7章 崩壊の足音
第110話 観光なんてしてられない
風の渦に巻き込まれ、わずか数十秒。
馬車まで使って移動したというのに、あっという間に『オルヴィルカ』の集会所まで戻ってきた。
「わぁ……」
飛び込んだ風景にリオンは感嘆の声をあげる。
見知らぬレンガ状の建物。賑わう人々。活気あふれる声。彼にとって初めて触れるものばかりだ。
だが、今はそれどころではない。
「行くぞアンジェ!」
「ええ!」
掛け声を合図に俺はリオンを脇で抱え、一気に駆け出す。
「悪いなリオン! 観光も感想も全部後回しだ!」
あと、さっきの感動シーンの余韻もぶち壊してごめん。
と、声をかけつつもリオンの顔は見ていない。
ただ、驚いたように俺を見上げているのはわかる。けれども今は説明している時間も勿体ない。
いち早く、セリナのところに行かないと。
教会まで全力疾走し、扉も蹴りやぶる勢いでぶち開ける。
「ミドリーさん!」
声をあげると、そこにはシスターしかいなかった。
いきなり音をたてて開いた扉を見て肩を竦み上げるほどびっくりしている。
だが、俺とアンジェの顔を見た途端、目をぱちくりさせた。
「ムギト君……それに、アンジェも」
「シスター、ミドリーさんは?」
「奥の部屋に……セリナたちと一緒にいるわ」
「わかった、ありがとう」
礼を言いながらも、足はすで奥の廊下に向かっていた。
間に合え。間に合え。
そう願いながらセリナが眠る部屋に入る。
部屋に入るとミドリーさんの他にフーリやセバスさんがいた。
みんな暗い表情をしていたが、俺たちを見ると驚いたように息を呑んだ。
「ムギト! アンジェ!」
「無事だったか!」
「なんてことだ!」
みんな各々思ったことを口にする。
そこでようやくリオンを降ろすと、彼はきょとんとしながらも部屋の中を見回した。
ベッドには変わらずセリナが眠っている。旅立つ前は青白かった顔も、今は一切血の気が通っていないみたいに真っ白だ。
「ムギト……もしかして、この少年が?」
強張った表情でミドリーさんが俺に尋ねる。おそらく、彼がエルフだというのを信じられないのだろう。
「こいつはリオン。ハーフエルフだけど、立派に治癒魔法を使えるんだ」
「そうか……そうなのか……」
せっかくリオンを連れてきたというのに、ミドリーさんもフーリたちの表情も暗い。この重々しい空気に嫌な予感すら感じる。
「神官様……セリちゃんは……?」
恐る恐る訊くアンジェの問いに、ミドリーさんはゆっくりと首を横に振る。
「たった今……息を引き取ったよ」
「…………え?」
状況を理解するのに時間を要した。
だが、咀嚼するようにその言葉を理解すると、その残酷な現実に俺は膝から崩れ落ちた。
「噓だろ……セリナ……」
これだけみんなに手伝ってもらって、命をかけて、ようやくここまでたどり着いたというのに、間に合わなかったというのか。彼女の命が、この時間に耐えられなかったのかというのか。
「ごめんなさい……セリちゃん……」
アンジェが口に手を当てて声を震わせる。
気遣ったフーリが彼の肩に優しく手を置くが、彼の目だって今にも泣き出しそうなくらい赤くなっている。
「おいセリナ。起きろって」
声をかけても、セリナはまったく目を開ける様子はなかった。
それどころか呼吸の音もしないし、握った手が氷のように冷たい。
最悪だ。世界を救うって言ったのに、俺は、彼女の命ですら――
「セリナ……」
ひざまずき、彼女の冷たい手をそっと両手で握り込む。こんなことをしても、彼女が握り返してくれる訳ないのに。
絶望に打ちひしがれる俺たちだったが、この中で唯一冷静だったのが他でもなくリオンだった。
「ムギト君……このお姉ちゃんを助けてあげればいいの?」
不意にかけられたリオンのあどけない声にハッと彼を見る。
「で、できるのか?」
緊張しながら聞いてみると、リオンは「うん」と力強く頷く。
「だってお姉ちゃんの御霊、まだここにある」
そう言うリオンの視点は明らかに天井のほうに向いていた。
けれども、そこを見たって俺には何も見えない。
それに御霊って――
――余程体が劣化していなく、死んだ者の
ノアの言葉が脳裏に過ぎる。
あいつの言うことが本当なら、体は劣化していない。御霊はここにある。そしてリオンの治癒魔法なら、もしかして……もしかするのかもしれない。
「頼む、リオン」
縋り付くようにリオンに請うと、リオンは「わかった」と両腕をセリナに向けてうんと伸ばした。
「『
その魔法の詠唱と共にセリナの体が緑色の光に包まれ、何もないはずの天井から光が差し込んだ。
差し込む光からオレンジ色のオーブが現れ、徐々にセリナの体へと降下していく。
それがセリナの御霊だと気づいた時、そのオーブはセリナの体の中に入り、溶けるように消えていった。
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