罪人と罪人

「きみはどこにだっていけるよ」

 なんでもない声で彼がそう言ったから、私は手を止めて彼を見た。十二年間お迎えを待ち続け、けれどもう怯えることにさえ飽いた死刑囚である彼は、まるで信仰に百年生きた高僧のような穏やかさで私に向かって微笑んだ。

「どこにだっていける。なんにだってなれる。きみには可能性のすべてがある」

 よかったね、とまるで他人事のような声を聴くのがつらくて、私は作業に戻る。大量生産された蕾をピンセットで開く作業はなかなか根気がいるもので、少しでも力加減を間違えば花弁が醜く裂けてしまう。年月を経た職人さんは敢えて花弁を裂くことでより本物らしく見せる技術を持っているけれど、私にはまだできなかった。それは私がこの作業に携わった年月の少なさに依るのかそれとも天性の素質のせいなのか、それはまだわからないし、わかりたくもないけれど。

「だからこんなところ、はやく抜け出してしまいなよ。きみはこれから人生を生きなければいけないのだから」

 微笑みながら、彼は「貸して」と甘い声でねだった。私は一度首を振って拒否したけれど、彼のうつくしい一対の瞳に見つめられて拒否することなどできはしない。泣きそうな気持ちで首を振りながら、促す彼の手にスイートピーの蕾をおそるおそる渡すと、うつくしい微笑みを一切崩さないまま細い指が繊細さとは一切無縁の乱暴な手つきで緑色の萼をむしり取る。

 はらはらと、涙をこぼすのと似た仕草で青色の花弁の破片が散る。彼の棺の中に所狭しと詰め込まれた花の中、かえってそれは異様なまでの不完全なうつくしさを放っていた。

「だから、きみ。はやくそんなことは終えてしまいなよ。人生は短いのだから」

 彼のうつくしい微笑みはまるで毒のように周囲を歪ませる。私の父が彼の首を締めたのは、おそらくやむを得ないことだっただろう。首を締めた私の父の頭を、彼が手にした花瓶が熟れきったトマトみたいに砕いたことも。

 無言のまま、今日のノルマを終えた私は立ち上がった。花は一日十個だけ。そのうち半分ほどを彼の棺に放り込み、あとの半分をゴミ箱へと投げ入れた。「勿体無い」と揶揄する言葉を無視して私は立ち上がり、ピンセットを所定の位置にしまって清潔なその部屋を後にする。

 出入り口、痛いほどに視線が刺さったから、私はほんの少しだけ振り返って囁く。


「またあしたね、おにいちゃん」


 棺に花がいっぱいになればそのまま燃やされるのが彼の刑なら、実兄の死を招くその花を作ることが私の刑だった。もう見えない左目にだけ映る、私の手をいつも引いた在りし日の兄と視線を一度だけ合わせてから、もう振り返らずに歩き出す。

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