第11話 デートの約束
「あぁ、今何時だ」
呟いて、枕元に置いてあるはずの携帯を手探った。案外携帯は見つからない。数十秒の格闘の後、携帯らしき物体に触れ、鷲掴みにする。
携帯の画面が見やすいように位置を調整しながら電源を入れる。パッとついた携帯の画面が俺の目を刺激する。一瞬目が眩みながらも時間を確認すると、七時を少し回ったところだった。もう少ししたら家を出よう、と俺は布団を体の上からどける。重たい体をゆっくりと起こし、目を擦る。それなりに寝たはずだから眠くはないのだが、あくびが出た。
着替えよう、と腕を伸ばして体を無理やり覚醒させる。寝巻を脱ぎ捨てて制服に着替えた。制服に着替えると、「ああ、今日も学校なんだな」と気怠さでため息が出る。今日も学校に行って怠惰的に過ごし、そして帰るのだろう。
「家、出るか」
時計は七時二十分頃を針で示し、家を出るには少し早いくらいだろうと考える。早いことに越したことはない。なぜなら遅く行けば昇降口は生徒の海が出来上がる。それなら早く行ってしまった方がマシだ。
俺はリビングに顔を出すことなく玄関に向かった。靴を履き替え、ドアに手をかける。「行ってきます」と小声で呟いた。
この時間、練習がない限り健太はまだ寝ている。ドアを開けるのも慎重に、音が最小限に済むようにゆっくりと開け、体を外に逃がしてから、ゆっくりと閉じる。
学校までの道は単純だ。基本的にまっすぐ進んでいたら着いてしまう。緩めのカーブを曲がるとするなら二回ほど曲がるが、それだけだ。特に目立った目印もなく、家が立ち並ぶ道をゆったりと歩く。
「ん、おお、将太じゃん」
俺が最後の曲がり角に差し掛かった時、軽い雰囲気を漂わせた声が聞こえる。聞き覚えのある声。振り返ると、金髪の男がいた。
「蓮か。よう」
軽い挨拶を交わす。蓮も片手をあげることで返事をして、俺の横に並ぶ。
「昨日はお楽しみだったか?」
蓮はニヤニヤと俺を見ていた。最近ニヤけているこいつをよく目にする気がする。
「一緒に帰っただけだよ」
「ま、そうだわな」
蓮は知ってた、と言わんばかりに頭の後ろに手を回した。
「俺らも卒業するんだよな」
「お前、卒業できるのか?」
蓮が卒業を話題に持ち上げたので、疑問を投げかける。蓮は「ひでぇ!」と一言叫んでから「確かにな」と納得したように呟いて考え事を始めた。
「そこで真剣に悩まれるとこっちが困るんだけど……」
俺たちは、その後もくだらない会話をして学校に向かった。
「そういえばお前、今日は早いんだな」
学校に着くまで気にも留めなかったが、蓮が学校に来るのは遅刻ギリギリか、昼休みが終わってからが普通だった。最近は朝から居ることが多いのだが、やはり違和感がある。
「まあ、俺もそろそろ真面目に学校に行かないとなーってさ。思ってはないけど、出席だけでもしとけば何とかなるじゃん?」
へらへらとした口調で頬杖をつく。本当に大丈夫なのかと心配にもなるが、まあ大丈夫なのだろう。高校一年の時からの付き合いではあるが、蓮が大きな失敗をしているところを俺は見たことがない。
「お前がいいならいいけどよ」
教室でも世間話に花を咲かせる。蓮がつまらないボケをかまし、俺が冷静に突っ込む。いつもの流れだ。そこに少し遅れて愛莉がやってくる。今日も俺の学校生活は滞りなく進んでいる。
昼休みになると、俺は昼食を持って中庭に向かった。理香はまだ来ておらず、適当に腰掛けて待つことにする。
「お待たせしました」
走ってくる音とともに、理香が弁当箱を大切そうに抱えてやってきた。
「別に待ってないから大丈夫。一緒に昼飯食べるって約束してるわけじゃないだろ?」
「そうですけど、食べるの待っててくれたんですよね?」
理香はいじわるな笑みを浮かべて俺を見た。こんな表情もするのか、と内心照れつつ頭を掻く。「まあ、確かに」と言葉を濁し、パンの袋を開いた。
理香が笑っているのが横目に見える。俺はさらに恥ずかしくなってあらぬ方向を向いてパンを食べ始めた。
「今日も一緒に帰れますか?」
弁当箱を開きながら尋ねる。俺は「ああ」と一言だけ。その一言だけだったが、理香が嬉しそうに笑ったのがわかった。
「じゃあ、今日も校門で待ってますね」
「またしばらく待っててもらうことになると思うけど、それでいいなら」
俺は人ごみを避けるために学校が終わってからすぐには教室を出ない。その所為で理香を待たせてしまっているわけなのだが、彼女はそれでもいいのだろうか。
「大丈夫ですよ」
笑顔が眩しい。俺は恥ずかしくなって、また顔をそらした。顔が熱くなるのを感じた。付き合い始めた当初には思いもしなかった感情が、今確実に俺の中で芽生えているのがわかる。
俺は、理香のことが好きなんだ、と初めて気が付いた。まだ付き合って日は浅いどころの騒ぎではないが、俺は確実に理香に惹かれているのだと感じてしまう。
もしかして惚れやすいのだろうか、とも考えてしまう。が、今が幸せならばそれでいいではないかと自分を納得させておいた。
