第16話

 エインデベルのお店の片隅。リスティアの持ち込んだブローチを前に、商人のグラートさんが愕然としている。どうやら、リスティアの施したエンチャントに驚いているようだ。


 とは言え、グラートが来るまでのあいだ、エインデベルやナナミにエンチャントの講義をしていたリスティアは、自分のエンチャント能力が普通よりはちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ突出していることに気付き始めていた。

 それでもブローチを売りに出そうとしたのは、孤児院のためにお金が必要だからだ。


 という訳で、リスティアはグラートが驚きから立ち直るのを待ち、「そのブローチ、いくらくらいで買い取って頂けますか?」と促した。


「そ、そうですね……正直に申しますと、私ではとても買い取れません」

「……え?」

 予想していなかった答えに戸惑う。


「誤解しないでください。このブローチに価値がないと言っているわけではありません。むしろ価値がありすぎて、私では適正な金額を出せないと言っているのです」

「それは、気にしなくてもかまいませんよ」


 リスティアはとにかく、孤児院の建て直しに必要なお金が欲しいだけ。その足しになる程度の金額が得られれば問題ないと考えているのだが――グラートは首を横に振った。


「いいえ、私が動かせる程度の金額でこれを購入することは、私の矜持が許しません」

「そうですか……」


 自分の作ったブローチをそこまで評価されたら、リスティアだって悪い気はしない。困るのは事実だけど、それでも買って欲しいとは言えなかった。

 ただ、グラートの話はまだ終わっていなかった。


「――ですが、リスティア様のブローチを、私が代理で売ることなら可能です」

「えっと……それはどういうことでしょう?」

「王都で月に一度、オークションが開催されます。私が代理で販売を行い、手数料をいただくという形でいかがでしょう」

「月に一度のオークションですか……」


 リスティアは王都がどこにあるのか知らないけれど、お金が入るまでそれなりの期間が掛かるだろうと考えて困った顔をした。


「失礼ですが、早急にお金が必要なのですか?」

「孤児院を建て直したいんです」

「それはまた……ご立派ですね」

「いえ、あたしは、子供達を助けたいだけですから。立派なんてことはないですよ」


 リスティアはやんわりと否定するが、グラートは謙遜も美徳と受け取ったようで「まるで天使のようですな」などと感心している。


 あたしは妹が欲しいだけの普通の女の子だから。ナナミちゃんも後ろで、「天使のようじゃなくて、天使ですよ」とか言わなくて良いから。

 ――なんてことを思ったのだけど、妹が欲しいと自分から言い出さないと決めているリスティアは、「あたしは普通の女の子なんだけどなぁ」と呟くにとどめた。

 なぜか、笑って流されてしまったけれど。


「しかし、この街で孤児院というと……丘の上の孤児院のことですよね。あそこは、なにかと黒い噂があったはずですが?」

「ええっと――」


 どこまで事情を話しても良いか迷う。けれど横からエインデベルが「グラートさんは信用できるから、全部話して大丈夫やよ」と教えてくれた。

 なので、孤児院を管理する院長が悪事を働いていたこと。その悪事を暴き、孤児院の院長としての座を譲り受けたことを打ち明けた。


「孤児院を譲り受けた……ですか?」

「ですです。委任状を書いてもらいました。……そうだ。この委任状に問題ないか、見てもらってもかまいませんか?」

 リスティアはアイテムボックスから委任状を取り出した。


「拝見しましょう」

 委任状を受け取ったグラートが、その契約内容に視線を走らせる。そうして端から端まで確認を終えると、リスティアに視線を向けた。


「……この委任状には意図的な不備がありますな」

「え? それじゃ……孤児院はあたしの所有にならないんですか?」

 もし孤児院を追い出されたら――どうしよう? 子供達を連れて、どこか空いている場所に引っ越し……それとも、街の外に孤児達の街を作ろうかな?

