第32話 愛莉とデート

「迎えに来たわよ」


 布団を無理やり引っぺがされ、体を寒気が襲う。目を開けると、愛莉が目の前にいた。弟が家に上げたのだろう。


「まだ時間には早いだろ?もう少し寝かせてくれよ」


 布団を奪い返し、もう一度寝る体勢をとる。


「そんなこと言ってると寝坊するわよ」


 やれやれといった様子で、愛莉がつぶやく。俺はしぶしぶ布団をどけると、体を起こした。


「着替えるから、リビングでも行ってろよ」


「また寝ないでしょうね」


「そんなに疑われてるのかよ。俺とお前の仲だろ?」


「だから信用できないのよ」


 愛莉はいたずらっ子のような笑顔を俺に見せ、部屋から出ていった。


 ゆっくりとした動作で、俺は着替えを始める。正直、まだ眠いというのが本音だ。しかし、愛莉とのデートに遅れるわけにはいかない。予定していた時間にはまだ余裕があるはずなのだが……。


「遅いわよ。もう朝ごはん出来てる」


 リビングに入るなり、愛莉が文句を言ってくる。食卓には和食が並んでいた。


「お前が作ったのか?」


「ほとんど愛莉さんが作ったんだよ。兄ちゃん、こんないい彼女さんもってよかったね」


 エプロン姿の健太が言うが、あまり説得力がない。愛莉が弁当を作ってきているのは知っているが、中身をちゃんと見たことがあるわけではない。だからと言って愛莉の腕を信用していないわけではないのだが。


「私はあんまり作ってないわよ」


 愛莉が恥ずかしそうに顔をそむける。これは愛莉が作ったもので間違いなさそうだ。とりあえず手を合わせ「いただきます」と料理に箸を伸ばす。


 愛莉は俺の様子をチラチラと窺っている。食べにくいことこの上ないが、朝飯を食べないことにはデートにもいけない。


「うん、美味しいよ。流石に毎日弁当作ってるだけはある」


「そう……」


 無関心を装っているのがバレバレだ。口元は緩んでいるし、顔も少し赤い。


「そこは素直に喜んどけよ」


「う、うるさいわね。ありがとっ」


 愛莉はつんと顔を背け、席を立った。


「早く行くわよ」


 玄関に向かったのか、声が少し響いている。残りのごはんを掻き込み、玄関に向かった。


「気が早いって。あわてなくても店は逃げねえよ」


「わかってるわよ! でも、時間は多いほうがいっぱい見れるじゃない」


「んまあ確かにそうだけどな」


 言いながら靴を履く。愛莉はすでに準備万端のようで、俺を急かしていた。


「じゃあ健太君、行ってくるね」


「いってらっしゃい。楽しんできてね!」


 愛莉が健太に手を振り、それに健太が返す。今日は健太の彼女が家に来るようだ。ちょうど愛莉とのデートで外に出れるのがありがたい。いつまで家にいるのかはわからないが、帰ってくるときにはもういないだろう。


