も昔も警察は目の色を変えて犯人を捜す。
だが、出来高警察が殺されたところでそのファイルは直にシュレッダー行きだ。
出来高一人が殺されたところで警察は気に留めない。
それ以外にも重要な事件がある。一日に六十件の強盗が起きていた。些末な事件事故はすべて不可思議なオカルト事件扱いだ。ファイルは検討されもしない。
「で、今日は上がりか、良い仕事があるんだが」
「六万も稼げりゃ十分だよ」
「値段を聞きゃ気も変わるぜ」
「金じゃねぇんだよ」
守って貰えないが責任もない。自由なものだった。
女の指に細くなったビニールの持ち手が食い込んだ。
片方の袋にはビールが二ダース詰まっている。
もう片方にはするめ、酸イカ、ジャーキー、ポテトチップス、塩からとつまみの類いが詰め込まれていた。
細腕には重たいビールを地面に置く。誰かがここでタバコを吸っていたらしく吸い殻が捨てられてある。踏み固められたガムに靴底の形が写されていた。
やっと家に辿り着いた。ズボンの尻ポケットから鍵を取り出す。
警視庁公認。ジャケットの背中に刺繍されてあった。法の加護を背中に背負ったジャケットの記事は良く照り返す。生地が昼間の日差しを睨め返すと太陽はたちどころに雲間に隠れた。
ゴミはすでに玄関からある。開けっ放してある郵便受けからポスティング業者によって注ぎ込まれる紙くずが山を作っていた。
紙くずの下には友達の結婚式に行ったきり放っているハイヒールがあるはずだ。紙くずごとそれを踏みつけてさっさと室内へあがっていった。
電気は前の住人が残していったLEDがある。壊れているせいでつかない。暗い室内を歩くたよりは、閉めっぱなしのカーテンから漏れる光と夜目だけだ。
四角い部屋には生活感とゴミがみっちりと詰まっていた。
宅配段ボールの空き箱がそここに散らばっている。生ゴミを詰め込んだゴミ袋がそここに放り投げられてあった。穴の開いたゴミ袋の中などにはゴキブリが這い回っている。
部屋には常にコバエが飛んでいた。さながら害虫のビオトープだ。退出時に払う賠償を考えると気分が悪くなる。
辛うじてベッドの上は表面上は清潔を保たれていた。敷き布団も掛け布団何年も洗っていない。異臭がしている。
キッチンのコンロは焦げで真っ黒に染まり、シンクには捨てた生ゴミが動物の糞のように横たわっていた。
女の定位置は部屋の左隅。入って真っ直ぐのところにあった。椅子に腰を下ろし、両脇に袋を下ろす。
ビニール袋が騒がしく音をたてた。
右手側が酒。左手側はつまみ。正面にあるのがパソコン。決まっていた。
ゴミに挟まれているパソコンに指を伸ばした。
表面がボロボロになった椅子にあぐらを組む。デスクの下もゴミだらけだ。
ひとまず拳銃を置いて伸びをした。天井から垂れた紐状の蜘蛛の巣に手が触れたが、気にしない。
ジャケットを丸めバスケットのシュートのようにベッドに投げ捨てた。
パソコンがゴミの間で駆動した。ファンが動き、カタカタ、と音をたてている。
家電量販店で適当に買ってきた。
機能限定型の民間量子コンピュータではない。
そんな説明をされたが動くならなんでも良かった。デジタルには詳しくない。パソコンと訊いて連想するのは、随分高い買い物をしたなぁ、という思い出だ。
起動画面を放心しながら眺めていた。
『ようこそ』
文字が浮かぶ。
汗の気持ち悪さを覚えシャワーに立った。
風呂場の電気はない。
洗面台の電気はある。スイッチを入れた。磨りガラス越しに溢れる白い電気に女の体は陰影を持って見える。リアルに映し出された体から女は目を逸らした。
温かいお湯に体が温まる。それでもどこか冷え込んでいる気がした。
女は自分の体の前で腕を抱いた。
鏡に映る自分の姿を見やる。調子はどうだ。学生時代の自分と比べるとやや衰えて見える。
自分の顔を見るのはただ楽しかった。体をみるのも楽しい。スタイルは他の女よりもよっぽど良い。自覚がある。自慢の体を見るのも拷問のように感じつつあった。
ほら、二の腕に肉がついている気がしないか、いやそんなことはない。もしそうだとしても、腹の肉がよっぽどだろう。胸は相変わらずだが。いや、なにをいうか腰の肉が大変だ。いやいや、まっすぐ立っていると太ももの肉が互いに触れ合うがこれは大丈夫なのだろうか。タイツを穿けば問題あるまいし、どうせスカートなど穿く柄でもないだろう。
