第15話
「グラート様、エインデベルさんのお店に到着しました」
「うん、ありがとう。商談をしてくるから、ミスティはここで待っていてくれ」
最近、王都で頭角を現し始めたグラート商会の会長。グラートは秘書に馬車での待機を命じ、自らは馬車から降り立った。
そうして、エインデベルの店に入る前にと、自らの身だしなみを整える。
エインデベルのエンチャント品は王都でも評判で、彼女との取引はグラート商会にとってはなくてはならない商品だ。だから、気を遣うのは当然――とはグラート自身の言い分である。
もっとも、秘書のミスティに言わせれば、それは建前でしかない。なぜなら、グラートがエインデベルに惹かれているのは周知の事実であるからだ。
ともあれ、グラートは気合いを入れ、エインデベルのお店へと足を運んだ。そうして店内に入ると、エインデベルとナナミの他に、見知らぬ少女がいることに気がついた。
先客なのだろう、エインデベルとなにかを話している。グラートはエインデベルの商売に邪魔をしないようにと、しばらく店の入り口で待機することにした。
けれど、手持ち無沙汰は免れない。会話を続ける三人に視線を向けたグラートは、思わず感嘆のため息をついた。ゆったりと広がる赤い髪に、知的な青い瞳。母性愛に満ちたエインデベルはいつにもまして、その表情が輝いている。
そして、そんなエインデベルが養子とした娘、ナナミも日に日に可愛くなっている。
だがもう一人、客であろう少女は、その中でもひときわ輝いていた。
美少女と言うほかに形容のしようがない、整った容姿の少女。全てのパーツが計算し尽くされたような美しさを持つ少女は、けれど漆黒の髪を無造作に束ねている。
そんな着飾らない姿が、美しさと可愛らしさを調和させている。
恐らくは貴族か王族のお忍び。少なくとも、平民の娘でないことだけは明らかだった。
……まあ、私はエインデベルさんの方が美しいと思いますが。
グラートはそんなことを考えながら、出直そうと決意する。高貴な者が相手であれば、後ろに控えているだけでも邪魔になるかもしれないと考えたからだ。
けれど、そんな気配を感じ取ったかのように、少女がこちらを見た。
「ベルお姉さん、お客さんみたいですよ」
「誰やの、いま良いところやのに――って、グラートさん!」
グラートを見たエインデベルが少しだけ頬を染めたのだが、そのセリフから『やはり、邪魔をしてしまったか』と落ち込んだグラートは気付かない。
「すみません、お邪魔してしまったようで。後日、出直してきます」
そう言って踵を返そうとするが、慌てたエインデベルが飛び出してきた。
「待った待った、ちょっとエンチャントの話にのめり込んでただけやから。グラートさんを邪魔なんて思ってないよ」
「気を遣ってませんか?」
「もちろんや。いつも足を運んでくれてありがとうな」
「いえ、他ならぬエインデベルさんのお店ですから」
「ふふ、お世辞でも嬉しいわぁ」
まんざらでもなさそうに照れる。エインデベルがエンチャントのことになったら人が変わるのは知っている。どうやら、さっきのはそれが原因。自分が嫌われたわけではないと知り、グラートはホッと息をついた。
そしてすぐに、気持ちを入れ替え、商売人としての自分を前面に押し出した。
「それで、エインデベルさん、今日の仕入れには面白い品があると聞きましたが?」
「うん、それなんやけど。まずは、彼女の紹介からするな。ナナミの恩人のリスティアちゃんや。面白い品っちゅうのは、彼女の持ち込んだものなんよ」
「ほう……」
なるほど。異彩を放つ少女がこの場にいたのは偶然ではなかったのか――と、グラートはあらためてリスティアに視線を向けた。
紅く澄んだ瞳が、グラートの視線をまっすぐに受け止める。こうして間近で見ると、ますますもってただ者ではないと思い知らされる。
これは、油断したらこっちが飲まれるぞと、グラートは気合いを入れ直した。
「初めまして、リスティア様。私は王都に店を構えるグラートと申します」
「初めまして、グラートさん。あたしは普通の女の子です」
リスティアは席を立ち、優雅にカーテシーをして見せた。それに対して、グラートは思わず吹き出しそうになったのを辛うじてこらえる。
普通の少女は、わざわざ自分が普通だと名乗ったりはしない。それなのに、少女は洗練された所作でカーテシーをしながら、わざわざ普通だと自称する。
そんなのは、自分がただ者ではないと叫んでいるも同然だ。
……いや、待て。
この少女とて、そのようなことが分からないはずがない。もし、この少女がそれを理解した上で、あえて自分は普通だと名乗ったのだとしたら……
そうか、こちらの出方をうかがっているのか。
