第23話 将太の気持ち

 理香の家から俺の家までは、言わずもがなそれなりに遠い。家に着くと、弟に「お疲れ、ご飯作ってあるから食べちゃいなよ」と言われ、玄関に倒れこんだ。弟を恨む気にもなれないくらい懸命に走り、少しでも早く夕飯を作り始めなければと思っていたのにこの仕打ちである。


「作ってくれるなら、先にそういってくれればもっとゆっくり帰ってきたのに……」


 たまらず愚痴をこぼす。弟は得意げに話し始めた。


「だって、最近は兄ちゃんの当番でも俺が夕飯作ってるし。たまにはこうやってちょっと脅かしてみたくなるでしょ」


「おまえなぁ」


 反論する気にもなれない。それに、最近夕飯を作れていないのは事実で、健太には苦労をかけると思っている。このくらいで気が済むならお安い御用だ。嘘だ。毎回こんなことされたんじゃ本当に俺の体がもたない。


「ちゃんと連絡しない兄ちゃんも悪いんだよ? 早く言ってくれればもうちょっとちゃんとしたもの作れたのにさ」


「お前、そんなに料理好きだったか?」


「兄ちゃんがサボりまくってるから慣れてきちゃっただけだよ。勘弁してよね、ほんと」


 正直、料理に関しては好き嫌いは置いといて弟の方が上手い。これからは料理は弟に任せて俺は違う家事をやりたいくらいだ。昔、絶対ヤダと否定されたから無理なのだが。


「はぁ……。これからは俺が夕飯作るから、兄ちゃんはなんか他の家事やってよ。今は彼女さん送ってて夕飯作ってる余裕ないでしょ」


 ありがたい提案ではある。しかし、弟はどうなのだ。弟にだって彼女はいる。そりゃ家まで送ったりしてやっていることだろう。俺と立場はあまり変わらないんじゃないか?


「俺は彼女と一緒に帰るってできないからさ。部活で忙しいし。だから別に大丈夫だよ。兄ちゃんが帰ってくるころにはそれなりにおいしいごはん作っとくからさ。任せてくれて大丈夫。別れた時にでもまた当番制に戻してくれればいいよ」


 俺の心を読むかのように弟が言葉を紡ぐ。すぐに別れる前提で物事を進めているのは気に食わないが、そこに突っ込んでいたらきりがないだろう。


 涙が出そうになるのをぐっとこらえ、倒れたままで弟を見た。


「ありがとな」


 どれだけ不格好なことだろう。弟は爆笑して食卓の方へ向かい、俺を催促する。いつまでも倒れてるわけにもいかないと俺は立ち上がり、食卓へ向かった。


 豪華とは言えないが、おいしそうな料理が複数並んでいる。俺が帰ってくるこの短時間でこんなに作れるのか、と感心していると、弟が呆れたように呟いた。


「どうせ兄ちゃんは今日も彼女さんと放課後デートだろうから早めに作り始めてたんだよ」


 なんてできた弟なんだろう。今度何か買ってきてやろう。


 手を合わせ、いただきますと呟く。弟の作る料理はどれもおいしく、弟も満足げに食を進めていた。


「「ごちそうさま」」


 二人そろって晩御飯を終え、各々自分の作業に入っていく。俺は食器洗い、弟は食器を俺にまかせて風呂に向かっていった。


 皿を洗いながら考える。明日、理香にどんな顔をして会えばいいのかわからない。まあ、ちょっと前もこんなことあったじゃないか。深く考えすぎるといいことは何もない。ネガティブな考えにいくのは俺の悪い癖だ。


 洗い物は終わった。俺は弟が風呂から出てくるのを部屋で待つことにする。


 弟が出てきたのを見計らって、風呂に向かう。一人の時間は長く作らないほうがいいかもしれない。一人はネガティブな妄想が頭を巡る。皿を洗っているときも、風呂に入っているときも理香のことでよくない方向に頭が回ってしまう。


「兄ちゃんさ、彼女さんと何かあったの?」


 風呂を出るなり弟に尋ねられる。こいつは俺のことよく見てるな。よく見ているからこそ愛莉に聞かずとも俺のことがそれなりにわかるのかもしれないな。


「いや、なんもねぇよ。お前もあんまり気にすんなよ。お前はお前の彼女のこと大切にしてやれ」


 適当なことを言って逃げておくことにした。


「そう? なんか悩んでるみたいだったからさ。気になるのもあるんだけど、相談なら乗るから気が向いたら話してみてよ」


「お前……いい奴だったんだな」


 健太のことを見直した一瞬であった。最近は彼女のことでいろいろとうるさかったところもあるから認識を間違っていたのかもしれない。気になるのもあるって正直に言っているのも少し笑えた。しかし、健太は何だかんだ信用できる弟であることには間違いなかった。


