第22話 理香の異変
いつもの場所、中庭の一角に理香はいた。いつも通り来てくれていた、と内心ほっとする。
「またせたか」
声をかけると、理香は俺のほうを向いて、横に首を振った。そして、何も言わずに弁当を開き、食べ始める。俺もパンを食べ始め、いつものように先に食べ終わった。理香の様子をうかがう。なにか、ものかなしげな雰囲気を漂わせていた彼女は、今も黙々とご飯を食べている。
「なんかあったのか?」
気になって聞いてみた。俺のことではないことを祈って。
「何もないですよ」
理香は笑顔でそう答える。しかしその笑顔は何かとても痛みを我慢したような笑顔で、俺まで苦しくなりそうだった。
「話したくないなら無理には聞かないけど、あんまり無理するなよ?」
極力明るく話しかける。これで俺が原因だったらとんだ馬鹿野郎なわけなんだが、愛莉の家まで行ったことは伝えていないし、伝える必要はないことだ。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
少しそっけなく返される。やはり俺が原因だったのだろうか。これ以上聞いても、うっとうしいだけだろう。聞くことをあきらめ、理香がご飯を食べ終わるのを黙って見守った。
「先輩は、本当に私のこと好きですか?」
弁当箱を片付ける理香が、不意に零した。
「なんだよいきなり。そ、そりゃ、好き……だよ、あたりまえだろ」
好き、という単語をいうのが恥ずかしくて、どもってしまう。理香はうつむいて、少しの間黙っていた。
「そう……ですか。ありがとうございます。ちょっと安心できました」
そう言って理香は立ち上がった。目には少量の涙がたまっているように見える。
「では、行きますね」
それだけ言って小走りに、俺から逃げるように理香は自分の教室のほうへ向かっていった。
やはり俺は、理香に浮気を疑われていたのだろうか。心配になるが、こればかりはどうしようもない。「あ」と思い出して声が出る。昨日のこと謝るのを忘れていた。理香の異様な雰囲気に呑まれていた、といったところか。
俺は教室に戻ると、机に突っ伏してうなだれた。
「おうおうどうした。もしかして彼女と喧嘩でもしたか?」
蓮が俺の様子を見て嬉しそうに小突いてくる。
「なんでもねぇよ。小突くな、うっとうしい」
蓮は小突くのをやめ、急に真面目な顔をした。
「まあさ、喧嘩なんてしょっちゅうだと思うけど、それくらい乗り越えないとこれから先にどんな彼女ができてもすぐ別れるぜ?」
「経験者は語るってか?」
にやりとして言い返してみたのだが、蓮はさびしそうな顔をしてしまった。もしかして過去に何かあったのか、と心配になる。
「ああ。残念ながら俺に彼女がいた時代はない。彼女いない歴=年齢なんだよなぁ」
心配して損した。蓮はいつも通りに俺をからかって、そして真面目なところは真面目に言ってくる。いいやつなのかなんなのか……。
「喧嘩するだけしてさぁ、言いたいこと言って仲直りしちゃえよ。そっちのほうがすっきりするだろ」
「そうだな。ありがとよ」
俺は礼を言って授業の用意を整える。もちろん真面目に受けるつもりはない。昼食後の授業は眠くなるのだ。これは自然の摂理かもしれない。いやそうだろう。
授業は、寝ているあいだに終わっていたようだ。目が覚めた時には教師はおらず、教室内は騒がしかった。
ゆっくりと鞄を机の上に置き、教科書などを乱雑にしまって帰りの準備を終える。そして鞄を枕にしてもう一度睡眠体制を整えた。
「もう学校終わるのに今から寝るのかよ」
「どうせ人が少なくなるまで残るんだから寝ててもいいだろうが」
蓮が話しかけてきたのを一蹴して突っ伏せる。実際には寝るわけではない。うつぶせて楽な体勢で時間が過ぎるのを待つだけだ。
そして時は過ぎる。帰りのホームルームの終わりを告げる鐘が鳴った。
「んー」と声を出しながら伸びをする。俺は立ち上がることはせずに座ったまま教室内から人がいなくなるのを待った。
「そろそろ行くか」
俺は立ち上がると、カバンを持って昇降口に向かった。昇降口には蓮と愛莉はおらず、その代わりと言っては申し訳ないが、理香がいた。
「理香、今日は校門で待ってるんじゃないのか」
理香は恥ずかしそうに俯いた。「はい」と小さく呟くと俺のすぐ近くに寄ってきた。
「……どうしたんだ?」
理香がすぐ隣にいるのはいつものことだが、今日はその距離が近い気がする。
「どうもしませんよ?」
またも恥ずかしそうにそういって、さらに少しだけ近づいた。
「靴、履き替えていいかな」
俺がそういうと理香は「すみません!」と俺から飛びのき、俺が靴を履き替え終えると先ほどのようにいつもよりも少し俺に近づいた。
「……今日は、なんか近いな」
恥ずかしさを堪え、尋ねてみる。理香は「そんなことないですよ」と俺から離れることなく歩いていたが、俺と手がぶつかるたびにビクッと反応して少し離れ、そしてまた近づいてくるのだった。正直、違和感しかなかった。いつもの理香とは明らかに行動が違う。しかし、深く追求することもないか、と気にしないようにしていた。
