第17話
「リスティア院長、この指は何本に見える?」
三本の指を立てた手をマリアが見せてきたので、リスティアは思わず唇を尖らせた。
「一応言っておくけど、あたしは正気を失ったわけじゃないからね?」
「でも、孤児院を建て直す資金を得たなんて言われても……リスティア院長は、どこかの貴族様だったりするの?」
「あたしは普通の女の子だよ?」
「……普通の女の子は、一晩で孤児院を譲り受けたり、孤児院を建て直すほどの資金を得たりなんてしないわよ」
「孤児院を譲り受けたり、お金を入手する方法があるだけの、普通の女の子だよ?」
「それもう、普通の女の子でもなんでもないわよ」
思いっきりため息をつかれてしまった。普通であるがゆえに普通なはずなのに、普通の女の子になるのって大変なんだなぁとリスティアは思った。
「もう一度確認するけど、資金を得たのは本当なの?」
「うん。いまは手元にないけど、建て替えに必要な資金は商会が払ってくれることになってるんだよ。もうすぐ大工さんが来るから、そのときに聞いてみれば良いよ」
「……そうね、聞いてみることにするわ」
そんなわけでマリアの説得は完了――とリスティアは考えた。なので、テーブルの上に真っ白な図面を用意して、みんなの意見を取り入れた設計図を描くことにした。
「んーっと、んーっと、一人一部屋で、孤児が増えても対応できるようにして……あとは遊戯室と足湯。庭には遊び場だったよね。それと、あたしの部屋は二人部屋にして……」
さりげなく、いつか妹が出来たときのことを考えつつ、リスティアは細くしなやかな指で万年筆を走らせ、まるで定規を使ったかのように綺麗な製図を描き上げていく。
「院長先生、すっごーい」
「えへへ、ありがとう~」
子供達に褒められて上機嫌のリスティアは、離れを増やして大きなお風呂を追加した。ついでに孤児院本体も二階建てにして部屋を増やしておく。
「それと……こっちは畑。でもって、お店も建てちゃおうかなっ」
リスティアはよどみなく図面を引き、コの字型に連なる三つの建物を設計。
更には別の用紙を取り出し、そっちには給排水のラインや、空調用のダクトを書き込み、魔導具を使って、上下水道に、冷暖房を完備出来るようにする。
最後は、建物の素材を決めて、荷重計算を書き込んで、リスティアはあっという間に完璧な製図を完成させてしまった。
「これはたたき台だから、みんなの希望があったら反映するよ~」
まだたたき台だった。
子供達はわくわくして図面に目を通して――なぜか微妙な顔になってしまった。
リスティアはどうしたんだろうと首を傾げるが、子供達は困惑顔で答えてくれない。リスティアは、困ったときのマリアに助けを求める。
「なにかダメだったかな?」
「えっと、なんと言うか……本当に、こんなに凄い建物を作れるの?」
「作るのはあたしじゃなくて大工さんだよ?」
「いや、そういう意味じゃなくて、資金とか。あと、この魔導具の給水システムってなによ」
「魔導具で、井戸の水を汲み上げるシステムだよ?」
「いや、そもそも、そういうシステムが……うぅん、もう良いわ。後で大工さんに聞くから」
なんとなく、ダメな子扱いされた気がして、リスティアはしょんぼりした。そして、もっとマリア達に凄いって言ってもらえるように、もっともっと頑張ることにした。
なお、やりすぎて呆れられていることには残念ながら気付かない。
「よーし、いまからあれこれ進めるから、みんな表に行くよ~」
という訳で、図面を完成させたリスティアは、子供達を連れて孤児院の外へとやって来た。
ちなみに、リスティアのストッパー役となっていたマリアは同席していない。この街にあるグラート商会の支部に、お金の立て替えについて確認に行くと出かけてしまったからだ。
どう考えてもリスティアの行動は非常識で、ちゃんと確認するしっかりしたマリアを褒めるべきなのだが――リスティアは、あたし信用ないなぁとちょっぴり落ち込んだ。
だけど、落ち込んでばかりもいられない。
リスティアの周囲には、十一人の子供達がいる。ここで良いところを見せれば、みんなが「お姉ちゃん凄い!」と言ってくれるかもしれない。
