望まない同居人
さく
望まない同居人
「ありがとうございました」
私は頭を下げて、引っ越し業者を送り出す。
見慣れないドアの鍵を閉め、苦労してドアチェーンを掛けた。部屋を見渡すと段ボール箱が積み上がり、始動したエアコンが困った様に唸っている。
一人暮らしには少しだけ贅沢をした広さ。
段ボール箱を積んだ空間はリビングキッチンで、食事が取れるようにテーブルと二脚の椅子を置いた。この位置にしたが、一人暮らしなのだから一脚はどこかへ片付けてもいいかもしれない。
その場所からぐるりと見回すと、玄関から奥へ、向かって右には小さいながらも洗濯機を設置した脱衣所があり、引き戸が付けられている。風呂も申し分ない大きさで、トイレは別になっている。物件の下見をした時には少し広すぎるかと思ったが、こうして荷物を搬入してみるとちょうど良い気もする。
これが今後の我が家だ。
今日からの土日で片付けて、月曜日からは会社への出勤が待っている。
社会人の引っ越しは大変だ。
「よし」
気合いを入れて、まずは一番手近にあった布団袋を掴んだ。奥の空間へ持ち込み、右奥にあるベットの近くで開封する。ここと台所は引き戸で区切られ、またベットを置いた場所の天井にはカーテンレールが設置されている。あとでカーテンが出て来たら掛けよう。
爽快な音を立てて敷きパットとシーツを引き出してテキパキと設置していく。先に枕と抱き枕の猫を放り出し、それらを冬の布団で覆う。残った夏布団等をベットに隣接している押し入れに入れようと、洋風の引き戸を開けた。
押入れの上段に知らない男性が座っており、片手を上げた。
「あ、どうも」
閉める。
いや、なんかの間違いだ。
私は引っ越しの応対で疲れているんだろう。
不審者が新居に?そんなアホな事がある訳ない。立ったまま夢を見てる場合じゃない、今日中にそれなりに片付けないと夕飯さえ作れない。
首を振って、もう一度引き戸を開けるとやっぱりいた。
年齢は20代後半から30代で、たぶん私と同じくらい。何故か銀の髪が良く似合う。今は整った顔を悲しそうに歪めているが、その顔をしたいのは私の方だ。服装は色の褪めた着物。まるで舞台のセットから『貧乏な武士』を引っこ抜いてきたようだ。
「何で閉めるんだよ」
男はいじけたように自身の指先をいじりながら、私を見下ろす。
私は後ろに下がりながら、左手で玄関の方向を示す。
「まず、出ていけ」
すぐに開けたのは下策だった、と唇を噛む。携帯はダイニングの机の上で、鞄もそこにある。段ボールの開封に役立つだろうと、カッターナイフもあるが全て鞄の中だ。どうにかしてそこまで行こうと距離を取りながら、押し入れから下りた男性と距離を取る。
「出て行けっていわれて、出れたら苦労してないんだよなー」
間延びした余裕のある返事は私を苛立たせる。睨むと両手を肩の辺りに上げて、抵抗の意思がない事を示す。ただ言っている事は違う。
「なぁ、俺の話を聞いてほしい」
「出ていけ」
「そんな事言うなよ」
「話なら警察官が聞くわ」
ため息をついて男性が距離を詰める。
私は手に持っていた布団袋を胸の前で盾にする。男は手を伸ばし、私の盾を貫通した。完全にめり込んでいるが、何とも思っていない様だ。
「俺の話を聞いてほしい」
私の肩に触る。その手は氷のように冷たい。
見上げると頭半分、背の高い男性は微かに笑みを乗せ、同じように冷たい目で私を見下ろした。その全てが未処理の記憶と感情にぶち当たり、私は顔を伏せて男の手を押しやった。
「わかった。聞くから離れて」
触れる。でもそれは生きてる人間とは思えないくらい冷たかった。
男は素直に距離を取り、ダイニングキッチンへ向かった。
