第20話 愛莉の気持ち

 次の日、愛莉は学校を休んだ。


 学校が終わると、俺はいつものように教室で待機するのではなく走って昇降口に向かった。


「おうおう、そんなに急いでどうしたよ。愛しの幼馴染が心配で走り出しちゃうお年頃か?」


 蓮が追いかけてきてそんな軽口をたたく。先ほどだいたいの説明はしてあるので、茶化しにきた、という感じか。


「まあ心配だからな、一応」


 口ごもる。愛しの、の部分を否定しようと思ったのだが、うまく言葉がでない。俺は靴を履きかえて走り出した。蓮はついてくる様子はなくヒラヒラと手を振っているのが横目に確認できた。


 走って校門を抜けると、まっすぐ愛莉の家に向かった。途中、携帯を取り出す。手慣れた手つきで電話を掛ける。数コールの後、ガチャッとノイズが聞こえた。


『……もしもし』


 理香の声が電話特有のノイズに乗って聞こえてくる。不安が混じっているように聞こえた。


「すまん、今日も一緒に帰れそうにない。悪いけど、今日も一人で帰ってもらっていいか」


 しばしの沈黙が訪れる。すでに校門で待っていたのかと思うと申し訳なくも思うが、今日は仕方ないということにしておく。


『はい、わかりました』


 落胆したような声が聞こえる。『それでは』と理香は電話を切ってしまったが、もう一言くらい謝っておきたかった。


 理香のことも気になるが、今は愛莉だ。俺は携帯を雑にポケットにしまうと、走るスピードを速めた。


 昔、一度だけ似た出来事があった。熱が出ていても学校にくるような愛莉が学校を休んだのだ。その前の日は、今回と同じように愛莉が不審な行動を取ったのだ。あのとき愛莉は……。


 ちょうど愛莉の家にたどりついた。息を整え、インターホンに手を伸ばす。


 しばらく待つと、ガチャッという音とともに愛莉が出てきた。


「なにしにきたの?」


 愛莉が訝しげな表情をして俺を睨み付ける。


「なにってお前の様子を見にきたんだろうが」


 愛莉は悲しそうな顔をして俯く。


「……立ち話もなんだし、あがっていけば?」


 愛莉は家の中に戻っていった。俺も愛莉に続いて家の中へと入っていく。


 愛莉の家に来るのはいつ以来だろう。玄関を見渡すと懐かしいような、つい昨日も来たような不思議な気分にさせられた。


「お前の家に来るなんて久々だな」


 気まずい空気を換えようと呟いてみる。愛莉は歩きながら「そうね」と一言。会話が続かない。結局愛莉の部屋に入るまで何も話すことはなく、気まずい空気のまま時間は過ぎ


ていった。


 部屋に入ると、愛莉はすっとベッドに座った。俺はシンプルな柄のカーペットが敷かれた床に座る。


「今日も彼女と帰るんじゃなかったのね」


 棘のある言い方だった。確かに、彼女をほっといて愛莉にばかりかまっていると思われてもおかしくはないだろう。


「まあ、心配だったからな」


 愛莉は俺の言葉を聞くとため息をついた。


「あんた、彼女ほったらかして私のところに来てていいの? 彼女、悲しむよ」


「理香にはあとで謝っとくよ。それよりも今はお前だ」


 俺は愛莉の顔をまっすぐ見た。元気の塊みたいな奴なのに、今はその元気のかけらもなかった。俺が目をそらさずに愛莉を見ていると、耐えかねたのか目をそらされた。


「お前が学校を休むなんておかしいだろ。熱が出ても来てたような女だぞ?」


「私だって普通に休むときくらいあるわよ」


「昔のこと、覚えてるか? っても自分のことだもんな、覚えてるか」


 愛莉はピクッと反応を示し、押し黙った。俺は愛莉が何か言う前に言葉を紡いだ。


「いつだったか忘れたけどよ、お前が学校を休んだとき、お見舞いに行かされたんだよな。そしたらお前、この部屋の窓から飛び降りようとしててさ。焦ったよ、ほんとに。何があったのか、今でも知らないけど、お前が急におかしな態度取ると心配になるんだよ。彼女のこととか置いといてさ」