「兄ちゃんも、楽しんできてね」


「お前もな。彼女家に連れ込んで変なことすんなよ?」


「うるさいよ。いってらっしゃい」


 弟に追い出されるように家を出た。


 家から出たところで俺はあることを思い出す。


「そういえば、どこ行くんだ? 行くところなんて決めてないぞ」


 デートするとは言っていたが、どこに行くかは決めていなかった。俺は特に行きたい場所もないので、愛莉に任せてしまおうと思っていた。


「え? 行く場所考えてないの? こういうのは男がエスコートするもんでしょ」


 愛莉が信じられないものを見るように俺を見た。なんでそんな目で見られなければいけないんだ。


「お前が行きたいところあると思ってたんだよ。どっか行きたいところないのか?」


「うーん……。じゃあ遊園地行きたい!」


 愛莉は眼を輝かして俺の顔を覗き込んだ。遊園地か。久しく行っていない。


「俺はいいけど、近くにそんなところあるか?」


「別に時間はあるんだし遠出してもいいじゃない。どうせ暇でしょ」


「まあいいか」


 俺たちは駅に向かうことにした。一番近い遊園地までは三駅ほど電車に揺られないといけない。


 駅までの間、くだらない話をしながら歩いていた。


「あれ? お前らどっか行くのか?」


 駅に向かい最中、蓮に出くわした。めんどくさい奴に会ってしまった。


「デートだよデート」


 そっけなく返し、蓮の横を抜けていこうとする。


「なんだよ、俺には内緒かよー。今デートしてるのは俺のおかげみたいなもんだろ?」


「遊園地に行くのよ。あんたも行く?」


 愛莉がいつもの調子で蓮を誘った。せっかくのデートなのに蓮を誘ってしまっていいのか。


「んや、二人の邪魔はしねえよ。楽しんでこい」


 蓮は俺たちに手を振って去って行った。


「お前、蓮がついてきたらどうするつもりだったんだよ」


「別にどうもしないわよ。それに、蓮はこういう時は空気が読める男よ」


「そうか」


 そんなこんなで、遊園地まではすぐについた。


「久々に遊園地なんて来たわね」


「そうだな。小学校の時以来なんじゃないか?」


 愛莉も久々だったらしい。楽しみなのが伝わってくる。俺も俺で少しテンションが上がっているのを感じた。


「休日だけあって、人多いわねぇ」


 入場券を買うための列はそれなりにできており、時間がかかりそうだ。


 列に並ぶと、すぐ後ろに列ができ始めた。


「なにから回る? ジェットコースターとかいいわよね」


 愛莉が嬉々として俺に話しかけてくる。


「お前、昔からそういうの好きだよな。お前の好きなのでいいよ」


「あんたも回りたいのないの? まあそれで楽しいならいいけどさ」


「俺はなんでもいいんだよ。なんだかんだ、俺も楽しんでる」


 列は次第に前に進んでいき、入場券を買うことができた。


 ジェットコースターは、案の定並んでおり、三〇分ほど待ち時間があった。


「案外混んでないわね。もっと待ち時間があると思ってた」


「長いよりいいだろ」


 それもそうね、と愛莉は出発するジェットコースターを眺めていた。


 愛莉はもちろんだが、俺も絶叫マシンの類は嫌いではない。むしろ好きな部類だろう。


 列が進むたびに、横でそわそわしている愛莉を見て、少し笑みがこぼれる。


「なに笑ってんのよ」


「そんなに楽しみかなーってさ」


 ジト目で俺を見る愛莉に、笑いながら返す。顔を赤らめ、目をそらす愛莉の仕草に、俺は声を出して笑った。


「なによ。もう」


 愛莉は恥ずかしくなったのか、何も言わなくなった。


 そのあとは話しても一言二言で、待ち時間は過ぎていった。


「やっと来たわね」


 ついに俺たちの順番が来た。愛莉は嬉々としてジェットコースターに乗り込み、俺はその横に座る。


 安全バーを下ろし、出発するのを待つ。


「それでは、出発いたします。楽しんで、行ってらっしゃいませ」


 ナレーションが耳に入り、ジェットコースターが動き出した。ガタガタと音を鳴らし動き出すコースターを、横の愛莉は楽しそうに笑っている。


 ジェットコースターというのは最初ゆっくりと坂を上っていき、一気に下る。上っていくときに恐怖感を煽られ、一気に下るときに叫んでしまう。そんな感じだ。しかし愛莉はずっと笑っていた。主に俺の顔を見て。


「あっはははは! なにそんな深刻な顔してんのよ! 落ちやしないから大丈夫よ」


 坂を上っている間、俺の心臓はバクバクと脈打っていた。いつもこうだ。乗るときは大丈夫なのだが、坂を上り始めると緊張してしまう。ジェットコースターに乗ることなんてそうないから、乗るまですっかり忘れていた。


