第189話 生まれた時は一緒だったのに


 ふらついたままライトに近づくと、俺の気配に気づいたライトが力なく笑った。



「……鬱憤を晴らせるチャンスに、なんで泣いてるのさ」



 どうせ意地の悪い冷ややかな表情をしているのだろうが、今はそんな彼の顔も視界が歪んで見られなかった。どんなに唇を噛んでも、気持ちを落ち着かせようとしても、俺の目からこぼれ落ちる雫が止まらないのだ。



 そんな情けない俺を見て、ライトはまた笑った。



「ムギトって、割と泣くよね」

「うるせえよ……この野郎……」

「あはは。反論するボキャブラリーもないってか。でも、その甘さがムギトと僕の違いなんだろうな」



 と、ライトは震える手をそっと自分の顔面の上に置いた。顔は見えないが、こいつも泣いているような気がした。



「ムギとはさ、覚えてる? 中一の時……僕がムギトと勘違いされて先輩に殴られた時のこと……」



 その発言に思わず息を呑んだ。忘れもしない、俺が先ほどまで想起していた出来事だ。



「なんか……あんたを殴ろうとした時、不意に頭を過ったんだよね」



 ライトが言葉を紡ぐ。そのかすれた声が、わずかに震え始める。



「なんでだろうな……代わりに殴られて凄くムカついたはずなのに……助けてくれたことが嬉しくてたまらなかった……それなのに僕は……あの理不尽さの憤りだけが残って……お前を避けるようになって……」



 ぽつり、ぽつりと、まるで懺悔をするようにライトが告げる。その言葉を聞きながら、俺はひたすらに目から雫をこぼしていく。



「何を今更……そんなことを言うんだよ……」



 込み上がる気持ちを押さえながら震えた声でライトに問うと、ライトは口角を上げた静かに答えた。



「だって──こんな話も、もうできないだろ?」



 この答えこそが、俺たちに差し向けられた未来だった。



 ああ、どうして俺たちは、同じ時に、同じ日のことを思い出しているのに、交わることができないのだろう。

 そんな虚無感が、胸の内に広がっていく。



 赤い空を仰ぎながら息を吐く。そうしているうちに、背後でガラガラと岩が落ちるような音が聞こえてきた。振り向くと、目を覚ましたセリナとリオンと一緒にアンジェが抑えつけていた岩を払いのけていた。



 よろけながらも、仲間たちは俺に視線を集めた。ようやく解放され、命の危険に脅かさせるということもないのに、俺の仲間はみんな沈んだ顔をしていた。



「ほら、早くしなよ……仲間が待ってるでしょ」



 ライトに急かされ、もう一度呼吸を置く。ライトの胸元に埋め込まれたコアがチカチカと瞬く。心なしが、光量が先ほどよりも強く感じた。こんなに宿主は死にかけているのに、コアが「動け」と命令しているようだ。



 光量が強くなるとライトの負担も強くなるのか、ライトが口から吐血した。それなのに、ライトの体は起き上がろうと体に力が籠っている。もうこいつの心と体は別の物になっているように思えた。



 始まりは、勇者として魔王を討伐することが目的だった。だが、戦いを終えた今は違う。俺は、兄として、弟をこの苦しみから解放したい。



 徐にバトルフォークを持ち上げ、瞬くコアに切っ先を向ける。目で合図を送ると、ライトが小さく頷いた。ここまで来ると、俺たちの間に言葉はいらなかった。



 俺は心を無にしてコアにバトルフォークを突き刺した。

 割れたコアの手応えに言葉を失っている一方で、ライトの体から紫色の靄が溢れ出していた。これまで幾度となく見てきた、消滅する兆候だ。



 突き刺したバトルフォークから手を離し、消えゆくライトを呆然と見つめる。そんな情けない俺の姿を見て、ライトは鼻を鳴らした。



「つらそうな顔をするなよ……全部僕が、自分で、しでかしたことなんだから……」

「そうかもしれない……でも、弟の尻ぬぐいするのが兄の仕事だろ……」

「双子のくせによく言うよ……けど、今はそれが救いかも」



 と、ライトは覆っていた手を解いて俺に笑って見せた。細めた彼の目からは、一筋の涙が流れていた。



「じゃーね、ムギト」

「──ああ」



 また、来世で。



 最後の言葉を交わし終えると、ライトは紫色の靄に体を飲まれ、風に流されて消えていった。だが、消えゆく瞬間のライトの表情は苦しみから解放されたような、どことなく安らかに見えた。



 ライトがいたところには俺が砕いたコアだけが残っていた。そんな弟が残したかけたコアを拾いあげて、また少し泣いた。



「あーあ。ゲームオーバーか」



 その傍らで、ノアのほうからセトの声が聞こえてきた。



 徐に顔を向けると、セトは座りこんだノアの隣に立っていた。傷ひとつない綺麗な姿であったが、その体は透明になっている。彼もまた、ライトと共に消えようとしているのだ。



「……満足したか?」



 淡々とした口調でノアに聞かれると、セトは「いいや」と首を振った。だが、寂しそうに笑うその表情から、彼の精一杯の強がりだというのがわかった。



 もうすぐ消滅するというのに、旧友の二人は顔を合わせようとしなかった。二人の間に物悲しい空気が漂う。しかし、それもほんの一瞬で、沈黙を割るようにセトが口を開いた。



「ひとつ、聞かせてくれ。どうしてお前は、そこまでしてマリアを殺した世界を救いたかったんだ?」



 セトに問われても、ノアは顔を向けようとしなかった。ただ、下に向けていた視線をわずかに上げ、ノアは深く息を吐いた。



「別に大した意味はねえよ。ただ……あいつが『好きだ』って言った世界を護りたかった──それだけだ」



 その答えに驚くように言葉を呑んだセトだったが、やがて呆れたように「あ、そう」と返した。



「そりゃ、お前に敵わないわ」



 そう言ってセトは乾いた笑みを浮かべながら、長めの髪をくいっと掻き上げた。ただ、その表情に悔しさはなく、却って清々しそうに見えた。



 マリアを殺した世界を壊したかったセトと、マリアが愛した世界を護りたかったノア。気持ちの強さは、多分二人共変わらなかった。ただ、ほんの少しだけ、ノアのほうが運が良かったというだけ。



 そんな会話をしているうちに、セトの体は目を凝らさないと見えないくらい透明になっていた。彼ももう直消える。その前に、セトはスッと『アルカミラ』の火口を指差した。



「行けよ。魔王の原石がそこにある」



 セトの意味深な言葉にノアは少し顔をしかめたが、やがてゆっくりと立ち上がった。そこでようやく、ノアはセトと顔を合わせた。



「あばよ、悪友。せいぜい復興を頑張りやがれ」

「ああ……マリアによろしくな、、、、、



 無表情に告げられた別れの言葉に目を瞠ったセトだったが、すぐに口角を上げた。それが、堕天使セトの最期だった。



 セトが消滅すると、ノアは面倒くさそうにガシガシと自分の頭を掻いて『アルカミラ』の火口を見上げた。そして、一方的に見守っていた俺たちのほうに振り返り、「はあ」と息を吐いた。



「……行くぞ。多分、これで終わりだ」



 俺も仲間たちも、無言のまま首を縦に振る。その頷きを確認すると、ノアは聖獣の姿となり、俺たちを背中に乗せた。



 行く先は、『アルカミラ』の火口。地界の天辺と言っても、差支えがないような気がした。

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