校門からでて、まっすぐ理香の家に向かって歩く。少し歩きにくいとは思うものの、悪い気はしない。しかし、あまりに距離が近いため、きまずくて話しかけにくい。
「今日、このあとお時間ありますか?」
気まずさの中、理香が口を開いた。理香を見ると、顔を赤らめてまっすぐ前を向いている。目を合わせないようにしているのか。
「ああ。別に大丈夫だけど、なんかあるのか?」
今日は俺が夕飯を作る当番のはずだが……。作れないなんてことになったら詫びを入れておくとしよう。
「よかったら、家、寄っていきませんか?」
取り立てて用事もなかったから必要もないかと思っていたのだが、理香のほうから誘ってくるのは意外だった。こういうことはあまり言うタイプに見えないのだが。
「今日は家で夕飯作らないとだから、それまでに帰れれば大丈夫、かな」
俺は言葉を濁した。あまり乗り気だと思われても困る、というかがっついてると思われたくない。
「そ、それなら早く帰ったほうがいいです。お夕飯作らないといけなかったんなら無理して私を送ってくれなくてもよかったのに……」
「無理はしてないよ。俺はできる範囲でやってるだけだ。無理してたらお前に迷惑かけちゃいそうだしな」
沈んだ表情を少しでも和らげてやろうと明るく言ってみたのだが、あまり効果はなかったようだ。理香の顔は先ほどとたいして変わらず、寂しそうな表情をしていた。
「じゃあ、今日は送るだけ送ったら急いで帰ることにしようかな」
その一言で、理香の顔は少しだけ微笑み、そしてまたさみしそうに笑った。
「そっちのほうがいいです」
消えそうな声で呟かれる。いつもより近いから聞き取れるものの、離れていたら聞こえていたかわからないような音量だった。今日の理香はどうしたのだろう。やはり気になる。
「なあ」切り出してみる。理香を見つめると、そらしていた目をちらちらを合わせてきた。
「今日はどうしたんだ? やっぱりなんかおかしいぞ」
「そんなことないです。いつも通りですよ。先輩が気にしすぎなんですよ」
笑ってみせるその顔はつらくゆがんでいるように見えたのだが、聞いたところで答えるつもりは毛頭ないのだろう。仕方ない。もう本当に諦めよう。「そっか」と一言。それだ
けで会話を終わらせる。もう暗い話はやめにしたい。
「ここまでで大丈夫ですよ」
途中の十字路で理香は俺からスッと離れた。もうすぐ理香の家だ。ここまできたなら距離はたいして変わらない。
「いいよ、別に。送るつもりだったんだから最後まで付き合うよ」
理香は考えるそぶりを見せ、ぱっちりとした目を細めて笑った。
「私がいいって言ってるんだからいいんです! 今日はここまででいいので、先輩は家に帰ってお夕飯の用意をしてください」
理香が俺を無理やり回れ右させて、背中を押す。
「わかった、わかったから」
俺は根負けして理香の方を振り返る。理香は、泣いていた。
「え? は? おい、どうした、大丈夫か」
あわてて理香の肩に手を置き、顔がしっかりと見えるところまで体をかがめる。
「い、いえ……なんでも、ない、です」
理香は目をこすって涙をぬぐうと、肩に置かれた俺の手を払って逃げていった。振り返るとき、小さく「さようなら」と聞こえたのが、気がかりだ。このままほっといていいのか、と思う反面、追いかけたところで何をしてやれるのかもわからない。とりあえず追いかけて、話を聞いてやることくらいはできると、俺は理香を追って走り出した。
幸い、何度か通った道のため、理香の家まで迷うことはなかった。インターホンを鳴らし、返事を待つ。返事はない。この家には誰もいないのではないかという雰囲気を醸し出した理香の家は、静かに、ただそびえたっていた。
「仕方ない、か」
俺は携帯を取り出して、理香にメールを送る。電話には出てくれないだろうと踏んでのことだ。「なんで泣いてたのかは知らないけど、話くらいなら聞いてやれるからなんでも話してくれよ」と何ともバカらしい文章になってしまった気はするのだが、送信した。予想はしていたが、返事はない。
家に向かって歩き出そうとしたその時、携帯が鳴った。理香か、と急いで携帯を見るが、携帯には健太と二文字。
「もしもし、健太か。どうした」
『兄ちゃん? 今日は夕飯、兄ちゃんの登板だからね。忘れてない?』
そういえば連絡し忘れていた。しかし、そんなに時間は立経っていないように思っていたのだが、案外過ぎていたようだ。弟の怒り気味な態度に焦りを覚える。
「すまんすまん、理香を送ってたら遅くなった。すぐ帰ってやるから待ってろ」
『まあいいんだけどね。兄ちゃんは彼女さんといちゃいちゃしててくれればさ』
先ほどの怒り気味な態度はどこへやら、健太は、はっはっはとわざとらしく笑って「夕飯、そんなに手の込んだものじゃなくても許してあげるよ」と謎に上からものを言われて
通話が切れた。
「なんだったんだ、あいつ」
呟いて携帯の時計を確認する。確かにそれなりに時間は経っていた。周りも暗くなり始めているし、急いで帰った方がいいだろう。俺は携帯をポケットにしまうと、走り出した。
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