 ――なんて、斜め上なことを考えた。


 なお、もしもリスティアが街の外に別の街なんて代物を作っていたら、その街の素晴らしさに皆が移住を始めて、遠くない未来にこの街は滅んでいただろう。

 だけど幸か不幸か、そうはならなかった、


「ご安心ください。孤児院をリスティア様の所有にすることは可能です」

 グラートがそんな風に教えてくれたからだ。


「えっと……でも、不備があるんですよね?」

「この委任状には、譲った側の人間が半年以内に申請すると、譲渡が取り消されるという条文が盛り込まれています」

「あぁ……そういう」


 ゲオルグ院長は孤児院を譲るつもりもなかったと言うこと。あの場を逃げおおせたら、リスティアが委任状を使ったあとに異議を申し立て、取り返すつもりだったのだ。


「なので、前任者が譲渡の取り消し申請を出来ないようにすれば問題がないわけですが……」

 グラートが意味深な視線を向けてくる。ゲオルグ前院長をどうしたのかは話していないのだけれど……もしかしたら、もうこの世にいないことに気付いているのかもしれない。

 やっぱり、この人は出来る商人さんなんだなぁ……なんて考えつつ、「そういうことなら、問題なさそうです」と答えておいた。


「そうですか。では、もしよろしければ、こちらで処理しておきましょうか?」

「……良いんですか?」

 リスティアは人間の法に明るくない。もし代わりにやってくれるのなら嬉しいけど、そこまでしてもらっても良いのだろうかと迷う。


「それに、私のお店の支部がこの街にもありますので、孤児院に必要なお金もうちの店で立て替えることにいたしましょう」

「それは嬉しいですけど……本当に良いんですか?」

「ええ、私の考える最低入札金額でも、孤児院の十個や二十個、建て直しが可能ですから、前金だと思って頂ければ。その代わり、手数料はしっかりといただきますが」

「ありがとうございますっ!」


 そんなこんなで詳細を煮詰めて契約は完了。その後、ナナミ達と少しおしゃべりをしてから、リスティアは孤児院へと帰還した。



「みんな、ただいま~」

「あ、院長先生、お帰りなさい~」


 玄関で声を上げると、子供達が置くから飛び出してきて、そのままの勢いでリスティアに抱きついてきた。リスティアは思わずふらっとよろけてしまう。

 物理的に押されたからではなく、可愛い年下の子供達に囲まれたからである。


「わわっ、院長先生、大丈夫?」


 ボクっ子のミュウちゃんが心配そうに見上げてくる。

 リスティアはゆっくりとしゃがんで、「大丈夫だよ、心配してくれてありがとうね」と、ミュウちゃんのイヌミミがある頭を優しく撫でつけた。


「わふぅ……」

 気持ちよさそうな声。それを見た他の子供達が「ボクも!」「私も!」と群がってくる。リスティアは幸せすぎて死んでしまいそうになった。


「こーらっ、貴方達。それくらいにしておかないと、リスティア院長が困っちゃうでしょ」

「「「はーい」」」


 部屋の奥からやって来たマリアが惨状を見て一喝。子供達は少し名残惜しそうにしながらも、リスティアから離れてしまった。

 それを見たリスティアはしょんぼり――せずに、ニコニコと微笑んだ。


 マリアは可愛いなあ、焼き餅かな。えへへ。大丈夫だよ、マリアにも良い子良い子してあげるからね。なんて考えながらマリアの頭を優しく撫でつける。

 とたん、マリアのブルネットの肌がほのかに紅くなった。


「リ、リスティア院長!?」

「ふふっ、紅くなっちゃって、可愛いなぁ」

「か、からかわないでよ」


 もちろん、リスティアはからかってなどいない。ただ純粋に、年下の可愛い女の子を可愛がっているだけである。

 まあ……それが、相手にとってはからかわれてるも同然なのだが。


「あ~マリアお姉ちゃんがまっかっかだ~」

「ホントだ。まっかっかだ~」

「まっかっか、まっかっか~」


 マリアの、いままでは最年長としてお姉さんぶっていたマリアの照れる姿に、子供達が一斉に囃し立て始める。それがマリアの限界だった。


「こらっ、貴方達! 馬鹿なこと言ってないで部屋で作業の続きをしてなさい!」

「わーっ、マリアお姉ちゃんが怒った!」

「怒ったーっ!」

「怒った、怒ったーっ!」


 子供達はなぜか嬉しそうにはしゃぎながら、部屋の奥へと逃げ去っていった。そしてその中には、少しだけ複雑そうな表情を浮かべる、ツンデレ少年アレンくんの姿もあった。


 これはリスティアの予想だけれど、彼は宣言どおり、子供ながらにリスティアの人柄を見極めようとしているのだろう。あれから、視線を感じることが多い。