グラートがこの程度でリスティアを侮れば、商売をするにあたいしないと切り捨てるつもりなのだろう。それを理解したグラートは、リスティアが油断ならない商売相手だと認めた。
だから、グラートの選ぶ対応は一つ。相手の身分なんて関係なく、商売の相手として、誠意を持って対応することだけだ――と、自分を戒める。
「それではリスティア様、本日は商品を見せて頂けるとのことですが」
「はい、その通りです。本日はあたしの作った品を買い取っていただきたくて、ベルお姉さんに仲介をお願いしました」
「分かりました。まずは品を拝見したいので……ベルさん、席を借りてもよろしいですか?」
「もちろんやよ」
「では失礼して」
エインデベルとナナミのいた席の隣に、リスティアと向かい合って腰掛ける。
グラートは隣にエインデベルがいることに若干の恥ずかしさを覚えたが、いまは商売中だとその浮ついた意識を閉め出した。
「買い取っていただきたいのは、あたしの作ったブローチです」
リスティアが、どこからともなくブローチを取り出した。それを見たグラートは、まさかアイテムボックスか――と一瞬だけ考える。
けれど、アイテムボックスを使える人間は現存していない。恐らくは手品の類い。グラートの意識をブローチから逸らす作戦だろう。
けれど、いま重要なのは、ブローチに対しての値踏みをおこなうこと。それを理解しているグラートは、すぐにブローチに意識を向けた。
そして、思わずその美しさに息を呑む。
「……手に取ってみてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
「では失礼して」
はやる気持ちを抑えつけ、グラートは手持ちの布を使ってブローチを手に取った。
左右で大きさの違うオープンハート。けれど、その大きさが違うのは、計算し尽くした上でのことなのだろう。アシンメトリーでありながら、美しいバランスを保っている。
なにより、その曲線が素晴らしい。歪み一つない、美しい曲線。ここまで綺麗な曲線は、グラートも見たことがなかった。
そして、その中央に収められた石は……間違いなく魔石だ。虹色に輝くその魔石は、宝石としても申し分のないポテンシャルを秘めている。更に言えば、その銀色の材質が気に掛かる。最初はシルバーだと思ったが、手に持ったときの重さがずいぶんと重い。
魔石の分があるので正確な重さを知ることは出来ないが、恐らくはシルバーの倍くらい――と、そこまで考えたグラートは、その材質がプラチナであることに思い至った。
端的に言って、素晴らしいブローチだった。だが、それゆえに、このような若い少女が作れる品とは思えない。そう考えたグラートはカマを掛けることにした。
「美しいデザインですね。素晴らしい腕のようだ」
「えへへ、ありがとうございます」
グラートの言葉に、リスティアは柔らかな微笑みを浮かべた。そこには緊張なんて感じられない。余裕すら感じられる。
「しかし実に美しい。この金属はシルバーですか?」
「いいえ、それはプラチナです」
「プラチナですか?」
「ええ、銀と違って酸化しにくいんですよ。あと、他の金属を混ぜて硬くしてあります」
「……ほう、そうなんですか」
相づちを打ちつつ、グラートは舌を巻いていた。
グラートとてプラチナとシルバーの重さの違いや、特徴くらいは知っていたが、他の金属を混ぜて硬くするなどという知識は持ち合わせていなかったからだ。
もしそれが事実であれば、彫金師にとっても秘伝中の秘伝。
それを知っているリスティアが、彫金師として一流である可能性は高い。けれど、もし一流の彫金師であれば、秘伝をあっさりと口にする意味が分からない。
いったい自分が相手にしているのは何者なんだと困惑した。
「グラートさん。リスティアちゃんは、うちの目の前で作ってくれたんよ」
「ほぅ、そうだったんですか」
グラートは、付き合いの長いエインデベルが嘘をつくとは考えていない。であれば、リスティアが作ったというのは事実。今のセリフは、困惑している自分に対する助け船だろう。
分からないことが多すぎるが、ともかく盗品の類いではなさそうだ。
それさえ分かれば、ひとまず他のことは置いても大丈夫だろうと判断を下す。けれど、その判断は少し遅かったようだ。
リスティアは、自分が疑われたことに気がついたのだろう。苦笑いを浮かべている。
「すみません、こちらも商売なので。商品の扱いには細心の注意が必要なんです」
「分かります。だから、気にしてませんよ」
心配するグラートをよそに、リスティアは柔らかな微笑みを浮かべた。
器の大きさを見せ付けることで、少女に一歩リードされてしまった。これ以上は失態を見せられないと、グラートは自分を戒めた。
「それで……買い取ってもらえそうですか?」
