第49話 なかま、ひとりめ

「……あなたたちの前でくらい、清らかな自分でいたいじゃない」



 アンジェが力なくそう答えると、俯いてくしゃっと前髪を潰した。

 そんなアンジェの姿がとても痛ましい。



 彼はひとりで戦っていた。

 孤独と、憎しみと、淀めく感情と。

 魔王の配下に会うたびにそれらの思いを奴らにぶつけていたのだ。



 魔王の配下と、会うたびに――



 そう、自分の中で反芻した時、初めてアンジェと出会った時の記憶が脳裏に浮かんだ。

 確かにルソードに対しては憎悪を剝き出すような鋭い眼差しになっていた。

 だが、それだけ、、、、だ。



『……大丈夫? お兄さん』



 アンジェの艶やかで、優しい微笑みが甦る。

 少なくとも、俺にとって彼は勇ましくて慈愛に満ちた青年だった。



「安心しろアンジェ……確かにルソードに対する怒りは感じてたけど、その後俺に向けてくれた眼差しは全然濁ってなかったよ」

「え?」



 アンジェが素っ頓狂な声を出して顔を上げる。

 露わになった切れ長の両眼は涙で濡れていた。だから敢えて笑みを浮かべ、力強く彼に言った。



「……アンジェの心は、汚れてなんかない」



 はっきりと言い切った俺にアンジェは驚いたように目を瞠った。だが、すぐに小さく頬を綻ばせ、静かに俺に返した。



「……そういうこと言ってくれるの、ムギちゃんだけよ」



 そう言ってアンジェが目を細めた時に涙が頬を伝った。だが、その表情は心の底から安堵しているように見えた。



 そんな彼に向け、故意的ににやりと笑う。



「散々世話になってるからな。これくらい言ってやらねえと」

「えー、何それお世辞ー? 喜んで損しちゃったわ」



 アンジェがわざとらしく頬を膨らませる。

 その様子に俺も少し安心した。いつものアンジェに戻ったような気がしたのだ。



 しかし、破顔するのも束の間で、アンジェが藪から棒に俺に尋ねてきた。



「ねえ、ムギちゃんには兄弟いるの?」

「なんだよいきなり……」

「いいじゃないの。あたしのことばかり話して、フェアじゃないでしょ?」



 アンジェは悪戯っぽくクスッと笑う。

 正直あまり兄弟のことは話したくないのだが、彼の言う通りだ。思い出したくないことまで散々語らしておいて、俺の話をしないのは平等でない。

 なんかしてやられた感じがするが、やむを得ないだろう。



「……いるよ。弟だけどな」



 ばつが悪そうに話す俺とは裏腹にアンジェは興味深々だった。



「弟君はどんな子?」

「どんなって……ムカつく野郎だよ。勉強もできるし、運動もできるし……というか、俺の出来が悪いから、親もそいつのことを気に入ってるし――」



 自分で語っているうちにどんどん虚しくなっていった。

 同い年で、同じ環境下で生きてきたのに、俺は何ひとつあいつに勝てなかった。

 それなのに顔は酷似しているから弟によく間違われたし、あいつも俺に間違われた。



 思い出すうちに嫌な記憶が甦った。

 あいつが俺と間違われて名前を呼ばれた場面を視てしまった時のことだ。



 そんなの一卵性の双子なのだから日常茶飯事のはずなのに、振り返りざまに見えたあいつの顔は嫌悪感に塗れていた。多分、俺と間違えられるのは反吐が出るほど嫌だったのだろう。



 自分より劣っている奴の名前を呼ばれるのだ。俺が逆の立場でもそうなるかもしれない。

 わかっている。わかっているのだが、一度見てしまったらその光景が頭から離れなかった。



 弟に切実に嫌われている。

 だが、思い当たる節が多すぎて、俺もどうすることもできなかった。

 だから、あいつと距離を置いた。それが、俺の精いっぱいの奴への抵抗だったのだ。



 そんなこと、大学に入学してひとり暮らしをしてからすっかり消え失せていた。それがこんな簡単に思い出してしまえるとは……。



 口籠っていると、アンジェは心配そうに顔を覗かせてきた。

「もしかして」と訊きたそうであったが、俺の気まずい表情やこの沈黙で色々察してくれたのだろう。静かに微笑みながら、俺に諭した。



「……弟君と仲直りするのよ。ちゃんと会えるうちに、ね」



 アンジェにそう言われてしまうと説得力がありすぎて返す言葉がなかった。



 けれども、これは仲直りという問題でもない。無理なのだ。あいつとは、もう交われない。だが、こんなことアンジェに言える訳がない。



 困ったように頭を掻くと、アンジェはにこっと目を細めた。



「さあ、もう寝ましょう」



 そう言ってアンジェは竪琴を持って立ち上がる。



 ここに来て張り詰めていた空気が穏やかになったからか、俺も一気に眠気が来た。俺もそれなりに緊張していたらしい。



 欠伸をしながらうんと背伸びをすると、アンジェが澄ました顔で俺に話しかけた。



「……ありがと。おかげですっきりしたわ」



 その目はまだ涙で濡れていたが、どこか吹っ切れたようにも見えた。

 切れ長の凛とした眼差しには、迷いなんてものはない。



 アンジェの瞳に宿った強い意志を感じた時、俺は彼に向けスッと手を差し出していた。

 彼の目的はひとつ。それは、おそらく俺と同じであろう。



「倒すぞ魔王。俺も……そのためにここにいるんだから」



 真顔でそう言うとアンジェは悟ったように口角を上げ、俺の手を力強く握り返した。



 ――赤き炎の青年剣士、アンジェ。



 たとえこれまで一緒にいたとしても、ここでようやく仲間になれたような気がした。

 それはノアも感じていたようで、固く握手する俺とアンジェを嬉しそうに見つめていた。



 だが、俺たちはまだわかっていなかった。

 ここからたった数日後にあんな事件に巻き込まれるなんて――……この時は思いもしなかったのだ。



三章【赤き炎の過日】 終

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