第104話 その未来に縋りたい

 その日以来、俺も親父もこれまで以上に働いた。

 お腹の子供が無事に産まれてくるように。

 それと、オリビアの笑顔を絶やさないように。



 そうして必死に、必死に、朝から晩まで働いた、十月十日後のあの日――ついにオリビアは赤子を、リオンを産んだ。



 出産中、何度も死ぬかと思ったらしいが、なんとかオリビアも生きてくれた。

 ひょっとすると、これも彼女の魔力マジックパワーのおかげなのかもしれない。



 ただ、リオンを産んでから彼女はベッドから出られなくなった。

 まるで、リオンを産んだことで持っていた力を全て使ってしまったように思えた。



 それでも彼女は決して嘆くことはなかった。

 愛おしそうにリオンを抱き、狭い部屋で穏やかな時間をずっと過ごしていた。



 そんな彼女を親父は痛ましげに見つめていた。

 俺に至っては、日に日に弱っていくオリビアを直視できなくなっていた。



 この人は、あと何年俺たちと一緒にいてくれるのだろう。

 あと何年、リオンのそばにいられるのだろう。そんなことばかり考えていた。



 オリビアとは裏腹に、リオンのほうはすくすくと育っていた。

 赤子にしてはあまり泣かないし、この頃からよく寝る奴だったからオリビアも彼には手がかかっていないようだった。



「見てジャンさん……この子、あなたにそっくりだよ」



 リオンの柔らかい緑色の髪を撫でながら、オリビアはクスッと笑う。



 彼女の言う通り、ぱっちりとした大きな目は親父に似ていた。

 それは親父も自覚しているようで、「そうだね」と言いながらそっとリオンの頬に手を当てた。



「でも……髪色と耳の形は君に似たね」



 そう言って親父が優しく触れたリオンの耳は、俺たちのように尖っていなかった。

 それこそが、彼と俺たちエルフとの決定的な違いであった。



 ハーフエルフとして生まれた彼は、今後どのような運命を辿るのだろう。

 エルフには虐げられ、人間の世界を知らずに生きる。

 それでリオンは、幸せになれるのだろうか。



 おそらく、同じことを親父も思っていた。

 だからこんなに、リオンを見て苦しそうにしている。



 その感情を悟ったうえでオリビアは「フフッ」と静かに微笑んだ。



「大丈夫。だって、お父さん似の子は幸せになれるんだから――絶対にリオンは幸せになるよ」



 その言葉に親父はハッと息を呑んだ後、くしゃっと顔を歪めた。

 それから、「うん」「うん」と何度も頷き、リオンごとオリビアを抱きしめた。



「もう……リオンより泣いてるじゃない」



 泣き出す親父を見てオリビアがおかしそうに笑う。

 その小さな家族の光景が眩しくて、そして悲しくて、俺は耐えきれず一旦部屋を出た。



 ――こんな日々が、いつまでも続けばいいのに。

 そう願っていたいのに、神様というのはどこまでも残酷で、彼らにいじわるだった。




 リオンが立って歩くくらい成長した時、オリビアは一人で起き上がれなくくらい弱っていた。

 この時から、彼女の命の灯火のカウントダウンは始まっていた。



 一方、どうしてもオリビアを救いたい親父は里に残されたありとあらゆる書物を隅々まで読んでいた。

 先人の知恵から彼女を救う手立てを得ようと思っていたのだ。

 そしてようやく、彼女の寿命を伸ばす可能性を見つけ出した。



「……クーラの水がいいかもしれない」

「クーラの水?」

「光属性の加護を受けた水だよ。元々は傷を癒す回復水だけど、微量ながら体力も回復するらしいんだ。エルフには馴染みはないけど、光属性がほとんどいない人間会では馴染みあるんだって。しかもここから遠くない森に湧いてるところがあるらしいんだ」



 久しぶりに親父の目に輝きが戻っていた。

 この水こそがオリビアを救うかもしれない。そんな僅かな希望に燃えているのだろう。



「じゃ、俺が取って来るよ」



 率先して言ってみるが、親父は首を横に振った。



「ううん。ライザはここでオリビアとリオンのそばにいてあげて」

「なんでだよ。親父より俺のほうが強いだろ。というか、あんた魔物倒せるのかよ」



 この時、俺も親父も二人で取りに行くという選択肢はなかった。

 オリビアが動けない以上、二人共何日も家を空けるということができないからだ。それに、幼いリオンもいる。



 取りに行くのなら戦闘力のある俺のほうが絶対いい。

 と思っているのに、親父は頑なにそれを拒んだ。



「ライザのほうが僕より強いからだよ。だから、ここに残って二人を守ってあげて」



 ポンっと俺の両肩を叩く親父の表情は、いつもの気弱な感じではなくなっていた。

 眼差しが迷いがないくらいまっすぐで、これまで見たどの親父よりも勇ましかった。彼は本気なのだ。



「それに僕は怪我をしても自分で治せるからね。魔物が出たら逃げればいいだけさ」



 そうやって笑う親父に、俺は何も言えなかった。

 だから俺は、折れてコクリと頷くしかなかったのだ。

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