それに、確認に出かけたマリアだって、そのうち帰ってくる。
戻ってくるまでに色々と変えておけば、「私が留守のあいだにこんなに、お姉ちゃん凄い!」って言ってくれるかもしれない。
という訳で、やる気を出したリスティアは作業を開始することにした。
「まずは……古い建物を退かせるところから、かな」
リスティアはサーチ系の魔法を使い、旧孤児院の基礎部分を確認する。その結果、地中にはほとんど手が加えられていないことが分かった。
これなら簡単だね――と、リスティアは無詠唱で魔法を発動。敷地の隅っこの土を、孤児院の建物と同じ広さで、深さを三十センチほど撤去。アイテムボックスに放り込んだ。
「うわぁっ、急に地面が陥没した!?」
「なになに、なんなの!?」
子供達が一斉に慌て始める。それを見たリスティアは、驚かせちゃったと反省。
「みんな落ち着いて、あたしが魔法で土を撤去しただけだから、驚くことなんてないよ~」
もしここに魔法の知識が多少でもある者がいれば「撤去しただけって、そんなわけあるか!」と全力で突っ込んだだろう。けれど、孤児院で育った子供達にそんな知識はなく――
「ふぁっ、院長先生って、魔法使いなんだ!」
「院長先生、すっごーい!」
子供達は純粋に驚き、リスティアを凄いと囃し立てた。
それを聞いたリスティアは、やった、凄いって言ってもらえたよ! お姉ちゃんって言ってもらうまでもう少しだよ! なんて喜ぶ。
そして、今度はみんなを驚かさないようにと、ちゃんと魔法陣を展開――凄まじく大きくて綺麗なそれは、子供達をなおさら驚かしたのだが、それはともかく。
孤児院を基礎部分ごと浮かし、先ほど空けたスペースにゆっくりと下ろした。
「お家が移動しちゃった!」
「院長先生、すごい、すごーいっ!」
興奮した子供達にしがみつかれ、リスティアは『わぁい、みんながあたしを慕ってくれてる。嬉しいよぅ。えへへ~」と内心ではしゃぐ。
けれど、お姉ちゃんとしてそんな態度は見せられないと態度には出さず、「ありがとうね」と、みんなの頭を優しく撫でつけた。
ただ、表面上は平常心を装っていても、胸の内で興奮しているのは事実。リスティアはさらにあれこれ進めることにする。
「よーし、それじゃ次、いっくよ~」
まずは建築予定地を掘り下げて、基礎工事がすぐにおこなえる状態に持って行く。
続いて、地下千メートルほどをサーチ系の魔法で調べて、地下水と高温泉を確認。地上までぶち抜いて、そこにオリハルコンで作ったパイプを突き刺した。
学者が知れば『神話の金属を、給水のパイプにするなんて!?』と発狂するかもしれないが、リスティアにとっては絶対に錆びない金属くらいの認識である。
魔石を利用したポンプを設置して、いつでも温泉やお水を取り出せるようにした。もちろん、部屋にも温泉を引いて、足湯を作れるようにするのも忘れない。
「次は……下水だね」
家の設計図に従って、下水を流す場所にパイプをつなげ、魔石を使った浄化装置で汚水を処理、近くにある川にまで流すようにする。
もちろんパイプはオリハルコンで、学者が知れば『神話の金属を、下水のパイプに……』と涙したかもしれないが、もちろんリスティアは気にしない。
さくさくっと作業を終えてしまった。
そうして一息入れたリスティアはみんなを見たのだが、子供達はきょとんとしていた。
どうやら、基礎部分を掘り下げたのが確認できたくらいで、他の作業は見えない部分が多くて、子供達には理解できなかったようだ。
「院長先生、いまなにをしたの?」
「えっとねぇ、地下水と温泉を引いたんだよぉ」
「地下水と……温泉?」
孤児院で生まれ育った子供達は世間に疎いため、温泉を知らないのだろう。可愛らしく首を傾げている。
リスティアはそんな子供達に優しい眼差しを向けつつ、「非火山性温泉って言って、地下の深いところにあるお湯を、魔法で地上まで汲み上げたんだよ」と教えてあげた。
もちろん、子供達にはその説明の半分くらいしか理解できなかった。けれど、魔法が凄くて、それを使える院長先生が凄いと言うことは理解できたらしい。
みんなが、リスティアに尊敬の眼差しを向けてくる。