「あー……乗らなければよかった……」


 その一言を最後に俺の意識は数秒間、どこかへ飛んでいった。


「傑作だったわね、写真に撮っておきたかったわ」


 愛莉はケタケタと笑って俺の背中を叩いた。


「うるせ」


 反論する元気もなく、愛莉に言われたい放題だった。


「あ、ちょっと待ってて」


 愛莉は何かに気が付いたようにその場を去った。何かあったのだろうか。そのまましばらく愛莉を待つと、両手に缶ジュースを持って帰ってきた。


「ちょっとは落ち着くんじゃない?」


 片方の缶を俺に放り、持っている方の缶を開けて飲み始めた。


「ありがとな」


 俺も缶を開けて飲んだ。冷えた飲み物が俺の頭を冷やして気持ち悪さを少しだけ楽にさせた。


「次はどこにいこうかなぁ」


 愛莉はきょろきょろと周りを見渡して次のアトラクションを探している。その光景を見て、俺はふっと息を漏らした。


 夕方までさまざまなアトラクションに乗り、休憩に軽く食事をして、俺たちは遊園地を存分に楽しんだ。


「楽しかったわねー」


 疲れ気味に愛莉が呟く。俺もそれなりに疲れていたし、十分楽しめたから、もう帰ってもいいくらいだった。


「もう帰るか?」


「最後にあそこだけは行っとかないとね」


 愛莉は少し引きつった笑いを見せると、歩き出した。


 どこに行くのかと付いていってみると、そこはお化け屋敷だった。そういえば、愛莉はこういうのが苦手なんじゃなかったか? 自分から行こうとするのは珍しい。


「お前、大丈夫なのか?」


「よ、余裕よ。絶叫系ばっかりじゃ完全に楽しんだとは言えないじゃない」


「そんなに嫌なら最初に行っておけばよかったのに」


「うるさいわね、さっさと行って終わらせるわよ」


 愛莉はずんずん受付まで歩いていき、俺もあわてて愛莉の後ろを歩く。


「中は暗いので、よろしければ手をお繋ぎください」


 受付のお姉さんが俺たちに笑顔でそんなことを言う。俺は顔が熱くなるのを感じて愛莉を見た。愛莉は、少し潤んだ表情で俺に手を差し出した。


「ほ、ほら。暗いんだって」


 愛莉には恥ずかしさよりも怖さのほうが勝っていたようだ。


 俺は諦めて愛莉の手を取り、中へと足を踏み入れた。確かに暗い。さっきまで明るいところにいたせいもあるだろうが、相当暗く感じる。


「最初に言うだけあって、かなり暗いな」


 手には愛莉のぬくもりが。横にいる愛莉は俺の声が聞こえていないのか、ガチガチに固まっているみたいだった。


「ホントに大丈夫か? あんまり無理すんなよ?」


 愛莉の手を少し強めに引いて、俺の方に意識を引き戻させる。


 愛莉は潤んだ目でうなずくと、手を強く握り返し、俺に体を近づけた。


 密着しすぎているような気もするが、仕方がない。俺は愛莉とゆっくり歩き始めた。


「お前も苦手ならこんなところ来ようとするなよ」


 呆れ気味に呟いたが、俺も絶叫マシンの件があるために強くは言えない。愛莉はやはり何も返さず、カタカタと震えて、さらに体を俺に近づけた。


「お、おい。近いって」


 俺が愛莉を離そうとすると、愛莉は離れまいと強く手を握ってくる。


「……出るまででいいから、お願い」


 震えている。そんなに怖いのか。


「わかったよ」


 ため息交じりに言って、歩き始める。やっぱり入らない方がよかったのではないだろうか。


 少し歩きにくいながらも、二人でお化け屋敷を出た。


「落ち着いたか?」


 愛莉に話しかける。すでに手は放しており、愛莉はベンチで力尽きていた。


「もう大丈夫……」


「ちょっと待ってろ」


 見た感じあまり大丈夫には見えない。俺はその場を離れて、愛莉に飲み物を買ってきてやることにした。


「ほれ」


 愛莉の頬に缶を当てると、冷たさにびっくりしたのか飛び跳ねた。


「はははははは」


 俺は腹を抱えて爆笑し、愛莉の横に座った。


「何すんのよ!」


 ジト目で俺をにらみつける愛莉は怒っている様子はなく、恥ずかしそうに缶を受け取って、飲み始めた。


「帰ろっか」


 ジュースを飲み終えた愛莉は立ち上がり、歩き始めてしまった。


「帰りにちょっと寄りたいところあるんだけど、いい?」


「ん、ああ、別にいいけど」


 この時間から寄りたいところ。どこだろう。何か買いたいものでもあるのだろうか。


 電車に乗って地元に戻ってくるまで、会話という会話はなかった。

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