第188話 嫌いな理由
右腕を振り上げた時、少し遅れてライトも拳を構えた。交じり合う拳。そんな最中であっても、俺の脳裏には昔の記憶が蘇っていた。
いったい、いつから俺たちは顔を見合わせなくなったのだろう。
幼稚園児の時は二人で手を繋いで登園していたし、小学校の時も毎日遅くまでカードゲームやテレビゲームの対戦をして母親に怒られていたし、なんなら、同じサッカークラブにも入っていたし、中学校の時も一緒にサッカー部に入った。
ああ、そうか。サッカーかもしれない。俺が、あいつに嫌われたきっかけ。
あいつには何ひとつ勝てなかったとはいえ、サッカーだけは他の人より得意だった。俺がフォワード。あいつがディフェンス。ポジションが違っていたから、幸い兄弟同士のレギュラー争いにはならなかった。
まあ、同じ顔の奴が同じピッチにいるからチームメイトも相手チームもさぞやりにくかっただろうが、それでもそれなりに活躍していたと自負している。
けれども、俺もライトもサッカーは中学一年生で辞めた。正確に言うと、俺はクビになった。チームメイトに傷害を負わせたからだ。
元々、同じポジションに気に食わない先輩がいた。
自分のほうが年上だからと後輩たちにグラウンドを何十週もさせて苦しむ様子を笑って見ていたり、無茶苦茶なボールを蹴って取りにいかせたり、わざとサッカーボールを当てるなどをしてふざけたりと、とにかく後輩いびりが酷かった。
ただ、肝心のサッカーのセンスは俺より低く、当時入部したばかりの俺にレギュラーの座を奪われた。それが事件の引き金だった。
レギュラー発表があった翌日の放課後。たまたま通りかかった備品室から物音が聞こえたので、興味本位で扉を開けた。そこには例の先輩とその取り巻き二人と、口や鼻から血を流して横たわったライトがいた。その光景だけで、俺は事の全てを理解した。
『何やってるんだよお前ら!』
それだけ言ったことは覚えているが、そこから先は記憶が薄い。
気がつけば俺は先輩たちに飛びかかり、無我夢中で先輩たちを殴って、蹴っていた。勿論、俺だって攻撃を食らった。
だが、どんなに顔面を殴られようと、髪を引っ張られようと、腹部を蹴られようと、俺は決して怯まなかった。そして我に返った頃には顔を腫らし、蹴られた足を押さえ、うずくまった先輩たちを見下ろしていた。
その発端こそが、俺の運の尽きだった。先輩のすねを蹴った時に、彼の
そこから面倒くさくも騒ぎになってしまった。
骨折の激痛で動けない先輩は先生に病院に連れられるし、残された者は騒ぎを聞きつけた顧問に尋問される。
でも、先輩の取り巻きは「あいつに脅された」などと言って先輩に責任を押しつけるし、どんなにライトが「先輩たちに殴られた」と言っても、彼らには「少しちょっかいを出しただけ」で押し通される。
しまいには「虐めてはいない。
ライトのこともあるから、両親は俺を必死にかばってくれたが、残念ながら大怪我をしているのはあっちのほうだ。被害者であるはずなのに、こちらのほうが分が悪かった。
両親が俺たちのことを護ってくれたように、先輩方の親も自分たちの子供を護ろうとした。
「自分の子供が大怪我をさせられた」
「安心して部活動をさせてあげられない」
「怪我をさせた後輩を辞めさせろ」
そうやって先輩たちの親は学校に騒ぎ立てた。
その結果、俺は負けた。
『護ってやれなくて、すまん』
退部を受け入れた時、顧問に頭を下げられた。
学校側も先輩たちの親を説得させるより、俺に責任を負わせたほうが丸く収まると思ったのだろう。校長と教頭にも「大館麦人を辞めさせろ」と言われたらしい。
だが、表面上は俺の自主退部だ。状況が状況だから、そうすることにすれば、内申点にも響かせないようにする、とのことだ。部内の虐めも隠ぺいしなければいけないし、傷害事件も誤魔化さなければいけない。学校側も大変だったのだ。
結果的にサッカーは辞めることになったが、俺もそんな連中とこれ以上一緒にいたくなかったので、辞めて正解だと思った。ただ、辞めた日、涙顔の母親に抱きしめられ、侘しい表情をした父親に頭を撫でられた。そしてその日一日、ライトは自分の部屋から出てこなかった。
この事件での一番の被害者は、間違いなくライトだった。先輩たちがライトを襲った理由は、俺のレギュラー取得による腹いせ。その結果、俺と間違われて殴られたのだ。
勿論、ライトも「自分はムギトじゃない」と言っただろう。実際、当時の俺たちの顔立ちはあどけなさが残っていたせいで今よりもよく似ていた。
しかし、どんなにライトが否定しても先輩たちにしてみればどっちでもよかったのだ──俺の顔さえ殴れれば、たとえそれが別人であっても。
俺が部活を辞めた翌日、ライトも退部届を出した。
両親はライトが俺のことを気にして辞めたと思ったのだろう。当時は随分とあいつを気にかけていた。そんな彼らに向けて、ライトは諦めたように「フフッ」と笑った。
『低俗に合わせるのが疲れただけだよ』
十年近く経つのに、あの時の空気感は忘れられない。絶句して呆然としている両親の顔も、笑いつつも感情が抜け落ちたライトの顔も。
ライトが本格的に俺との差別化を図ろうとしたのは、それから少し経ってからだと思う。言葉遣いも今みたいに柔らかくなり、一人称も「僕」になった。そして、俺と間違われると露骨に態度に出るようになったのもこの頃だ。
今思えば当然だ。俺と顔が同じことで、不本意な争いに巻き込まれてしまったのだから。ひょっとすると、俺の知らないところであの事件以外にも不本意なことがあったのかもしれない。そんな出来事が塵のように積み重なった結果が、嫌悪感の山となった。
サッカーを辞めて何も残らなくなった俺は、あいつと肩を並べられるものもなくなった。
そこからライトと疎遠になるまで時間がかからなかった。あいつは俺が逆立ちしても入れない高い偏差値の高校に入学し、そのまま都内の国公立に行った。
大学に入ってからあいつも正月ですら滅多に帰って来なかったし、俺もあいつが帰省した時は家に帰らなかった。こうして顔を合わせることも、言葉を交わすこともなくなった。でも本当は、もっと早くライトと向き合うべきだった。後悔する時は、いつも事が過ぎた後なのだ。
──我に返った時、すでに俺の右ストレートはライトの頬を殴っていた。
殴打の勢いで、ライトは仰向けのまま吹っ飛ばされた。
起き上がらないライトを見て、俺はうなだれて深く息を吐いた。ライトを殴った右の拳がズキズキとする。その痛みは、これまでの戦いで負ったどんな傷よりも痛く感じた。それでも、バトルフォークは俺の意志関係なく、開いた手のひらに収まった。
「とどめを刺せ」
無機物であるはずのバトルフォークが、そう言っているような気がした。
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