「今更気が付いたの?」


 健太はドヤ顔で俺を見た。こういうところがなければ本当にいい奴で終わったんだろうな、と思い、また笑えた。


「彼女さんのことは大切にしてあげなきゃダメだよ?」


 噛み締めるようにそういう健太は、自分に言い聞かせているようにも見えた。


「お前も、何か悩んでるんじゃないのか?」


 少し気になった。いつも蓮みたいにヘラヘラしている健太にも悩みがあるのか。失礼なことだが、こいつらに悩みがあるようには見えない。最後にこいつの悩みを聞いたのはいつだっただろうか。俺がまだ小学生のときだった気がする。その時でもこいつはクラスの女の子がどうとか言っていたような……。やはり悩みなんてないんじゃないのか。


「俺? 俺は大丈夫だよ。俺のこと気にしてる暇なんてないでしょ」


「確かにそうだけど」


 正論だ。理香のことで手いっぱいなのに健太の悩みを解決できるとは思わない。しかし、いつも相談している身としてはたまには力になってやりたい。


「お前も、気が向いたらでいいから話せよ」


 健太の言葉を借りてみた。案外恥ずかしいものだな。健太もぽかんとしているようで、しばらくぱちぱちとまばたきして、笑った。


「兄ちゃんって、人のことちゃんと見ててくれるよね。だから愛莉さんも兄ちゃんのこと好きになっちゃったんじゃないかな」


「だから愛莉は俺のこと……」


「好きだよ。これだけは絶対譲れない」


 俺の言葉を遮り、哀愁を漂わせてつぶやかれる。健太は頑なに俺と愛莉をくっつけようとしている。なんでなんだろう。愛莉にも確認したが、俺と付き合うのはありえないとお互いに言ったのだ。しかし、あの時の愛莉の悲痛な叫びも、俺の心を痛めつけた。


「でも、俺にはもう彼女がいるんだ」


「そうだね。俺も無理やり愛莉さんと付き合ってほしいわけではないんだ。ただ、愛莉さんの気持ちも知っといてほしいんだよ。ずっと好きだったのに寂しいじゃんか」


「知ってどうしろっていうんだよ。俺がそれを知ってたら俺は愛莉と顔を合わせれない」


 健太は言葉に詰まった。辛そうに口を噤む姿を見ると、さらに心が痛む。なんでそんな顔をされなくちゃいけないんだ。


「今日はもう寝る。おやすみ」


 俺はこの淀んだ空気を紛らわすためにこの場から逃げ出した。自室に入り、電気もつけずに布団に滑り込む。そして睡眠へ、無の世界へ逃げ込んだ。




 朝、健太と顔を合わせたが何も会話はなく、お互いに時間をずらして家を出た。


 教室に入ると、真っ先に蓮が「やつれてんぞ、どうした」と声をかけてきた。「問題ない」と適当にあしらって机で寝る大勢を整えた。


 やつれている? 昨日の口げんかがそんなに精神的にキているのか。何ともないと思っていたのだが、そんなことはなかったんだな。健太とは、ちゃんと話し合わないといけないようだ。冷静に、感情に流されることなく。


「健太君と喧嘩でもした?」


 寝ようとしていたところに、愛莉の声が聞こえた。健太といいこいつといいエスパーか何かか。


「ちょっとな」


 顔を上げずに答える。愛莉の顔を見て、どんな顔をすればいいかわからない。


「喧嘩なんて珍しいわね。あんたたち仲いいから喧嘩なんてしないもんだと思ってたけど」


「まあ、たまにはな。そんなときもある」


「そう。早く仲直りしなさいよ」


 愛莉はそれ以上話しかけることはしてこなかった。少しありがたい。今は愛莉と話している気分ではない。


「よーし、席つけよー」


 パンパンと手を叩いて教室に入ってきた小林は、怒鳴り声にも似た声を教室内に響かせた。ホームルームが始まる。


 授業が終了する時間は固定のはずなのだが、体感で変わる気がする。寝ているといつの間にか終わっているし、つまらないと思って受けていると一限が何時間も行われている気がするのだ。しかし、終わったときのやっと終わった、という感覚だけは変わらないものだった。

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