 凄く凄く真剣なようで、リスティアと視線が合うと、顔を赤くしてそっぽを向くほどだ。


「ふふ、子供達は可愛いなぁ……」

「……それには同意するけど、そのダシに私を使うのは止めて欲しいんだけど」

「なに言ってるの。マリアだって、可愛い子供達の一人なんだからね?」

「~~~っ。だから、そうやってからかうのを……もう良いわよ」


 リスティアの笑顔に一切の邪気がないことに気付いたのだろう。マリアは恥ずかしさをごまかすようにそっぽを向いた。


「ところでマリア、昼食は大丈夫だった?」

「そうっ、それよ! あの食材はなんなの!?」


 物凄い勢いで詰め寄られる。食材は、出かける前に取り急ぎ並べたものだったので、もしかしたらなにか失敗しちゃってたかな? なんてリスティアは不安になる。


 たしか……最上級のお肉を五十キロくらいに、にんじんやキャベツを初めとした新鮮な野菜を十キロほど置いておいたよね。

 香辛料も一緒に並べておいたから、特に不備はないはずなんだけどなぁ?


「――あ、もしかして宗教的な理由でお肉はダメだった?」

「そういう問題じゃないわよっ」

「……なら、にんじんが嫌いだとか」

「だから、そういう問題でもないって! それに私達に好き嫌いをする余裕なんてないわ」

「……じゃあ、もしかして量が?」

「もしかしなくてもそうよ」

「ごめん、少なすぎたんだね」

「多すぎるのよ!」


 子供達っていっぱい食べるんだなぁと、リスティアの感想は全否定された。


「そっかぁ、少し多かった?」

「少し多かったというか、食べた分が少しだけだから、ほとんど多かったのだけど」

「そうなんだ?」


 みんな痩せ気味だったし、とにかく食べさせてあげたいという考え。ペットとかを飼ったら、むやみに食べさせまくってぶくぶく太らせるタイプである。


「それで残ったお肉なんだけど、干し肉を作り始めてるわ」

「……あぁ、作業ってそのことだったんだね」

「ええ、リスティア院長に確認するべきだとは思ったんだけど、なにしろ量が多くて、早く始めないと腐りそうだったから」


 そういうマリアは少し不安そうだ。リスティアは全部食べてもらうつもりだったので気にしていないのだけど、マリアは勝手なことをしたと思っているのだろう。

 だから、リスティアは「ありがとうね」とマリアに微笑んだ。


「……リスティア院長?」

「あたしの説明不足だったからね。フォローしてくれてありがとう」

「え、あ……その、わ、私は当然のことをしただけよっ」

 マリアは照れくさそうにそっぽを向いた。


 ちなみに、リスティアは知り得ぬことだけれど、ゲオルグ前院長はマリアが自主的に動けば勝手なことをと叱りつけ、自主的に動かなければ自分で考えて動けと怒る人間だった。

 なので、リスティアがマリアの判断を評価して、あまつさえ感謝したことに、マリアは言いようのない感動を覚えていた。

 だからこそ、恥ずかしくなってそっぽを向いたのだ。


 もっとも、リスティアは単純に、思ったことを口にしていただけなのだけれど。


「えっと……それで、全部干し肉にしちゃった方が良いかしら?」

「そうだねぇ……実のところ、生のまま保存する方法はあるんだよね」

「え? そうなの? ならもしかして、余計なことだったかしら」

「そんなことはないよ。別にいくらでもあるから。干し肉にしちゃっても良いし、あたしが保管しておいても、どっちでも良いよ」


 なお、リスティアが家出する前に集めていた食材なので、厳密に千年ほど前の食材なのだけれど。時の止まるアイテムボックスの中に保存していたので鮮度に問題はない。

 あるとすれば、この時代では既に絶滅したような動物のお肉だったりする程度だ。


「なんだか、どこから突っ込めば良いか分からないんだけど」

「全部事実だよ」

「……もし本当なら、全部干し肉にしても良いかしら」

「もちろんかまわないけど、理由は聞いても良いかな?」


 ちょっぴり不安そうに問いかけてくるマリアからは、リスティアの言葉を疑っている素振りは見えない。でも、リスティアの言葉を信じるのなら、急いで干し肉にする必要はないはずだ。それなのに、全てを干し肉にしたいという。マリアの思惑を聞きたいと思った。


「あのね、リスティア院長は知ってると思うけど、あたしが奉仕活動をしていたのはみんなに食べさせるご飯を買うお金がなかったからなの。もちろん、そのこと自体はみんな知らないけど、生活が苦しいのはみんな知ってたから」