 今でも鮮明に思い出せる。窓際に立った愛莉の泣き出しそうな表情。結局、俺が止めたことで大事には至らなかったが、俺が来ていなかったらどうなっていたかわからない。


 愛莉は黙ってうつむいていた。俺の言いたいことはだいたい言った。愛莉からの反応を待ってみる。しかし、うつむいているだけで反応が返ってくる気配はない。


「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 突然、愛莉が顔をあげて呟いた。その顔は真剣そのもので、俺はついゴクリと喉を鳴らしてしまう。


「私が、あんたのこと好きって言ったらどうする?」


 一瞬何を言っているのか理解できない。理香の時にも同じ反応をした気もするが、本当に何を言っているのか理解できなかった。そのくらいパニックになってしまったのだ。


 愛莉が俺のことを好き? 健太とか蓮が言っていたことが本当だったってことか……?


「お前、何言ってんだ? 本気か?」


 声が震えてしまう。いまだに信じられない。いや、でも俺には理香がいるわけで、愛莉と付き合うことなんて考えられない。というより考えてはいけない。


「冗談でこんなこと言えると思う?」


 愛莉は、深くため息をつく。言いたくなかった、という雰囲気がひしひしと伝わってきて、現実味がわいてくる。


「ちょっと待てよ、話がおかしい。なんで昔の話からお前が俺のことが好きとかそういう話になるんだ」


「じゃあ将太は、私がなんで飛び降りようとしてたと思うの?」


 そんなのわかるはずもない。もしかして、俺が原因で愛莉は飛び降りようとしたのか? だとしたら、原因はなんだ。


「わからないみたいね」


 愛莉が会ってから何回目か、というため息をついた。


「中学二年の時だった。あんたが、クラスで可愛いって言われてた女の子とずいぶん仲良さそうに話してたのよ。それが丁度私の耳にも入っちゃってたの。そのときのあんたは、私と話してるときとは明らかに違う態度だった。なんでかな。その時私、将太は私を女の子って見てくれてないんだって思っちゃったのよ。なんで飛び降りようとしたかは忘れちゃった。飛び降りたら、何か変わると思ってたのかな……。中二病ってやつだったのかも」


 愛莉は悲痛にゆがんだ笑顔で過去のことを話した。なんで気付いてやれなかったのか、自分が情けない。愛莉は、もしかしたら中学二年から今の今までずっとそのことで悩んでいたのかもしれない。


「今日学校を休んだのもそう。あんたが彼女と話してるのを見ちゃったし、想像しちゃった。明らかに私とは違う接し方をしているあんたを想像して、嫉妬してたのかもしれない。


っていうか嫉妬してた。何が違うのかなって。私は女の子扱いされてないんじゃないかって思っちゃったのよね」


「人によって態度が変わるってそりゃ普通だろ。目上の人には敬語を使うし、友達には今みたいに普通に接する。俺がだめだったのか? 中二の時のことはあんまり覚えてないけど、今だって、理香とお前を区別? してるわけじゃない。二人とも同じように接してるつもりだ」


「同じじゃないよ。私とは明らかにちがう」


「それは、俺とお前が一緒にいた日数が違うからだろ。俺とお前は幼馴染だ。ちょっと接し方が違ったところで何も不思議じゃないだろ」


「じゃあなんで蓮と私は同じ扱いなの?」


 愛莉は怒りにと悲しみに満ちた表情で俺を見た。目にいっぱい涙をためて。


「蓮と同じってどういうことだよ」


「理香ちゃんと私は全然扱いが違うのに、蓮と私は扱い方が同じじゃない」


 涙がこぼれる。頬を伝って床に落ちたそれを俺は見つめることしかできなかった。


 接し方など、意識したこともなかった。いつも通り接していただけなのだが、俺はどこかで愛莉を女性として見ていなかったのかもしれない、と感じざるを得なかった。


 過去の記憶が蘇る。「愛莉と付き合うなんてありえない」「愛莉が俺のことが好きなんてありえるわけがない」長いあいだ一緒にいたせいなのか、愛莉はそこにいるもの、と思ってしまっていたのかもしれない。


