第54話 足グセが悪いのは初戦から

「悪い! これ借りる!」



 言葉にする前から体は動いていた。

 俺が見つけたのは子供たちが蹴って遊んでいたボールだった。



 革で作られているのか茶色くて現実世界のボールより硬い。

 それでもあいつの足を止めるにはこれがちょうどいい。



「あ!」



 子供たちが驚いた声をあげた時にはボールはもう俺の足元にあった。

 軽くボールを蹴り、駆ける男に狙いを定める。



 外したら終わりだとか、ブランクがどうとか考える暇はなかった。

 一瞬の迷いもなく、俺はボールを思い切り蹴り上げた。



 力の加減もなく、硬いものを思い切り蹴ったから手の甲に痛みが走った。

 しかし、ボールは俺の狙い通り男のほうまで一直線に飛んでいく。



 俺の足音が遠くなったことに気づいた男がハッと振り返ると、ボールは奴の目の前に来ていた。



 このスピードと間合いでは男も避けることができず、そのまま脳天に当たり地面に転がる。



 作戦通りだ。しかし、ここで安堵するのはまだ早い。



 頭を抱えてうずくまる男のところまで走り、逃げ出さないように馬乗りになる。

 だが、その時は俺も肩で息をしており、奴の体を押さえて動きを止めるので精いっぱいだった。



「はぁ……はぁ……手間かけさせるんじゃねえぞ……」



 男を見下ろして睨みつけるが、有利なのに息が絶え絶えのせいでまったく威厳は出なかった。



 一方、男は圧倒的に不利であるのに、息を乱すことなくニヤニヤと小馬鹿するように俺に言う。



「いやー、ビビった。まさかあんなものが飛んでくるとは思わんかったわ」



 にやりと男が笑う。ブランクがあるとはいえ、身体能力が上がっている状態で蹴ったボールが頭に直撃したのだ。脳震盪のうしんとうを起こしてもいいくらいのはずなのに、こいつはケロッとしている。先ほど転んだのもボールのダメージではなく、バランスを崩して転んだだけというのか。



「お前……なんのためにこんなことを……」



 男の余裕の表情にイラつき、無意識に腕に力が籠る。

 それでも男は顔色ひとつ変えることなく、俺を見て鼻で笑った。



「なんのためって……あの人、、、の命令だよ」



 そう言って男は俺に首元が見えるようにひょいっと頭部を傾げる。

 すると、フードに隠れた男の鎖骨が露わになった。



 わざとらしく見せてきたそれに、俺は言葉を失った。

 それは男の鎖骨から肩にかけて刺青のように刻まれていた――真っ赤に咲いた花のような、魔王の紋章が。



「お前が、魔王の配下だって言うのか?」



 ギリッと歯を食いしばるが、男は相変わらず飄々ひょうひょうとしていた。



「そういうこと」



 からかうように「べー」と舌を出す男が憎い。しかし、これ以上手が出なかった。

 確かに先ほどまで「ぶっ飛ばしてやりたい」と思っていた。しかしその一手がなかなか出せない。



 ためらうには理由があった。魔王の配下は全員魔物だと思っていたからだ。

 だが、こいつはどう見ても普通の人間だ。

 意味がわからない。人間も魔王の配下になれるのというのか? 



 ならば、俺たちの敵って――……



 その気持ちの迷いは不覚にも男にも伝わっていた。



「あーあ……お前、とんだ甘ちゃんだな」



 男は二の足を踏んでいる俺に「ククッ」と肩を揺らして笑う。



「敵だと判断したらすぐに殺せよ。でないと――お前が死ぬぜ」



 一瞬、男の声色が変わった。男の眼差しが鋭くなり、眼光が消える。

 その時、背中からぞくりと悪寒が走った。

 それこそが、男の殺意だった。



 ハッと男の手を見ると、あの時セリナに見せていた爆弾らしき石が握られていた。慌ててもう片方の手に目をやると、もう奴が指を鳴らす直前だった。



「やべぇ!」

 咄嗟に手を離し、転がるように男から逃げる。すると、男の手に持っていた石が爆破した。



 爆破と共に熱風が吹き荒れる。しかし、集会所を襲った時よりも爆破は俄然弱い。そのおかげで転がっただけでなんとか直撃は避けられた。



 だが、俺が起き上がろうとした時には辺りに青紫色の煙がもくもくと湧いており、男がそれに紛れて消え去ろうとしていた。



「待ちやがれ!」



 急いで体制を整えたが、男はすでに逃走しており、俺とかなり距離を離していた。



「じゃーなお兄さん。また遊ぼうぜ」



 振り向きざまにそう言って男は手を振る。しかし、追いたいのに足のほうがついていかなかった。俺にはもう一度全力疾走する力が残っていなかったのだ。



「クッッソ!」



 悔しさのあまり、地面を拳で殴る。ちょうどその時、背後から俺を呼ぶアンジェの声が聞こえた。



「ムギちゃん! 大丈夫!?」



 アンジェもここまで走ってきたようで、肩で息をしていた。

 しかし、先ほどの爆発で擦り傷がついている俺と、目視ができるギリギリのところまで小さくなっている男から色々と悟ってくれた。



「悪い……俺……」

「ううん。あたしも何もできなかった……」



 易々と敵を逃してもアンジェは俺を責め立てなかった。そして彼も悔しそうに下唇を噛んでいると、やがて深く息をついた。



「――戻りましょう。神官様が待ってるわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る