一くさりをやっていつも辿り着くのが最悪の結論だ。
皮膚に元気がなくなっている。これを言ってはおしまいだった。
自画自賛だが顔やスタイルはいい。それだけに肌の劣化を自覚するのは辛い。自分を覆う外側の劣化はまるで自分の価値のことごとくが老いぼれていくような気がする。
まだ二十そこそこの身空なのにもう老いが怖い。まだなにも成し遂げていないし、成し遂げようともしていない証拠だった。
シャワーの熱でややぼんやりとして心拍数もはやい。
何年も前から使っているタオルをシャワーに晒して一応洗った。雑菌を追い出すように絞る。体と頭を適当に拭き陰鬱な気分で部屋の生ぬるい風に当たった。
風呂場の前にあるのはもう二週間は洗っていないジャージだ。
嗅げば臭う。が、汗を掻くようなことは一切する機会に恵まれなかった。まだ着られる臭さだ。
髪からいちいち水が垂れて鬱陶しい。ハンガーに掛かったままのTシャツを濡れた頭に巻く。定位置にどっかりと腰を下ろした。
まずはビールを一つだ。
かしゅ、と小気味の酔い音がして胸が高鳴る。
酒のさかなは決まってお笑い動画だった。
二人組のコンビが出てきてコントをやる。動画サイトにもう三十年も前からあった。公式チャンネルらしい。小さなボケを延々と深く掘り下げていくスタイルのコンビだった。
彼らが今でも元気に過ごしているかは知らない。暇つぶしにはぴったりだから見ているだけだ。
するめのエキスを頬と奥歯の間で吸い出し、ビールを飲んだ。
最初の一口は最高だった。喉を刺激する炭酸とアルコールの臭気に酔ってくぅ、と声を上げる。
だが、それきりだ。
画面のコンビがいくらボケても、いくら突っ込んでも、観客がいくら笑っても女が笑うことはない。
椅子の上で膝を抱えて酒を飲み、機械的につまみを口に突っ込む。
女の目に映像が映えた。ただ無表情に映像をおっているだけだ。目の前になにかが動いていてそれを追う。動画を見る機械になる。
女にはそれでよかった。そうしていると時間が過ぎる。
動画に飽きて、酒が回り出すと押し殺していたつまらない考えが溢れだしてくる。
こんなことでいいのだろうか。
映像はとうとう女の目に反射する光になった。
高校を卒業してもう五年だ。同級生には結婚したものもいる。起業した、と聞いたやつもいた。誰とも、結婚式以来連絡を取っていない。
女盛りなんだから結婚しなよ、という友人の言葉が耳に残った。盛りがついてるのはお前だろ、と心で毒づいたのも覚えている。
たまに電話する友人がいた。
これもまた婚約をしていて、予定が整えばあとは結婚するだけらしい。仕事が忙しくて挙式を上げられないようだった。
彼氏がものすごく些細なことで怒るようになったと相談風ののろけをやられて携帯を開くのが億劫になって以来、電話していない。
「今の時代また主婦が流行ってんのよ。ほら男が増えたし、結婚したらお金貰えるし。それでさ、私の彼氏がさ」
時間を無駄にしているのかもしれない。
いや、違う。若さを浪費しているのだ。
誰にでもある青春を誰もしないようなやりかたで使っている。どんなことも許してくれる神様もオススメしないような方法で。
そのことが後ろめたかった。
もしかして、自分は誇りある仕事をしていないのではないか。
犯罪者を殺して金を貰う。立派な仕事だ、と褒めてくれる人にはあったことはなかった。
真面目に働きなさい、と口を開く度に言ってくる親とはもう連絡を取っていない。
どんな仕事でも真面目であれば正面から受け止められる。真面目にやっていないので心に染みすぎ、心が傷んできた。
人生が進む度にどんどんと人間関係が切れていく。
ナイフで縄の束を切っている。まるでまともな社会から切り離されているようだ。孤独に外堀を埋められている。
もっとなにかすごい仕事がしたかった。よくやったぞ、とほめられるような。知り合いに薦められてみたタクシードライバーという映画を思い出す。
あんな仕事をしたかった。例え、偶然でも良い。思い込みでも十分だ。
だから、頼む。
そのために誰か死んでくれないか。
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