見ていると二脚置いてある椅子のうち、片方を引いて勝手に座った。挙句には手招きされる。
私は布団袋を脇に置いた。男から目を離さないようにし、可能な限り椅子を机から離して向き合う様に座る。
「話って?」
「俺はここを出たいんだ」
幽霊が成仏したいのは当然だろう。そう解釈して頷き、続きを促す。
「なぁ、俺が誰かとした『約束』を思い出させてくれ」
「約束?」
「そうだ、俺は誰かと大切な約束をしたんだ。それを果たせなかった無念でここにいるんだ」
男は困ったように銀髪に手を当てる。
「約束さえ果たせば、あんたの望み通り出て行くことが出来る」
「果たせなかった上に、大切な約束を忘れて、しかも自力で思い出すことが出来ないのね?」
冷たく確認すると、男はうつむいた。
「返す言葉も無い」
沈んだ後頭部。この色違いを最近は何度も見た。
終わりに出来ていない気持ちで胸が詰まる。私は目を逸らすが、それでは何も解決しなかった。
解決しなかったから色々な事が終わって、まだ後悔で溢れている。そんな中、幽霊相手だとしてもこれ以上の厄介ごとは抱えたくない。男が成仏するにせよ、退居するにせよ、さっさと一人暮らしがしたい。
「分かったわよ」
音を立てて机に近付き、座り直すと、鞄から手帳とそこに留めてあるボールペンを取り出した。男が顔を上げる気配がしたが、無視して白紙のページを探して手帳をめくる。
「何かヒントは無いの?」
視線を向けると男は眉尻を下げ、口を引き結んでいる。それがどんな感情であれ、ささくれた気持ちには鬱陶しく見える。
「表情がうるさい」
「酷い!」
「で、何か心当たりは?」
テレビで見た刑事の様な詰問口調に、男が改めて考える。
「心当たりっていわれても、何も覚えてなくて……」
要領を得ない返答に、質問の仕方を変える。
「どうして貴方はここにいるの」
男は困ったように笑いながら、どうしようもない返答をする。
「俺にも分からない。ただ、ずっとここにいる」
「名前は」
「
かたかなで『ユキタカ』と書く。
「苗字もあるでしょ」
「それは記憶にないんだ」
答えられないのなら、次に思い付く事を聞く。
「いつから居るの」
「分からない」
「出て行く気は?」
「出られるなら、俺も出たい」
私は眉をひそめて質問文とバツ印をメモしていく。
「それは地縛霊って事?」
「たぶん。でも、俺は死んだ記憶が無い」
「死んだ事を覚えてないのに、地縛霊になるものなの?」
「死んだ事も忘れるくらい、古い幽霊だからな!この着物からも解るだろ!」
行貴は着物の袖をピッと張って、解決とばかりに笑みを浮かべる。
私は首を傾げる。契約書についての記憶と噛み合わないので、納得せずに質問を続ける。
「それで、出られないってどういうこと?」
「文字通りさ。俺はこの家から出られない。出ようとすると見えない壁に当たる」
行貴は壁に当たって跳ね返されるパントマイムをして見せる。私が頷いて、ボールペンを行貴の鼻先に突きつけたので、驚いて愉快な動きを
「これは掴める?」
「あ、あぁ」
ペンを受け取り、ご丁寧に複数回カチカチとノックして、私の手帳に逆さまから『行貴』と書いた。流れるような字体はもう少し崩せばサインの様にも見えた。
「俺の名前」
「そうね。漢字も聞くべきだったわ」
反省の素振りを見せると行貴は得意そうにペン回しを始めたので、ボールペンを奪い返す。
「通り抜ける、抜けないは俺の任意なんだ」
「便利ね」
ふと思い付いて、私は携帯に軽く触って時間を確認する。
「あ、もうこんな時間」
慌てて立ちあがると、行貴は私を見上げる。
「そんなに忙しいのか」