「そういえば、今週の土曜日空いてるか?」
パンを食べ終え、弁当を食べる理香に言った。
理香は一瞬きょとんとした顔をし、すぐに顔を赤らめる。
「空いてますよ」
「じゃあ、どっか遊びに行くか」
恥ずかしいのでデートとは言わないが、理香はわかっているようだ。
小さく微笑んで「はい」と返事をした。
「どこか行きたいところってあるか?」
「先輩と一緒ならどこでもいいです」
「んー……」
俺はデートの経験なんてないから、どこに行ったらいいかなんてわからない。
理香はどこでもいいと言ってくれてはいるが、せっかく遊びに行くのにつまらない思いなんてさせたくなかった。
「じゃあ、考えとくな」
「はい! 楽しみにしてますね」
無邪気な笑顔で理香は言った。ハードルが上がる。
「じゃあ、俺は戻るわ」
そう言って俺は教室へ戻る。
蓮でも聞いてみよう。からかわれることは間違いないが、今は少しでも情報が欲しい。
廊下を歩いていると、ちょうど蓮が歩いてきた。
「おう、今日はどうだったんだよ」
第一声がこれだ。俺は本当にこいつに相談するか悩みつつ、切り出した。
「……デートすることになった」
「マジか! どこ行くんだよ~」
蓮は嬉しそうに俺の肩を叩てくる。
「……どこに行ったらいいと思う?」
小声になりながら言う。
「やっぱりそうなったか……。そうだなぁ」
蓮は少し悩むそぶりを見せた。
「理香ちゃん、だっけ。あの子ってそんなに騒がしいの好きそうじゃないし、水族館とか動物園とかそういうのでいいんじゃねえの?」
蓮にしてはまともな意見だった。てっきり変なことを言うものだとばかり思っていたので、俺は面食らう。
「そんな顔すんなよ。俺だってたまには普通のこと言うんだぜ?」
俺の心を読むかのようにそれだけ言って蓮は行ってしまった。
「あとで理香にも聞いてみるか」
呟いて教室に戻る。
教室では愛莉が暇そうに携帯を見ていた。俺が戻ってきたことに気が付くと、携帯をしまって俺のほうを向く。
「今日は戻ってくるの早かったわね」
「別にいいだろ」
「ちょっとでも彼女と一緒に居たくないの?」
からかうように笑いながら愛莉は言う。
「うるせえな」
少し乱暴に椅子に座る。愛莉は楽しそうに俺を見ていた。
「ちょっとからかわれたくらいで拗ねないでよ。私はあんたのこと応援してるのよ?」
「そうかよ」
愛莉と話していると、教室に戻ってきた蓮が「今日もいちゃいちゃしてきやがったか」と茶化してきた。
「ああそうだよ」
俺がそっけなく返すと、蓮は戸惑ったような顔をしたが、すぐに俺を小突いた。
「なんだぁ? その顔は。自分は彼女が出来て幸せですってか? 羨ましい限りだなぁおい」
蓮は俺を羽交い絞めにすると、頭をわしわしとかき回した。俺たちは笑いあって授業の用意を始めた。
いつものように授業を聞き流す。俺は帰りのホームルームが始まるのを、カバンに教科書を詰め込みながら待った。
「お前、今日も理香ちゃんと帰るのか?」
「ああ、そのつもりだけど、どうかしたのか」
「いや、なんか俺が言った次の日から一緒に帰り出したからよぉ、案外気にしてたんだなってさ」
蓮がにやけながら言う。最近こいつのにやけ顔をよく見る気がするのは気のせいではないだろう。そろそろこのにやけ面にはうんざりしてきた。
「一緒に帰らなかったら、それはそれでなんか言ってくるじゃねえか」
「まあな。そりゃ、付き合って二、三日のカップルが別れたら気分悪いだろ? それがお前だったらなおさらだしな」
「それは建前で、俺らを見てからかいたいだけだろ?」
蓮は悪びれた様子もなく「おう」と笑いながら頷いた。こういうはっきりしたところは嫌いではないが、人としてはどうかと思う。
「まあ、仲良くやってるみたいならそれでいいんだけどよ……」
蓮は言葉を濁した。続きを聞くために待ってみたのだが、話し出す気配はない。
「いいけど、なんだよ」
俺がそう口を開いたチャイムが鳴り響き、担任が入ってくる。いつもは早く鳴れと思っているチャイムも、今だけは何で今鳴ったのだとほんの少し恨んだ。
ホームルームが終えた後、いつも通り教室から人がいなくなるまで待った。ものの数分で人は居なくなり、静かな教室内を眺めて息をついた。
静まり返った教室内を出て、いつものように昇降口に向かう。昇降口には蓮と愛莉がいて、主に蓮が俺に文句を垂れる。
「一回くらい早く教室出てもいいんじゃねぇの?」
「絶対に嫌だ。人ごみに入りたくない」
即答する。しかし理香のことを考えると、人ごみに耐えて教室を出ることも考えなければならないのかもしれないと思ったりもする。
「別に俺らはいいけどよぉ、理香ちゃんのことも考えてやれよ。いっつも待ちぼうけで校門のところにいるなんて可哀想じゃね?」
やはりというか、理香のことを蓮が挙げる。俺は「考えとく」と言いながら靴を履きかえ、歩き出す。蓮たちも俺に倣って歩き始めた。
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