第106話 この一言に凝縮した
それからひと月もしないうちに、オリビアは死んだ。
もう、飲み食いもできないくらい衰弱し、最後の数日間はリオンすら抱くこともできなくなった。
リオンが布団の上に乗るようになったのはその頃だった。
母親に抱かれなくなって寂しく思ったのだろう。
ただ、いくらリオンが軽いからといっても流石にオリビアの上に乗らせるのは俺も抵抗があり、リオンを引き離そうとした。
だが、オリビアのほうから「リオンのそばにいられるから」とそれを拒んだ。
彼女の人生最期の日も、リオンは彼女の上に乗ってじっと母親を見つめていた。
「あんた……死ぬのか?」
死にゆくオリビアに問いただすと、彼女は何も言わず、うっすらと笑った。
「ごめんね、リオン……ごめんね、ライザ君……」
掠れた声で、オリビアは何度も俺たちに謝った。謝るのは、むしろ俺のほうなのに。
皮肉なものだ。人間はたくさんのエルフを殺したが、彼女を殺したのは間違いなくエルフの俺たちだ。
それでも彼女は、最後までエルフを恨まず死んでいった。
それが俺には理解できなかった。
こんなにも里のみんなには虐げられ、あんなにも愛していた人を殺され、どうしてこの最期のひと時でさえ、彼女の心はここまで綺麗でいられるのだろう。
彼女の息が絶え絶えになる。もう、彼女はリオンの重みですら耐えられなさそうだ。
そっとリオンを下ろすと、彼は不思議そうな顔で俺を見ていた。
幼い彼はどうして彼女が苦しんでいるのかはわかっていないだろう。無論、オリビアが死ぬことも。
無垢で、哀れな弟だ。
やる瀬なさが全面的に出ていたのだろうか、オリビアは最後の力を振り絞って、そっと俺の頬に手を伸ばした。
「……そんな顔、しなくても大丈夫」
そうやって、彼女は優しく微笑んだ。
自分の命は今まさに終わりを告げようとしているのに。俺にも、リオンにも、会えなくなるというのに。
俺の頬に触れた彼女の手は、氷のように冷たかった。
彼女の手を握ると、リオンも真似をして彼女の手のひらに小さな手を伸ばした。
そんな俺たちを見て、オリビアは微笑ましそうに口角を上げた。
だが、彼女の大きな瞳からは大粒の涙が流れ出ていた。
きっと、彼女も自分の「最期」を悟っていたのだ。
彼女はもう目を開ける力も残っておらず、声だって囁く程度で今にも消えそうだった。
そんな中、彼女は静かに微笑んで、そっと俺たちに告げた。
「ライザ君……リオン……忘れないで……この世界は広くて……美しい……私が見た世界を……君たちにも、見せてあげたいくらいに――」
――それだけ言って、オリビアは眠りにつくように息を引き取った。
動かない彼女をリオンは目をパチクリとさせながら見つめていた。
そんなリオンの頭を優しく撫でながら、俺は後ろからそっと彼の背中を抱きしめた。
「……さよなら、母さん」
無意識にこぼれたその言葉は、信じられないほど震えていて、とても情けなかった。
ただ、どんなに視界が涙で歪んでも、眠るオリビアの安らかで優しい死に顔ははっきりと見えていた。
――これが、里に来た人間・オリビアと、彼女に運命を変えられた哀れな男たちの話。
全てを話終えた頃には持っている煙草もほとんど灰になっており、体も夜風で完全に冷え切っていた。
それでもムギトとかいう人間は、ただ黙って俺の話を聞いていた。
そして最後に深い息を吐き、険しい顔でこう言った。
「重てぇし、話が
◆ ◆ ◆
出てきた直情的な言葉に、ライザは目を瞠ったままぽかんとしていた。
俺、何か変なこと言ったか? ど正論だと思うのだが。
というか、こんなに報われない話を聞かされてもどんな顔をすればいいかわかんねえよ、こん畜生。
「……まあ、とりあえずオリビアさんが超良い人だってことはわかった」
そんなに良い人で、しかも美人ならライザの親父さんも惚れるのもわかる。それに、口には出していないがライザも彼女のことを家族として認めていたはずだ。
親父さんも殺され、オリビアさんも死んだ。
あと、ライザに残されたのは二人の忘れ形見であるリオンだけ。
それなら過保護になる理由も、ここまで守りたがる理由もわかる。
俺がライザと同じ立場でも彼と同じ道をたどるだろう。たとえ、武力でのし上がったとしても。
「ところでお前ら……そんなので幸せなのか?」
「ああ?」
浮かび上がった素朴な疑問を単刀直入に尋ねると、ライザは不機嫌そうに眉をひそめた。
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