第56話 そこに希望があるのならば

 その事実を突きつけられた時、俺は彼女の横で膝を落とした。



 彼女の寝顔をそっと見つめる。少しだけ目を離しただけなのに、彼女の顔にできた紫色のあざはまた少し広がって行った。



 こうして瘴気の毒は彼女の体をむしばんでいき、やがてその命を食らいつくすのだろう。



「なんで……こんなことに……」



 脳裏に過ったのはセリナの眩しい笑顔だった。

 ほんの数十分前まであんなに元気だったのに、今の彼女はどうだ。その姿からは程遠く、命の灯火がすぐにでも消えてしまいそうだ。



 こうなってしまったのも俺のせいだ。あの男のことを怪しんでいたのに、止められなかった。



 それどころかそいつの情報ひとつも得られずに逃がしてしまった。

 役立たずの、とんだグズ野郎だ。



「すまない……私にもっと力があれば……」



 ミドリーさんが悲壮感漂う声で自分の大きな手を見つめる。

 治療魔法が使えるミドリーさんがどうにもできないのなら、この先の未来は見えていた。このまま彼女は目を開けることなく、永遠の眠りにつく。



 彼が非力なのではない。仕方がないのだ。

 ノアが前に言っていた。治療魔法は魔力マジックパワーの消費量が他の魔法と桁違いに多い。たとえ彼が【治療師ヒーラー】であっても、これ以上のことはできないのだ。



 そもそも、普通の人間では魔力マジックパワーが足りない。

 わかっている。わかっているのに、悔しくて悔しくてたまらない。



「ムギちゃん……」



 後ろでアンジェが悲しそうな声で俺を呼ぶが、顔を上げることはできなかった。



 堪えたいのに、俺の意思とは関係なしに涙が出てくる。

 視界が涙で歪み、隣にいるセリナの顔ですら霞んで見える。

 なんて無様な姿だ。泣いても喚いても、彼女を救う手立てはないのに。



 世界は無情だ。理論上なら余程体に損傷がなく御霊がこの世に残っていれば、蘇生魔法で御霊を体に戻すことができる。

 そんなRPG染みたことができるのに、普通の人間では魔力マジックパワー不足で不可能。彼女を救える可能性はあるのに、その希望がないのだ。



 そう、普通の人間では……。

 ……あれ?



 自分で言い聞かせておいて、その言葉に違和感を抱く。

 なぜ俺は、今「普通の人間は不可能」と思ったのだろう。

 そもそも、どうして俺はこんなことを知っているのだっけ。



 頭脳をフル回転させ、記憶を蘇らせる。

 確か、この蘇生魔法の知識はノアから聞いたのだ。



 いったい、いつ?



 そうだ、初めて【治療師ヒーラー】であるミドリーさんに会った日だ。

 俺があいつに素朴な疑問として【治療師ヒーラー】が蘇生魔法を扱えないのか問うた。



 ――あれだけのことができるなら、蘇生もできるんじゃねえの?



 あの時、ノアの奴なんて言っていた?



 ――むしろ、それくらいのことしかできねえんだよ。



 いや、他にもあったはずだ。

 思い出せ……思い出すんだ俺。

 もっと核心づくことを言っていただろうが。



 ――エルフくらい魔力マジックパワーがあるならまだしも、普通の人間じゃまず無理だ。



 その言葉が頭によぎった時、俺はハッと息を呑んだ。



「……エルフくらいの……魔力マジックパワー……」



 あいつの淡々とした口調のセリフが不意に漏れる。すると、ミドリーさんとアンジェが口を揃えて「え?」と声をあげた。



「……ムギト……お前、今なんて言った?」



 ミドリーさんが肝を潰したような様子で俺に尋ねる。



 服の袖で涙を拭き、徐に顔を上げてみるとミドリーさんもアンジェも目を丸くさせて俺を見ていた。

 そんな彼らに、俺は逆に問いただした。



「いるんだろ? この世界に――エルフって奴が」



 その問いにミドリーさんの眉がピクリと動いた。その後ろでは目を瞠ったアンジェがあんぐりと口を開けている。



「ムギちゃん……エルフのこと知ってたの?」



 驚くアンジェだったが、俺は首を横に振った。エルフという種族の名前は知っているが、この世界エムメルクでのエルフはわからない。



「ノアが前に少しだけ教えてくれたんだよ。エルフって魔力マジックパワーが高いんだろ? そいつならセリナのことを助けられるかもしれないじゃねえか」



 これが最善の策かどうかは俺には判断できない。だが、ここにいたってセリナは死ぬだけだ。そんなことは俺でもわかる。



「なあ……教えろよ、エルフの居場所」



 真剣な眼差しで彼らを見つめると、二人は「信じられない」という表情で絶句していた。



 それでも俺の意志は揺るがなかった。たとえそれがわずかな希望であっても、そこに彼女を救える術があるのならそれに縋りつきたいのだ。



 その覚悟を拳に宿し、爪が食い込むくらいグッと握りしめる。そして迷いない凛とさせた両眼で彼らにはっきりと告げた。



「俺が……エルフを連れ来てやるよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る