「ごめん。俺、気付いてなかった。お前と長く居すぎて、お前のこと見えてるようで見えてなかったみたいだ。ホントごめん」


 平謝りしていた。申し訳ない、という感情しかこみあげてこない。


「謝ってほしいわけじゃないわよ。今日休んだのは私の問題」


「その問題だって俺が原因で起きてることだろ。俺が全部悪いとは言えないけど、俺の態度が悪かったのも事実だ。だから謝る。ごめん」


「だから謝らないでよ。謝って解決する問題でもないでしょ」


「そうだけど……」


 愛莉の顔を見た。怒っている様子ではない。負の感情が渦巻いているようだった。頬を伝っていた涙はもう一滴も残っておらず、そこには乾いた涙の跡が残っているだけだった。


「いや、ごめん。……あ、いや、今のは謝ってたことに対しての謝罪な!」


 一度謝ってから慌てて補足する。愛莉はクスッと笑って俺を見た。


「私もなにしてんのかなぁ。彼女いる男困らせてさ。……でも、来てくれてありがと。嬉しかった」


 愛莉は涙の跡が残った頬をごしごしと擦って照れくさそうに笑った。


「ちょっと期待してたところはあるんだ。中学の時みたいに、駆けつけてくれるんじゃないかってさ」


「当たり前だろ。彼女と同じくらい心配なんだからさ」


「それ、理香ちゃんの前で言ったらダメよ? 今でも将太をたぶらかして! とか思われてるかもなのに、もっと嫌われちゃう」


 自嘲気味に笑うと愛莉は、ごろんと後ろに体を放った。俺も布団にではないが同じように仰向けになった。床が冷たくて心地いい。蛍光灯がまぶしかったが、すぐに慣れてしまった。


「あーあ。こんなことならアンタと付き合わないなんて言わなければよかったな」


「なに言い出すんだよ。今までそんなこと考えもしなかっただろ? これからもおんなじだ。俺とお前は付き合わねえよ」


「それもそうね。でも、あんたに彼女ができちゃったから、学校休んでも心配して家まで来てくれる人もいなくなっちゃう」


「さっき彼女と同じくらい、お前のことも心配っていったろ? また休むようなことがあったらまた家まで来てやるよ。どうせ家近いんだからさ」


「家が近いから来てくれるの?」


 愛莉は意地悪に笑う。「そうじゃないけど」と俺がつぶやくと、大笑いしてしまった。


「やっぱり、ダメだな。あんたとは付き合えないわ」


 愛莉が体を起こしてつぶやく。残念そうに息を吐いて、腕組みした。俺も体を起こして、しっかりと愛莉の顔を見つめた。また涙ぐんでいるようで、胸が痛かった。


「蓮も弟も、お前が俺のこと好きだって言ってた。お前、さっき聞いたよな。私があんたのこと好きって言ったらどうするって。本当に俺のこと……」


「そんなわけないでしょ。私はあんたのこと好きよ。でも、あんたが思ってる好きとは違う。男としてじゃなくて、幼馴染として。腐れ縁みたいなもんよ」


「そうか。そうだよな。付き合うなんてありえないよな。俺もそう思う」


 愛莉は黙っていた。清々しい顔をして。憂いが含まれていたのは気のせいだろう。先ほどまでは、おそらく自分を見失っていたのだ。


 愛莉が俺のことを恋愛対象として好きではないとわかって、安心した反面少し残念でもある。いや、今は彼女がいるのだから、残念とか思ったところで付き合えるわけでないのだ。考えるだけ無駄だろう。しかし、あのまま愛莉が俺のことが好きだから理香と別れてくれと懇願したら……。俺はちゃんと断ることができたのだろうか。正直悩んだと思う。


理香をとるか、愛莉をとるか。その結果はわからない。いや、知りたくない。もし愛莉だったらと考えてしまうと……。


 あとで理香に連絡しておこう。もう一度、今日のことは謝らないといけない。


「じゃあ、今日は帰るよ。何事もなくてよかった」


「うん、ありがとね。心配かけてごめん」


 愛莉にしては珍しく素直に謝った。そんなしおらしい姿に俺はつい笑ってしまった。「なによ」と愛莉は口をとがらせている。


「前に俺が感謝するのは似合わないって言われたけどさ、お前も似合ってねえぞ」


「うるさいわね。早く帰りなさいよ」


 愛莉は俺の腕をつかんで無理やり立たせると、そのまま引っ張って玄関まで連れていった。


「じゃあね!」


 俺は靴もまともに履けないまま家を追い出された。

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