「……マリアは優しいね」


 干し肉がたくさんあれば、飢えの心配はないとみんなが安心できるということ。それを理解したリスティアは「そういうことなら、全部干し肉にしちゃって良いよ」と微笑んだ。


 なお、さっきも言ったが、干し肉にしているのは既に絶滅したような動物の高級なお肉。

 もしここに貴族がいたら、それを全部干し肉にするなんてとんでもない。金ならいくらでも出すから生のまま売ってくれ! とか叫んだかもしれない。

 ――けれど、幸か不幸か、ここにいるのは孤児達と真祖のお姫様だけだった。


 という訳で、リスティアは子供達と作業を開始。塩水に漬け込んだお肉から順番に茹で上げ、お肉を日干しにする作業を進めた。



 ――翌日の朝食後、リスティアはみんなにそのまま席に残ってくれるようにお願いした。子供達は少し不安そうにしつつ、リスティアに視線を向ける。


「みんなに残ってもらったのは、率直な意見を聞きたいからなの」


 リスティアが切り出すと、子供達は一斉に小首をかしげた。そして口々に、意見ってなんの意見? みたいなことを言い始める。


 でもそれは予想どおりだったので、リスティアはマリアへと視線を向けた。

 この二日ほどで、マリアがみんなのお姉ちゃんで信頼されていることに気付いたリスティアは、なんの話をするか、マリアにだけは軽く説明をしておいたのだ。


「ほらほら、みんな静かにしなさい。リスティア院長が聞きたいのは、孤児院の立て直し・・・・についてよ。どんな風に立て直すか、みんなの意見を聞きたいんだって」


 そうよね? と、マリアに視線を向けられ、リスティアはこくりと頷いた。


「いまマリアが言ったとおり、あたしは孤児院を建て直す・・・・つもりなの。だから、みんなどんな風に建て直して欲しいか、希望を言ってくれると嬉しいな~」

 リスティアがふわっと微笑むと、子供達の表情がぱああああっと輝いた。

 そして――


「俺、みんなと遊べる庭が欲しい!」

「じゃあ俺は一人部屋が欲しい~」

「ずるい、私も一人部屋が欲しいよ!」

「ボク、足湯が欲しい!」

「あ、お風呂に入ってみたいなぁ~」


 などなど、好き勝手言い始めた。それをリスティアは「うんうん、そうだよねぇ」とか微笑みながら聞いていたのだけど、マリアが横で慌て始めた。


「ちょっとちょっと、みんな待って。誤解しないで、立て直しって、孤児院の建物を建て直すんじゃなくて、孤児院の経営を立て直すって意味だよ」


 マリアが訂正した瞬間「えーっ」と、みんなが不満そうな声を上げた。


「……みんな。あのね。気付いてると思うけど、孤児院の経営はすっごく大変なんだよ。本当なら、もうとっくに閉鎖されてもおかしくなかったんだから」

「……え? 孤児院、閉鎖しちゃうの?」

 イヌミミ族のミュウちゃんが、凄く泣きそうな顔をした。


「大丈夫、リスティア院長がなんとかしてくれるから。孤児院が閉鎖になんてならないよ。でも、みんなもわがまま言っちゃダメだよ」

 マリアに諭され、現状を理解したのだろう。子供達は「そうだよね……」と神妙な顔をした後、「わがまま言ってごめんなさい」と謝り始めた。


 なにやらとても良い話になりつつあるのだけれど、話を聞いていたリスティアは「マリアはなにを言ってるの?」とクエスチョンマークをたくさん飛ばしていた。

「なにって……リスティア院長の私財だけでは、経営の立て直しは無理だから、みんなで切り詰めていこうって言う、話、だよ……ね?」


 マリアが徐々に不安そうな顔をする。最悪のケースを想定したからなのだが――リスティアは「違うよ」とあっけらかんに言い放った。


「孤児院を好きに建て直すだけのお金を用意してきたから、みんなはどんな風な建物が良いかな? って言う話だよ?」

「……は? え? いや、あの……孤児院の建物を、建て直すお金を準備したの? 当面の生活費という話じゃなく?」

「うんうん、そうだよ?」

「は…………はああああああああああああああああああああっ!?」


 信じられないと叫ぶマリアの傍ら、子供達が一斉に歓声を上げた。

 

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