第108話 ライザとリオン

「二人とも……いったいいつからいたんだよ」

「リオちゃんのご両親の馴れ初め辺りからかしら。悪いけど、立ち聞きさせてもらったわ」



 腕を組んだアンジェが「ふぅ」とため息をつく。

 その横では、リオンがアンジェの足にしがみつきながら不安そうに俺たちを見上げていた。



「リオちゃんに謝りなさい。この子、二人がいなくなってとても心配していたんだから」

「そうなのか。それは……悪かった」



 頬を掻きながらリオンに頭を下げる。

 しかし、兄であるライザは無言でリオンの前に座り込んだ。



「お前……どうしてここがわかった?」



 小柄なリオンと視線を合わせながらなるべく穏やか声でライザは彼に問いかける。

 すると、リオンは顔を俯いたまま、自信のなさそうな小さな声でライザに答えた。



「兄ちゃん……悩んだらここに来てるから……」



 図星だったのだろうか、リオンの答えにライザは驚いたように目を大きく見開いた。

 だが、その表情もすぐになくなり、真顔になってリオンをじっと見つめる。



「そこまでわかってるなら、俺が何に悩んでいるか気づいているだろ?」



 さらに問いただすライザに、リオンは無言で頷く。

 その表情は曇っており、どこか戸惑いも感じる。



 そんな困惑する弟に、ライザは小さく息をつき、意を決したようにリオンに諭した。



「リオン……これから大事な話をする。よく考えて聞いてくれるか?」



 恐る恐るながらもリオンが頷いたのを確認すると、ライザはそっとリオンの小さな両手を取った。



「この二人は、お前の力を必要としている。お前にしかできないことがあるから、目的が終わるまでお前に手伝ってほしいと言っている。この里から出て行くことになるが、里の連中と関わらなくなるから、これ以上お前は傷つかなくて済む」

「……兄ちゃんは? 一緒に行かないの?」

「俺はこれでも里の長だ。どんなにムカつく奴らでも、こいつらを見捨てる訳にはいかない。ここで投げだしたら、それはそれで親父とオリビアに怒られちまう」



 最初は緊迫した顔つきだったライザだったが、話すに連れてどんどん表情も口調も穏やかになっていった。

 その姿は「大丈夫」「大丈夫」とリオンをなだめるように見えた。



 しかし、リオンは目を落としたままずっと口を噤んでいた。

 賢いリオンだから兄が何を言おうとしているかがわかるのだろう。

 当然、そのことをライザも理解している。



「こいつらは明日の朝に出て行く。どうするかは、お前が決めるんだ」



 酷なことを言わせているのはこちらなのに、二人の姿を見ていると心が痛んだ。

 現にリオンは下唇を噛んで震えており、今にも泣き出しそうだった。



 暫時の沈黙が流れ、夜風が彼らの短い髪を靡かせる。

 それでもライザはリオンが自分の中で答えを出すのをずっと待っていた。

 急かすことなく、ゆっくり、ゆっくりと。



 やがてリオンは徐に顔を上げ、涙声でライザに訴えた。



「僕……兄ちゃんと離れ離れになりたくない……」



 その答えにライザは口を閉ざして無言になる。

 だが、そのあとすぐリオンは持ち前の大きな瞳に涙を溜めながら言葉を紡いだ。



「でも……お母さんが言っていた世界を……見てみたい」



 これこそ彼が必死に考え抜いて出した答えだった。

 けれどもそれは同時に兄との別れも意味していた。



 ぽろぽろと大粒の涙を流すリオンに、ライザは静かに口角を上げて彼の頭を優しく撫でる。



「よく言った……それでこそ、オリビアの子だ」



 それだけ言うとライザはすっくと立ち上がり、俺たちを置いて来た道を戻ろうとする。



「帰るぞ。明日は早いんだろ?」

「お、おう……」



 だが、俺の相槌を待たずしてライザはさっさと歩き出す。

 弟の決意にも飄々としており、なんとも呆気ない態度だ。

 強がっているのか。それとも本当に淡々としているのか――彼の本心がわからない。



 一方リオンはまだ泣き止んでおらず、俯いたままずっとしゃくりあげていた。



「リオちゃん……」



 泣いているリオンにアンジェは痛ましそうにしている。

 けれどもなんて声をかけていいのかわからないのだろう。



 俺だってそうだ。こういう場合は、「ありがとう」なのか。それとも「ごめん」と言うべきなのか。

 いや、そもそも泣いている原因を作っている俺たちだ。そんな俺たちが彼を慰める筋合いはない。



 複雑な思いでリオンを見つめていたが、この沈黙をやぶったのは他でもなくリオンだった。



「ムギト君……」

「……なんだ?」



 嗚咽をもたらしながら問うリオンに、なるべく優しい声で返事をする。

 するとリオンは服の袖でこぼれた涙を拭き、目を赤くさせながら俺に請うてきた。



「今日……兄ちゃんと寝ていい?」



 その請いに俺は目をぱちくりさせてしまったが、すぐに破顔して返した。



「勿論だ」



 それがリオンの出した決意なのだ。

 それを俺なんかが無下にできない。



「行くぞ。ライザが待ってる」



 そう言ってリオンに手を差し出すと、リオンはコクリと頷いて俺の手を取った。



 家に戻ると、すでにライザはソファーの上で横たわっ寝ていた。

 そんなライザの上にリオンはしがみつくように乗っかる。



 いきなりリオンが上に乗っかってきても、ライザはノーリアクションだった。

 ただ、起きもせず、目も開けず、そっとリオンの頭の上に手を置く。

 まるで、その重みの正体を最初からわかっているかのように。



 その温もりに安心できたのだろうか。

 リオンも腫らした目を閉じるとすぐに寝息をたてて眠りについた。



 アンジェはそんな彼らに布団をかけと、微笑ましそうに小さく笑った。



「あらあら……二人しておんなじ顔をして」

「……本当だ」



 アンジェの言う通り、目を閉じた二人の顔は笑みがこぼれてしまいそうなほどよく似ていた。

 その寝顔は二人とも穏やかで、とても幸せそうな表情だった。

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