第86話 可愛いのは名前だけ

 * * *


 ライザの後に続いて居住地区間に戻ったが、そこはもう酷い惨状だった。



 まず、畑は転々と獣の足跡がつくくらい踏み弄られている。

 それから、家の壁には大きな爪で引っ掻いた跡がついており、窓ガラスも粉々に砕かれていた。



 しかも中には襲われたエルフもいるようで、地面にはぽつぽつと赤い血液が飛んでいる。

 ただ、幸いどこにもエルフの姿はないので、どうやら上手く逃げられたようだ。その獣に喰われていなければの話だが。



 そして、問題の奴さんはというと、こうして俺たちの目の前にいる。



「おうおう……思ったよりでかいな」



 エルフの青年が言っていたライオンみたいな魔物は俺たちに背中を向けながら、クンクンと畑の土のにおいを嗅いでいた。



 黒い大きな図体は確かにライオンのような毛並みだが、尻尾は蛇のような鱗がついているおかしな獣だった。キマイラの紛い物だろうか。どちらでも気持ち悪い。



 そんな異様なオーラを放つ獣に上に例の人間がまたがっているから恐ろしい。

 ただし、こいつも後ろを向いていたので顔は見えず、黒いターバンにフード付きのマントを羽織っていることしかわからない。



 だが、やがて俺たちの気配に気づいたのかそいつは「ん?」と吞気な声をあげて獣と一緒にこちらに体を向けた。



「おやおやー? 新しいお客さんかな?」



 そいつはまだ十代後半かそこらの青年だった。

 黒いターバンからは赤い髪が少しはみ出ており、ニッと笑った口元からは八重歯が出ている。



「おー! 本当に人間も来てるじゃん! すげー!」



青年は意味深なことを言いながら、紫色の瞳を輝かす。

 そんなあどけない彼だが、顔面には証言通り赤い花のような模様がペイントされていた。

 間違いない。魔王の紋章だ。



「ほら、リッチーヌ。お前も挨拶しなよ」



 青年はポンポンと獣、及び、リッチーヌの頭を叩く。

 リッチーヌという名前の割には顔面は全然可愛くなかった。

 飼い主と似て口元からは八重歯が生えているが、奴の場合は長くて鋭利で愛想の欠片もない。



 それに、「挨拶しなよ」と言われているのに、俺たちを見て「グルルルル……」と威嚇している。

 奴にとってこれが挨拶なのだろうか。そんな殺意まで剥き出しにしなくてもいいではないか。



 半笑いしていると、青年はトンッとリッチーヌから飛び降り、俺たちを見て微笑んだ。



「どもども。俺はアルジャー。ご覧の通り【魔物使いテイマー】っす。以後よろしく」

 


 アルジャーと名乗る青年はシャキンと敬礼する。

 それにしてもなんだこいつの軽いノリは。

 これから命の取り合いをしようとしているのに、緊張感がまるでない。



 これだけ見ればただのチャラついた青年だ。

 しかし、この惨状を巻き起こしたのは他でもなくこいつらである。

こんな似つかわしくない明るさで対応して俺たちを油断させる気なのだろうか。



 ちらりとアンジェを見ると、すでに彼は剣を抜いていた。

 アルジャーのことを大いに警戒しているらしい。彼のペースに流されることなく、鋭い切れ長の目で相手を捉えている。



 そんなアンジェとは裏腹に隣のライザはポケットから煙草を出し、咥えた煙草に火を点けていた。

 戦闘前の一服といったところか。そんな余裕ぶっこいている暇はないだろうに。



 しかし、この状況下でもライザは至って冷静だった。



「カマ野郎……お前、あのデカブツのほう行けるか?」



 横目で視線を送られると、アンジェは「あら」と上品に口に手を当てる。



「奇遇ね。あたしも同じこと考えてたの」



「ウフッ」と嬉しそうに言うアンジェだが、ライザはちっとも嬉しくなさそうだ。



 けれども、アンジェがリッチーヌの相手をするとしたら、俺の相手もリッチーヌか。



 表情を強張らせながら、視線とフォークの先をリッチーヌに向ける。

 しかし、それを見たライザが呆れたように深いため息をついた。



「何してるんだよ汚物……てめえは俺とこのクソガキの相手だ」

「あぁ!?」



 聞き捨てならない呼び名に思わず不機嫌な声をあげる。

 呼び方も気に喰わないが、何よりその組み合わせもどうかしている。



「なんで俺がお前と組まないといけないんだよ。普通、仲間同士組むだろ」



 それに、俺とライザはどう考えても合わないだろう。主に性格。

 そう反論してみるが、ライザは不快そうに眉を寄せ、再び息をついた。

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