第121話 はい、ダウト

「それ……ダウトだぜ」



 徐にショルダーバッグを開き、ギルドカードを彼に見せる。そこには「ムギト」と俺の下の名前しか書かれていない。



 下の名前しか書かなかった理由は単純だった。

 アンジェが下の名前しか書いていなかったので、この世界には苗字という概念がないと思ったからというだけ。



 そのうえ、俺はこの世界に来てから一度も『オオダテ』を名乗ったことはない。唯一知っているノアも俺以外とコミュニケーションが取れない以上、それを伝える手立てがない。そのため、耳でも『オオダテ』という名を聞くことはない。



「まだ証拠が足りねえって言うなら、他の三人の名前を言ってみろよ。お前がミドリーさんなら、知らないはずないだろ?」



 たたみかけるように問いかけるが、彼は口を噤んだまま何も言わなかった。その沈黙こそが、彼がミドリーさんでないという証拠となってしまった。

 だが、その一連の流れを見ても彼は驚く様子もなく、ただ静かに口角を上げている。



 その余裕綽々な表情が却って恐ろしく、彼を警戒せざるを得なかった。

 この事態に隣にいるアンジェも強張らせた表情で剣を抜く。図らずも臨戦態勢は万全だ。



「そろそろ教えろよ……あんた、いったい誰なんだ?」



 眉間にしわを寄せて彼を睨みつける。すると、彼は「ククッ」と肩を揺らして笑った。



「なんだ……意外とやりますね」



 笑いながら彼は大きな手のひらで自分の顔を覆い隠す。その途端に彼の体が透明になり、泥のように溶けた。

 いきなりのことで思わず俺もアンジェも退く。だが、武器を構える暇もなく、今度は眼鏡をかけた青色のマッシュヘア―な青年が姿を変えて現れた。



 髪色は青だから、おそらく属性は水。

 だが、くりっとした大きな猫目の瞳は紫で、手の甲には例のごとく赤い花のような模様が刻まれている。案の定、こいつも魔王の配下である。



「初めましてお兄さん。そしてそのお仲間のみなさん。私はパルス。以後お見知りおきを」



 パルスと名乗る青年は丁寧にお辞儀する。しかし、眼鏡の奥にある大きな眼差しは笑っておらず、俺たちを値踏みしているように見えた。



「というかお前、なんで俺の苗字知ってるんだよ」

「みょーじ? ああ、『オオダテ』のことですか?」



 俺の質問にパルスは眼鏡をくいっと上げながらわざとらしく首を傾げる。



「勿論、例のお方に教えていただいたんですよ。この名前であなたを呼んだらどういう反応をするか試して来いと言われたもので」

「あの方って……」



 確認するように繰り返すが、パルスは微笑んだまま何も言わない。しかし、十中八九俺の思っている人物……魔王様で会っているだろうが。

 けれども、なぜ俺の名前を知っているんだ?

 疑問に思うことは多々あるが、今は置いておくしかないだろう。それよりももっと大事な情報を訊き出さなければならない。



「ねえ、本物のミドリー神官はどこにいるの?」



 パルスに切っ先を向けながらアンジェが尋ねる。

 もう彼の切れ長の目は鋭くなっており、ここからでも殺気がひしひしと感じる。

 しかし、ここまで殺気を向けられているのに、パルスの奴はとても落ち着いていた。



「ご安心を。まだ殺してませんよ。まだ、ね」



 意味深に強調しながらパルスは口角を上げる。その言い分だと、この後どうなるかはわからないということだ。



「なんなら、探してみますか? そういうことならお相手しますけど」

「じょ、上等だこのやろー」



 フォークを構えてパルスに威嚇する。だが、戦闘モード俺を差し置いて「そうですねえ」と視線をあげて考え事をしていた。



「といっても最難易度ノーヒントだと私も待ちくたびれしまいそうですから、一つだけヒントを与えましょう……『未解決な依頼クエスト』さあ、考えてみてください」



 それだけ告げるとパルスはポケットから銀色のケースを取り出し、それをパカッと開いた。

 それが風核針ウィンド・コア・ピンだと気づいた時、すでに彼はそれを地面に刺していた。



 まるで俺たちとパルスを遮るように風の渦が現れる。

 その突風に目を眩ましているうちに、パルスは風の渦の中に入っていた。



「それでは、ゲーム・スタートということで――みなさん、またお会いしましょう」



 渦巻く風の中でパルスがニヤリと笑う。けれども、腕を伸ばしたところでもうすでに彼の姿は見事にいなくなっていた。



「くっそ、あの化け猫眼鏡……」



 舌打ちをしながら悔しさで地面を蹴る。

 ふと周りを見ると各々複雑そうな表情を浮かべていた。青ざめた顔で震えるセリナ。不安そうに眉尻を垂らすリオン。そして真顔で腕を組んで深く考え事をしているアンジェ。この中で淡々としているのは傍観者のノアだけだ。



 暫時の沈黙が流れる中、やがてアンジェが組んでいた腕を解き、静かに告げた。



「セリちゃん……ちょっとお仕事頼んでもいいかしら」

「あ、はい! 勿論です!」



 いつになく低いトーンのアンジェにセリナの背筋もピンと伸びる。

 しかし、調べてほしいことはパルスの言っていた『未解決な依頼クエスト』のことではないらしい。



「調べてほしいことはあとでまとめるわ……『未解決な依頼クエスト』のほうは、ちょっと心当たりがあるから」



 そう言うアンジェの表情はいつもの和やかさはなく、今にも一触即発しそうな雰囲気だ。

 そんな強面の彼に威厳を感じてしまい、思わず俺もごくりと唾を呑んだ。

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