「片付けないと。月曜までに生活が出来るようにしないと」
「俺の話は」
「片付けながらなら聞くわ」
追い出せないことが分かり、もう生きた真っ当な人間でない事もわかった。それなら、訳の分からない地縛霊男に構っているよりもやるべきことがある。現実は待ってくれないし、私には悠長に話している時間は無い。
行貴の方が戸惑って、一緒に立ち上がる。
「その、キャーとか、お化け怖い!とか、なんかそういうの無いのか」
「怖いわよ。信用してない人間が一緒の空間にいて、しかも出て行かない。幽霊かと思ったら、触れるものは任意で、透けている訳でもない。宗教観念が分からなければ祓うにも手立てが絞れない」
もし、お祓いを頼むにしても手あたり次第に依頼するだけの金銭の余裕が無い。
「俺お祓いも効かないし、塩も十字架も効かなかったんだ」
「前の住人の苦労が偲ばれるわね」
更に行貴は胸を張って言う。
「何人もの人がここへ引っ越してきて、俺の話も聞かず、色々試して挫折し荷物も解かずに出ていった」
「不審者よりもタチが悪いわ」
私は吐き捨てて、手近な段ボール箱を手に取った。側面を押して開けると、中身はカーテンだ。2組のカーテンのうち窓に掛ける物を決めて、座っていた椅子に乗せて持ち上げる。移動しようとすると行貴が控えめに声を掛けてきた。
「もう少しだけ俺の話を聞いてくれ」
「面倒な男ね。まだ何か?」
机を向くと、男は真剣な顔をしていた。そうやって真面目に黙っている分には、顔が良いな、と思う。
「名前で呼んでほしい」
「お断りします」
「そうじゃないと困るんだ」
半笑いで突き放す。
「名前を呼ばれないと死んじゃう病か何かなの?」
「そうだ」
冗談の無い断言に呆れて、肩を竦めた。そんな私に行貴は軽く首を傾げる。
「個人として認識して貰えなければ、誰だって死んじゃうだろ」
私は目を丸くした。こんな中途半端な男なのに、何となく真っ当な意見だ。行貴は言い募る。
「俺、今はあんた以外に話せる人が居ないんだ。頼む」
この頼みを拒否することは簡単だ。むしろ、無視することで男が消えるのならメリットですらある。非情な二択が自分の手にある。
「死にたくない」
もう死んでいる幽霊が何を馬鹿な事を、と笑い飛ばす事は出来なかった。私は苦いものを食べた様な顔をして要求する。
「なら、片付け手伝って」
「見知らぬ男に頼みますか?!」
「家賃も払わずに住んで、更に手伝いもしないの?」
でもどうしたら、と戸惑っているので、カーテンが乗った椅子を置いた。
「これは行貴にお願いするわ」
私はまた別の段ボール箱に手を掛けると、行貴が小学生の様に笑顔になる。
「ありがとう。向こうの窓でいいよな!」
荷物を抱えて、なぜか立ち止まる。
「なぁ、あんたの名前は何だ?」
「幽霊に名乗りたくないわ」
行貴を切り捨てて段ボール箱を開封すると、少し寂しそうな声でそうだよな、と聞こえた。
行貴に指示を出しながら、段ボール箱の殆どを潰すことが出来た。一人分の荷物を二人で解いたのだ、作業効率が違う。頃合いを見計らって、声を掛ける。
「行貴、休憩にしましょ。私は近所の探検と買い物に行ってくるわ」
「いってら。これ片付けたらテレビつけていいよな」
「構わないわ」
「気を付けてな!」
普通の人間相手の様に会話し、置きっぱなしの鞄と携帯を持って玄関を出た。
アパートの1階に降りると、エントランスでも少し寒い。
そして故意に持って来た部屋の契約書を取り出した。封筒から出して確認すると『築22年リフォーム済み』とある。
まず、この建物は約22年前には無かった。行貴がどれだけ古い幽霊だとしても、それ以上は経っていないと考えるのが妥当だろう。契約書を元通りに仕舞いなら、交換で携帯を取り出す。