リスティアは、そこでお姉ちゃんって呼んでも良いんだよ! とか思っているのだが、子供達にとってリスティアは院長先生なので、いくら凄くてもお姉ちゃんとなるはずがなかった。
もちろん、リスティアは気付いていないのだけれど。
「ねぇねぇ院長先生、温泉って……もしかしてお風呂?」
赤い髪の女の子が紫の瞳を輝かせ、期待に満ちた視線を向けてくる。アヤネはまだ九歳ながらにおませさんで、マリアの次に世間について知っている。
先ほどのやりとりから、お風呂という答えを導き出したのだろう。
「アヤネちゃんの予想どおり、お風呂を作るんだよ~」
リスティアは、お風呂となる場所を指差し、あのくぼみ部分がお風呂で、こっちが脱衣所だよと説明していく――が、なぜかアヤネの表情が曇った。
「あれ、気に入らなかった?」
「うぅん。ただ、お風呂って、その……院長先生しか入れないのかなって」
「え、みんな一緒に入れるよ」
「……そうなの?」
なぜか、意外そうな表情。どうしてアヤネ達が意外そうなのか分からなかったけれど、リスティアはみんなに安心してもらえるように微笑んだ。
「完成したら、みんなで温泉に入ろうね」
「みんな一緒って……女の子だけ?」
「え、ここにいるみんなのつもりだけど?」
リスティアがそう口にした瞬間、男の子達は真っ赤になって、女の子達が慌て始めた。
ちなみに、子供達だけであれば問題はなかった。
いままではお風呂なんてなかったし、桶に汲んだ水で身体を拭く程度しか出来なくて、そこには男女別々と言っている余裕がなかったからだ。
けれど、リスティアは立ち居振る舞いともに、貴族の令嬢のように美しい。
そんなリスティアと一緒にお風呂だなんて、男の子達が真っ赤になるのは当然で、それを聞いた女の子達が慌てるのもまた必然だった。
ちなみに、女の子達はリスティアに嫉妬したわけではなく、綺麗で優しい院長先生の裸が、男の子達の目に晒されることを嫌ったのである。
なお、リスティア自身は、みんなおませさんだなぁなんて、暢気に思っていた。
だから、それを察した女の子達は『リスティア院長先生は無防備だから、私達が気をつけないといけない』と、リスティアが聞いたら泣きそうな共通認識を抱いた。
その後、アヤネ達に諭されたリスティアは、お風呂場を男女別に設置することを約束。敷地の隅っこに自家菜園を作ったりしていると、ようやく大工達がやって来た。
「待たせたな、俺が頭領のウッドだ。グラート商会に言われてやって来た」
大工達の一人がリスティア達の前にやって来た。三十代後半くらいだろうか? がしっとした体つき、いかにも親方っぽい見た目の男性である。
「初めまして、あたしが孤児院の管理をしているリスティアです」
「……ほう、孤児院の管理者が代替わりしたというのは本当だったんだな」
なにやら思案顔。リスティアはどうかしましたかと小首を傾げた。
「いやなに。前の院長はいけ好かないやつだったからな。あいつが関わってるなら、この仕事を断るつもりだったんだが……どうやら、違うようだな」
「ゲオルグ前院長なら、後を任すと言って旅立ちました」
さらっと嘘をつく。リスティアはちょっぴり悪い女の子だった。
「……旅立った、ねぇ」
ウッドはなんともいえない表情で呟き、リスティアの足下にまとわりついている子供達に視線を向け、目線を合わせるように片膝をついた。
「お前ら、このお姉ちゃんのこと、好きか?」
「うん、大好き! だって、前の院長先生みたいにひどいことしないんだ!」
「すっごく優しいんだよ!」
子供達が口々に答え、リスティアが「えへへ」と顔をほころばせる。それを見たウッドは「なるほど、嬢ちゃんは良い奴のようだな」と頷いた。
「よし、この仕事、俺達が引き受けよう」
「ありがとうございます。みなさん、よろしくお願いしますね」
リスティアが大工達に向かって微笑む。成り行きを見守っていた大工の男達が、リスティアの笑顔を見て顔をだらしなく緩ませた。
「よし、さっそくだが、どういう風に建てるか希望はあるか? なにやら、基礎工事のような物が、始まっているみたいだが……」
「あぁ、あれはあたしが準備しただけです。希望は……出来れば、この図面のように建てて欲しいんですが、可能ですか?」
