第105話 それが宿命

 それでも俺が心配しているのがわかったのか、親父は「そうだ」と手を叩いた。



「もし明日になっても僕が家に戻らなかったらライザが迎えに来てよ。それならいいだろ?」

「明日……」



 本によると例の湧き水は半日もかからないところにあるらしい。

 それでも「明日まで」と期限を設けたのはおそらく保険をかけたかっただろう。俺が少しでも安心して待っていられる保険を。



「わかった……迎えに行くよ」



 渋々頷くと、親父は「よかった」と安堵した。



「……あとは、頼んだからね」



 眉尻を垂らしながら、親父は静かに口角を上げる。

 その表情になぜか不穏な雰囲気を感じたが、今の俺には彼を信じることしかできない。



「いってきます」



 最後にオリビアとリオンにもそう言って、親父は家を出て行った。



 一日。

 たった一日。それだけ待てば、俺が親父を迎えにいけばいい。



 ざわざわとする胸騒ぎを押さえつけ、二人と共に親父を待つ。



 しかし、昼間に出て行ったのに、夜になっても、朝になっても親父は帰ってこなかった。

 


 大丈夫。大丈夫。



 最初はそうやって言い聞かせるように呟いていたオリビアも、どんどん表情が曇っていた。

 彼女の膝元で眠るリオンの頭を優しく撫でているが、目は虚ろで、魂はどこかへ言っていた。

 もう、彼女の精神も限界だ。



「俺、親父を探してくる」



 そう言うと、オリビアはハッと顔を上げた。「行かないで」と言いたげではあったが、家を出るなら、リオンが寝ている今がチャンスだ。



「すぐに戻って来るから」



 親父がいない中で俺まで家を出るなんて、彼女が心細くなるに決まっているが、このまま何もしないと、俺までも潰れてしまいそうだった。



 オリビアからもらった銃をレッグホルスターに挿し、一目散に家を出る。

 向かう場所は親父から予め聞いていたから、迷わずに向かえる自信はあった。



 走った。とにかく走った。

 なるべく早く親父に会えるように。

 そして、早くオリビアを安心させられるように。



 しかし、俺を――俺たちを待ち受けていたのは、途方に暮れるほどどうしようもできないほどの絶望だった。



 親父はいた。

 湧き水があると言われた森に行く道中の草原で、首から血を流して横たわっていた。



「……親父?」



 膝を落とし、そっと彼に顔を近づける。

 名前を呼んでも親父は目を開けなかった。

 ただ、首元に深い刺傷があり、そこから多量の血が出た痕跡があった。



 他に目立った外傷はない。

 おそらく、この首元の傷が致命傷となり、抵抗する間もなく絶命したのだろう。



 ただ、この傷は魔物の鋭い爪で引っ掻かれたものではなかった。

 これは、鋭利な刃物で刺されたような跡だ。



 傷口を見ただけで、惨状は容易に想像できた。

 親父を殺したのは魔物ではない。おそらく、この里の誰かだ。

 しかも首元を一発だなんて、どう見ても親父に治癒魔法を詠唱する前に殺しにかかっている。



 親父が一人になったところを複数で襲ったのだろうか。

 それとも、顔見知りなことを利用して親父が油断したところを一気に殺したのだろうか。

 どちらにしろ、あんな隙だらけな親父だ。殺せる状況なんていくらでも作れる。



 それでも、不思議と「どうして殺された」なんて疑問は浮かばなかった。

 そんなこと、親父が里の裏切り者だからに決まっているからだ。



 人間のオリビアを里に招いて、愛して、そしてハーフエルフの子供まで作って……

 特定の誰かに恨まれているのではない。里のみんな、親父のことを殺してやりたいと思っていた。

 それが、たまたま今であったというだけ。



 かと言って、こんな姿の親父をオリビアとリオンに見せる訳にはいかないから、ひとりで里まで運び、ひとりで彼を埋葬しようと思った。



 初めて担いだ親父の体は、冷たくて、血のにおいがした。



「あんたって……本当に馬鹿だよな」



 親父に向けて呟いたが、親父は目をつぶっているだけで何も言わなかった。

 だが、オリビアを救えないまま、しかも里の人に殺されたであろうに、親父の死に顔はどこか安らかだった。



 ――……あとは、頼んだからね。



 不意に、親父の最期の言葉が脳裏によぎる。

 親父は、自分がこうなることがわかっていたのだろうか。

 だから、俺にこんな言葉を残したのだろうか。今となってはわからない。



 いろんな考えを巡らせているうちに、里についてしまった。

 親父の遺体を担いで里の中を歩いても、みんな何も言わなかった。

 その沈黙こそが、彼らの出した答えなような気がした。



 ――親父の埋葬が終わった頃には、もう空は橙色に染まっていた。



「ただいま」



 何食わぬ顔で帰ったつもりだったが、オリビアは俺を見て絶句した。



「……ジャンさんは?」



 おそるおそる尋ねるオリビアに、俺は黙って首を横に振った。



「……見つかんなかった」



 それだけ言うと、彼女は「そう……」とこうべを垂らした。




 しかし、彼女のことだから多分何も言わなくてもわかっている気がした。

 俺の泥だらけの手と親父の血が付着した服を見たら、考えられるのはひとつだけだ。



「……つらい役目をさせて、本当にごめんね」



 そう言って、オリビアは俺の背中に腕をまわし、優しく抱きしめた。

 それが、初めて見せた彼女の涙で、俺が初めて彼女についた嘘だった。

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