行貴の携帯や電子機器に対する扱いを見ていると、日常生活で使用していたと考えた方が自然に思える。もちろん、これは『住人の観察をしていたから出来る』と言われれば、それまでの事だ。
後の違和感は行貴の服装だ。着物の袖を見せてもらったが、褪めた色はしているものの生地と縫い目はしっかりしたものだ。布としてもそこまで古いものには思えなかった。ただ誰も好き好んで、そんな着物を選ぶとは思えない。必要に迫られて着たのであれば、現代なら制服か衣装だろう。
銀の髪だけは説明が付かないのが引っ掛かるが、根拠が無いので保留。
私は携帯を操作して『行貴』と検索を掛ける。スポーツ選手、子供の漢字候補しか出てこないので、検索ワードを変える。
『行貴 芸能人』違う。
『行貴 事故』ニュース記事は3年前で、古すぎてリンクが切れている。
概要から『行貴 役者』と打ち込むと幾つかの記事を見つけた。
「
画像検索すれば、生前の写真が出てくる。当然、見知った顔だ。
「本当に死んでる」
行貴が誰かを知るのは、こんなに簡単だったのだ。
話を聞いてくれ、じゃなくて検索してくれって言えば良かったのに。
「現代人の幽霊なのにね」
期待半分で他のサイトも当たるが、その死を惜しむ様なコメントを見るだけだった。ひとまずの収穫があったので切り上げようか、と最後にタップした項目を読む。
『行貴(本名:
「私に名前を聞かれて、芸名を言ったのね」
苗字が分からないのも当然だ。行貴が覚えていたのは芸名だった。間違った音を言ったは、恐らく本名を忘れてしまってもそのサインは書けたからだろうか。その漢字を自身の名前だと思い込み、そのまま読んだ音を名乗った。
どこか大げさな言動は、彼の生前の仕事の影響だろう。
あの空っぽの部屋では調べることも出来ずに、話を聞いてほしいと懇願しても誰もが逃げ出した。住人たちは皆、舞台役者の彼の顔を見ても誰だか分からなかったのだ。
ただ、本人は役者である事に縋ったのかサインだけは憶えていた。
これといって夢中になるものが無い私には、ひたすらに苦いだけだった。
何枚か携帯画面のスクリーンショットを撮ってから、マップを立ち上げる。近辺のスーパーを検索し、目的地として設置。10分程度歩けば着くだろう。
「行貴になんて言おう」
呼び方が違うのは分かったが、ここ数時間で慣れてしまった。事実を知った今、何と呼びかければいいのかも相談が必要だ。
話さないという選択肢は無かった。
理由は、この引っ越しが彼氏との同棲解消の結果だからだ。
彼との諍いの根本は『相談不足』だったと思う。そこから拗れて、何を話すにも凝り固まった感情が邪魔をして、どちらが謝っても折り合いが付かなかった。最後は一緒に居ても沈黙する空間に耐えかねて、預金0になっても引っ越しを決断した。
行貴に対しても同じ事を繰り返すのは、自分の事を許せなくなりそうだ。
こうして知らない道を確認しながら、買い物の内容を考える。
「そういえば、幽霊に食費は掛かるんだろうか」
一人で食事をするのも気が引けるが、幽霊を養う様な余裕はない。故人は在宅ワークが可能なのだろうか。
行貴が忘れた約束の内容も分からない。私の気持ちも整頓が付かない。
何もないが、それでもやっていくしかない。
買い物から帰ったら、妙な同居人と今後について相談だ。
なるべくなら一刻も早く成仏して、私に一人暮らしをさせてほしい。
望まない同居人 さく @sakura0329
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