第53話 そして魔の手が動き出す

「ほら、これなんだけど」



 対角線上から観察していると、男がポケットから石を出した。それは確かにコアのような石だった。



「これは……なんでしょう。私も初めてみました」



 セリナが真剣な表情でそういうのだから余程のものだろう。ただ、ここからでは距離があってよく見えない。

 かといって変に近づいたら怪しまれそうだし……。



 そんな具合で次の一手に困っていると、セリナが鑑定を始めていた。



「では、鑑定致します……鑑定魔法アプレザイド



 ぼんやりとオレンジ色に光るセリナの様子になぜか男が小さく笑う。

 しかし――それが奴の作戦決行の合図だった。



 男は天井に向かって手を掲げ、パチンと指を鳴らすと、セリナが持っていた石から目が眩むほど眩しい光が放たれた。



 そこからすべてが一瞬で、何が起こったのか理解できなかった。

 何かが破裂したような爆発音が部屋中に響き、隅にいる俺たちですら感じるほど強い熱風が吹き荒れる。



 慌てて手で熱風をガードするが、風が強すぎて目を開けられなかった。しかし、流れ込んできたその風からは焦げ臭さだけでなく、鼻を突き刺すような腐敗臭も混ざっていた。



 アンジェはそれを強く吸ってしまったのか、俺の後ろでずっとむせている。

 爆発したのはおそらくあの石。コアだと思っていたがあれは爆弾だったということか?



 だが、うろたえている時間はなかった。

 慌ててガードしていた腕を解くと青黒い煙の中で地獄絵図のような光景が広がっていた。



 最初に飛び込んだのは爆発によって破壊された木製のカウンターだった。その近くには爆発を諸に食らったセリナが横たわっている。



 それだけではない。彼女の後ろで忙しなく動いていた他の職員たちも爆発に巻き込まれ、血を流して倒れていた。



 そんな光景を男は壊れたカウンターに足をかけながら見下すように眺めていた。



 あれだけ爆発の近くにいたのに、男は怪我のひとつもしていないようだった。ただ、あの熱風でかぶっていたフードが落ち、顔が露わになっている。



「お前……何してくれてるんだ……」



 よろめきながら、男に一歩近づく。

 すると、俺に気づいた男がゆらりと揺らめくようにこちらへ顔を向けた。



「なんだ……お前、動けるんだ」



 男がニヤリと下衆な笑みを浮かべる。フードの色によく似た深緑色の短髪に紫色の瞳。爬虫類のように吊り上がった大きな目。まだ半月程度しかこの街に住んではいないとはいえ、初めて見る顔だった。



「これ食らってほぼ無傷なんて、お前運がいいじゃん」



 男がニヤニヤとしながら口角を上げる。その顔を見ていると胸から炎のような怒りがふつふつと燃えたぎってきた。



 これだけセリナが……【錬金術師アルケミスト】たちが傷ついているのに、男の卑下した表情からは悪意しか感じない。それでいて苦しんでいる彼女たちを楽しそうに眺めるなんて神経腐ってやがる。



「ふざけんなよこの野郎!」



 怒りを拳に変えて男のほうへと駆け出す。

 しかし、男は俺と戦う気はまったくなく、俺が突撃する前に出入り口まで一直線に走り抜けていった。



「くっそ!」



 急ブレーキをかけて急いで方向転換する。けれども男は扉をぶち開けたところで、さっさととんずらしていた。



「アンジェ! みんなを頼む!」

「えっ……ちょっとムギちゃん⁉︎」



 ようやく立ち上がったアンジェに構わず俺も男を追って一目散に駆け出す。



 後先なんて考えていなかった。

 出店準備をしている商人たちを横切り、朝の散歩をしている住民たちの間を猛スピードで通過する。中には悲鳴をあげる者もいたが、そんなことで足を止める訳にはいかない。



 男も俺も街の中をひたすら全力疾走していた。

 集会所から少なくとも百メートルは走っている。

 それでもお互いスピードを落とすことはない。



 ――絶対に許さない。



 今の俺を駆り立てているのは、奴に関する憎悪と怒りだった。

 彼女たちをあんな目に合わせて易々と見逃すなんてできるか。

 息があがっても、足がもつれて転びそうになっても、俺は諦めてられなかった。



 だが、どんなに走っても奴との数十メートルの距離が埋められなかった。

 このままでは奴を取り逃がしてしまう――



 どうにかして逆転しないと。

 走りながら必死に距離を詰める方法はないか考える。

 しかし、ショートカットできるような場所もないし、スピードもこれ以上あげられない。



 何か、何かないか。

 そう思ったその時、俺の目の前にあるものが飛び込んできた。

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