「そうですね。金額の確定は材質の確認をさせて頂いた後になりますが、金貨で30枚……いや、50枚でいかがでしょう?」
金貨50枚、立派な家が建てられる金額だ。
少し割高な買い取り金額であるが、硬くしたプラチナと言う謳(うた)い文句が、貴族の興味を惹くだろうと考えて高めに設定してある。
相手にとっても十分に満足のいく取引だと考えたのだが――
「いやいやいや、ちょっと待ちぃな」
まさかの、エインデベルからの待ったが掛かった。
「エインデベルさん……この金額ではご不満ですか?」
「不満も不満やよ。そんな金額では絶対に売られへん」
グラートはずっと、エインデベルと正直な商売を続けていたし、その鑑定眼に対しても評価を得ていると考えていた。
それがまさか、こんな風に強いダメ出しをされるとは思わなかったと驚く。
「……私は商人の矜持にかけて、適正な価格を示しているつもりですが」
「それは、芸術的な価値だけでの適正やろ?」
その言葉の意味を考えたのは一瞬、グラートは慌ててブローチに視線を戻した。ブローチの中心に輝くのは、美しい魔石。グラートの意識に電撃が走った。
魔石は、購入者が好きなエンチャントを施せるようにしてあるのだと思っていたのだが……
「もしや、この魔石にエンチャントを……?」
「そういうことや。そのブローチは、エンチャント品として査定したってな」
「なるほど。エインデベルさんとの合作でしたか。エインデベルさんのエンチャント品は人気ですから、たしかに価値は上昇しますね」
高品質の魔石ほど、効果と共に製作難易度が上がる。よって、これほど見事な魔石にエンチャントを施せば、相当の技術と時間が必要になる。グラートが装飾品としての価値を見いださなかったことに対し、エインデベルが怒るのも無理はないと反省した。
だから――
「このブローチにエンチャントしたのはあたしだよぉ」
リスティアがさも当たり前のように言い放ったセリフに、グラートは困惑した。
先に説明したとおり、高価な魔石にエンチャントするにはかなりの技術を要する。
若い娘がエンチャント出来たことには驚きだが……残念ながら、これほどの装飾品を購入できる者なら、著名なエンチャント師に自身で依頼することだってできる。
つまり、下手なエンチャントを施したら、装飾品の価値は逆に下がってしまうと言うこと。
エンチャント師が自分でエンチャントするのは当然だし、自分でエンチャントを施したいという気持ちも理解できるが、商品としては明らかに失敗だ。
それを理解したのだろう、ナナミが「リスティア様……」と、咎めるような顔をした。
そうだ、ちゃんと言ってやってくれ。私が言えば角が立つが、仲が良さそうに話しているナナミちゃんの口から伝えれば、ことは丸く収まるから。
そんな風に期待し、グラートは二人のやりとりを見守る。
「……え? もしかして言ったらダメだった?」
「ダメというか、なんと言うか……」
「――いや、どうせ効果を調べたら分かることや。グラートさんは信用できる相手やから、正直に話して味方につけた方が良いよ」
エインデベルがそんな風に、リスティアの言葉を肯定する。けれど、そのやりとり自体が、グラートには予想外だった。よく分からないが、下手なエンチャントをしたら価値が下がるかもしれないという説明をしてくれる者が、この場にいないことだけはたしかなようだ。
グラートはため息を一つ、自分の口で伝えることにした。
「このブローチに、リスティアさんがエンチャントをなさったんですか?」
「うん、そうだよぉ」
「そうですか。……その、最初に申し上げておきます。高価なアクセサリーを購入する方々は、自分の望むエンチャントを、自ら依頼することも少なくありません」
「あぁ……そうですよね」
「ですから、その……エンチャントの効果によっては、逆にブローチの価値が下がることもあると知っておいてください」
遠回しな発言が意味するのは、下手なエンチャントをしていたら価値が下がると言うこと。
お前のエンチャントではダメだと言っているにも等しく、リスティアの不興を買う可能性もあるが、どのみち査定価格で分かる話である。
だから今のうちにと、思い切って伝えたのだが――
「あぁそうですよね。相手の希望を聞いてからエンチャントした方が良かったですね。なんだったら、相手の希望のエンチャントに書き換えるようにしましょうか?」
リスティアにはどうやら伝わらなかったらしい。と言うか、後からエンチャントを書き換えることなんて出来るはずがない。
これだけの魔石にエンチャントが出来るのなら、それなりの腕や知識はあるはずだが……その程度のことを知らないのはどういうことなんだろうとグラートは混乱した。
意思の疎通が出来ているようで、まるで出来ていない。