リスティアが図面をウッドに差し出す。その瞬間、ウッドは困ったような表情を浮かべた。
「あぁ~、嬢ちゃん。先に言っておくが、家って言うのは荷重計算とかがあってな。好き勝手に間取りを決めたら良いわけじゃ――おいおい、ずいぶんと詳細が書かれた図面だな」
図面に視線を落としたウッドが、食い入るようにその内容を確認し始める。それに気付いた他の大工達も図面をのぞき始め、思い思いの表情を浮かべた。
ほどなく、目を通し終えたウッドが、リスティアに視線を戻した。
「大した技術だな。どこにもほころびが見当たらねぇ」
「では、その通り作って頂けますか?」
「いや、それは無理だ」
「……ええっと?」
リスティアの図面にほころびがないのに、図面どおりに作ることは出来ないという。その意味が分からなくて、リスティアはきょとんとした。
「この図面に書いてあるとおりなら、なんの問題もねぇ。だが、書かれている素材がおかしいだろ。この数値どおりなら、攻城兵器でも壊れねぇような孤児院が出来ちまうぞ」
「ええ、そのつもりで設計しましたから」
素で答えるリスティアを前に、ウッドはなんとも言えない顔をした。
「……嬢ちゃん、一応言っておくが……この図面にあるような性能の建材なんて、この世界のどこにもねぇぞ?」
「あぁ、それはあたしが用意するから大丈夫ですよ。取りあえず、柱を用意しますね」
リスティアはアイテムボックスからオリハルコンを出すと同時に、それらを柱の形へと加工。敷地の片隅に積み上げていった。
「……は?」
ウッドや他の大工達が、目を丸くする。
「な、なんかいま、なにもないところから金属の塊が出てこなかったか?」
「ああ、俺にもそんな風に見えた。と言うか、その金属が柱に変形した気がする」
「けど……そんなことあるはずないよな?」
「ああ、ありえるはずがない。疲れてるんだよ、俺達」
大工達はゴシゴシと目を擦り、あらためて敷地の端っこに視線を向ける。そこでは、リスティアが現在進行形で、新しい柱を積み上げているところだった。
「現実、だと?」
「どうなってやがる!?」
「おい、嬢ちゃん、なんだそれは!?」
大工達が口々に言い放ち、リスティアに詰め寄ってくる。だがしかし、リスティアとて真祖のお姫様。いつまでも同じ失敗を繰り返したりはしないのである。
という訳で、リスティアは大工達へと振り返り、穏やかな微笑みを浮かべた。
「みなさん、これは魔法じゃないので、別に驚くことはないですよ?」
「いや、魔法とは言ってないというか、魔法でもそんなこと出来るはずないと言うか……」
「そうですよ。あたしは普通の女の子だし、そんな魔法出来るはずないですよ」
「そう、だな。いや、そうなのか? なんだかわけが分からんが、だったらその建材はどうやって出したって言うんだ?」
混乱しつつも、なんとか状況を把握しようと尋ねてくる。そんなウッドに向かって、リスティアは穏やかに微笑み――
「これは手品です」
「……はあ?」
「だから、手品です」
「あぁ、なるほど。手品ね、手品。それなら、なにも不思議はない――はずないだろ!?」
大工達から総ツッコミされた。
ただ、なぜかそれ以上追及されることはなかった。
だからリスティアは、なんだかんだと手品と信じてくれたのだろう――なんて思ったのだけれど、もちろんそんなはずはない。
リスティアは知り得ないことだが、リスティアが絶対にやらかすだろうと予想したナナミの進言により、グラートが根回しした結果。
ウッド達の仕事には、ここで見聞きしたことを口外しないことや、あれこれ追及しないこと。リスティアに普通じゃないと言わないことが含まれているのだ。
天使と称される自称普通の女の子は、真の天使によって護られていた。
けれど――
「ただいま――って、孤児院が移動してる!?」
「院長先生が移動させたの~」
「なにそれどういうことっ!?」
戻ってきたマリアと子供達のやりとりがあり、大工達のあいだでは『あの嬢ちゃん、絶対普通じゃない』という共通認識が出来上がった。
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