第25話 健太
「ただいま」
力の抜けた声で呟きながら家に上がる。健太はすでに帰ってきているようで、今の声は届いていなかったのか返事はない。
キッチンに顔を出すと、すでに健太が制服にエプロンという半ばいつも通りの姿で夕飯の用意を進めていた。
「うわ、兄ちゃん! 帰ってきたならただいまくらい言いなよ」
俺の存在に気づいた健太はびっくりして手元を狂わせたが、すぐに体勢を立て直していた。
「言ったんだけどな、声が小さかったかな」
はははと笑う。健太は俺の顔をじっと見つめ、ため息をついた。人の顔をみてため息をつくとは失礼なやつだな、といつもなら愚痴るところだが、今はそんな元気もない。
「どうしたの、兄ちゃん。彼女と別れた?」
なんでこいつはこうも的確に俺のことがわかるのだ。内心恐怖しつつも、小さくうなずく。
「どうせ、彼女さんに愛莉さんと私とどっちが大事なのー? とか言われたんでしょ。だから最初から愛莉さんと付き合ってればよかったのに」
「お前は超能力者かなにかか。なんでそうも的確にわかるんだよ」
「うわ、マジかよ。冗談で言ったつもりだったのに」
健太は驚いた顔をしていたが、その声はあんまり驚いた風ではなく、やっぱりこうなったかとでも言いたげなトーンだった。
「まあ仕方ないんじゃない? これで愛莉さんと付き合ってもおかしくなくなったね」
「そんなことしねえよ」
俺は自室に向かった。部屋に鞄を投げ捨て、もう一度キッチンに行く。
「兄ちゃんさぁ。愛莉さんと付き合うのは嫌なの?」
俺の顔を確認した瞬間、健太が尋ねた。愛莉と付き合うのがいやか。そういうわけじゃない。だが、付き合いたいと思わないのだ。愛莉のことは好きだが、それは大切な友人として、幼馴染としてで……。そこまで考えて、健太のため息で思考を中断させられる。
「好きだけど恋愛感情じゃないって感じか。じゃあ、彼女とはなんで別れちゃったの?」
俺は別れた理由、というより今日起きたことを一部始終話した。健太はときどき相槌を入れるなど反応をしめしたが、決して俺の話を中断させようとはしなかった。
「それ、別れる必要あったの?」
俺の話が一段落したときに、健太は口を開いた。確かに、とは思ったが、俺にも言い分はある。健太には言い訳にしか聞こえないかもしれないが、俺だって考えた末の決断だ。
「我慢するって言ってんだったらそれでいいじゃん。それで幸せっていってんだからさ」
「そんなの本当に幸せだとは思えないだろ」
「それは兄ちゃんの意見だよ。彼女さんはそれで幸せだったんだから、そこに兄ちゃんがとやかく言えることはないと思うけど」
「でも、俺は気にする。我慢されてるなんて思ったら俺はあいつが幸せだなんて思えない。またおんなじことの繰り返しだろ」
「もう一回、ちゃんと彼女と話しなよ。今のままじゃ絶対もやもやするだけだって」
「でも……。わかった、そうするよ」
「このことは愛莉さんには言わないでおいてあげるからさ」
健太はニッと笑って食卓に料理を運び始めた。俺も運ぶのを手伝い、運び終わったところで理香にメールを送っておく。明日、ゆっくり話がしたいという内容でメールを送り、夕飯を食べた。
「そういえば、昨日はごめんね。よくわからないこと言ってさ」
食器を片付けているところに、健太が声をかけてきた。
「昨日、なんかあったか?」
昨日のこと。多分夜の言い争いのことだろう。愛莉のことも知っといてくれって言ってたあれだ。俺は気にしてないし、健太の言い分はわかる。まあどうかするというわけでもないのだが。
「え?あ、ううん、なんでもない。気にしないで」
健太は恥ずかしそうに首を振るとそそくさと食卓から姿を消した。健太が謝るようなことじゃない。かといって俺が悪いとも思わないのだが、これ以上話すようなことでもないだろう。
携帯を確認すると、理香からの返事があった。いつも通り「わかりました」と一言だけの簡素な文面だ。最初は冷たく感じたものだが、今となってはこれが普通だと思ってしまう。
俺は風呂に入ると、自室でさっさと寝ることにした。
「最近早いな、なんかあったか?」
教室には人はまだ少なく、蓮と数人のクラスメートしかいない。蓮は今から寝ますとでもいうように腕を枕にして机に突っ伏していた。
「まあ、俺もちょっとはまじめになったってことだよ」
顔をあげて、ドヤ顔で言われる。たまにイラッとする顔だ。
「まじめなやつは授業中ずっと寝てたりしないだろ」
「じゃあまじめじゃなくていいや」
蓮はふてくされたようにあげていた顔を下すと、横をむいて表情だけは確認できる位置に直した。
「お前、なんかあった?」
突然尋ねられる。なんだろう、俺は顔に出やすい体質なのか?
「いや、なんもないけど」
とりあえず蓮と愛莉にはごまかしておくことにする。経験上こいつらに話すとろくなことにならない。健太も同じくなのだが、最近弟に甘くなっているのか、話してしまった。
「まあいいけど。じゃあ俺は寝る」
蓮は何かを悟ったように横に向いていた顔をうつ伏せるとしばらく静止して、寝息を立て始めた。
授業はいつも通りあっという間に終わる。昼はどうしようと、とりあえず中庭に向かうことにする。理香がいると気まずいのだが、まあそれも仕方ない。
中庭に理香はいなかった。ほっと安心するとともに、さすがに来ないか、と残念にも思う。俺はささってパンを胃に入れると、空を見上げた。
空を見ても何も感じない。雲がぽつぽつと存在するだけだ。今日は晴れ。体を動かすにはいい天気だ。動かす予定はないわけだが。
予鈴がなった。もうすぐ授業が始まる。俺はゆっくり立ち上がり、教室に向かった。
「今日は彼女とご飯じゃなかったの?」
自分の席に着くなり愛莉が口を開いた。
「まあ、約束してるわけでもないしな」
「それでもいつも中庭で一緒に食べてたじゃない」
「見てたのかよ」
「見えるようなところでいちゃいちゃしてるあんたたちが悪いのよ」
「まあこんな日もあるんだよ」
俺は会話を無理やり終わらせ、睡眠へ逃げた。愛莉の「ふうん」というつまらなそうな声を最後に、俺のは意識を飛ばしていった。
午後の授業というのは退屈の塊みたいなもので、時間が過ぎるのは遅く感じるし、寝てもそんなに時間は過ぎてくれない。しかも授業は面白くない。拷問のような時間を毎日過
ごさないといけないのだ。学生とはなんと哀れな存在なのだろう。
あと五分が長い、というのは何度経験してもなれないものだ。
鐘が鳴った。やっと授業が終わった、と思っても担当教師によっては少しの延長授業を行う。なぜそこまで熱心に授業を行うのか……。今日はそんなことはなく、授業はすんなり終わってくれた。
ホームルームは素晴らしい。担任の小林は適当なため、時間いっぱいしゃべることはまずなく、話したいことだけ話して鐘が鳴るまでは教室にいろ、というだけだ。だから時間もすぐに過ぎるような気がする。
放課後の鐘がなり、生徒が次々に教室から出ていく。俺はその光景を見守っていた。わかりました、と返事は来たものの、どこで話すかまったく決めていないことを思い出す。
まあ、一緒に帰ってその時でもいいか、と適当に考え、教室を出るタイミングを見計らう。
クラスメートが完全にいなくなったとき、教室に理香が入ってきた。
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