そんな自分達を見かねたのか、側で見ていたエインデベルが「リスティアちゃん、どんなエンチャントを施したのか、グラートさんに説明したって」と助け船を出した。
「あぁそうですね。エンチャントは、状態異常の無効化です」
「ほうっ! それならば需要がありますよ」
効果のほどはまだ分からないが、方向性は悪くないとグラートは少しだけ安堵する。
貴族にしろ商人にしろ、お金を持っている人間は、常に毒物に警戒する必要があるので、どのような種類にしろ、状態異常を緩和するエンチャントであれば一定の評価は受けるはずだ。
「それで、どの種類の状態を緩和するエンチャントなんですか?」
「どの種類と言うか、あらゆる状態異常が対象です」
「……は? あらゆる? あらゆる状態異常を緩和すると言うんですか?」
「いえ、緩和ではなく、無効化です」
グラートは目をぱちくり。ほどなく「いやはや、冗談がお上手ですな」と笑った。
出力が一定であると仮定した場合、範囲を狭めるほどに効果は高くなる。その前提があるので、あらゆる状態異常が対象などと言う、ふわっとした範囲はありえない。
そして、範囲を限定したとしても、状態異常を無効化出来るほどの出力は得られない。
例えば、特定の毒物にまで限定したとしても、得られる効果は毒の緩和。弱い毒ならともかく、一般的な毒を無効化するなんて不可能だ。
つまりは、摂取した毒を半分まで抑えられれば高級品。もし一種類でも完全に無効化できるものがあるとすれば、それはアーティファクトでしかありえない。
あらゆる状態異常の無効化など、おとぎ話ですらありえないレベルなのだ。
けれど、エインデベルが「そう思うよなぁ」と苦笑いを浮かべているし、ナナミが「リスティア様、やらかしましたね?」と目を三角形にしている。
ここに来て、グラートもなにかがおかしいと気がついた。
そして、もしリスティアの言っていることが事実であれば、いままでの彼女達の言動の全てにつじつまが合うという、ちょっとありえない想像に至る。
グラートは手元にあるブローチを二度見して、もう一度リスティアに視線を戻した。
「え、本当に全ての状態異常の無効化が込められているんですか?」
「はい、そうですよ」
「……………………………………か、鑑定させて頂いても?」
「良いですよぉ~」
間延びしたリスティアの声を聞きながら、グラートは秘蔵のアーティファクト、エンチャント品を鑑定する水晶の魔導具を使った。
その瞬間――水晶の魔導具が砕け散ってしまった。
「――なっ!?」
「あ~、そんな下級のじゃ無理ですよ。ちょっと待ってくださいね」
呆気にとられるグラートの目の前で、リスティアが虚空からなにやらクリスタルのような欠片を無数に取り出した。
そして――信じられないほどに緻密な魔法陣がリスティアの周囲に展開され、クリスタルのような欠片が、一つの透明な珠へと変化した。
「えへへ、あらゆるエンチャント品を鑑定する、鑑定の水晶だよぉ~」
リスティアが無邪気に微笑む。その艶やかな唇からこぼれる言葉は、グラートの耳に入ってこなかった。それほどまでに、目の前で起きた現象がありえなかったからだ。
「な、なな、なにを、なにをなさったんですか?」
「なにって、見ての通り、鑑定の水晶を作ったんだよ」
「作ったって、そんなあっさり……」
簡単なエンチャントで数時間。中には数ヶ月かかるような品もある。そして鑑定の水晶はアーティファクト。現代では決して作れない一品だ。
だから、ありえないと思いつつ、渡された水晶で手持ちのエンチャント品を鑑定してみる。
そこに表示さえたのは、自分の知っている効果と――詳しい補足説明。先ほど壊れてしまった鑑定の水晶を超える内容に、思わずあんぐりと口を開いた。
「まさか……本物?」
いや、まさか、そんなはずは――と、他のエンチャント品も確認していくが、ことごとく正しい能力と、詳しい補足説明が為された。
リスティアとは初対面だし、エインデベルとて、グラートの持ち歩くエンチャント品を全て知っているわけではない。つまり、仕込みはありえない。
ここまで来ては、疑うことは出来ない。鑑定の水晶は本物だ。だとしたら――と、グラートは恐る恐るブローチを鑑定した。
そして、そこに表示されたのは――
あらゆる状態異常を無効化する能力に加え、自己修復機能が付与されている。所有者が即死レベルの猛毒に侵されようが即時に無効化し、ブローチは粉々にされようとも自己修復する。
普通の女の子が片手間に作ったブローチ。
「……はは、ははは」
どこから突っ込めば良いのか分からなくて、グラートは乾いた笑い声を上げた。
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