第47話 その日の夜の話

「今から半年くらい前かしら――あの時のあたしはギルドに入っていなかったから、稼ぎは妹と【農家ファーマー】の父親に任せていたの」



 つまるところ、当時のアンジェは主夫だったようだ。

 言われてみると料理の手際もよかったし、留守番をしていた時の俺の指示もこなれている感じがしていた。確かに主夫と言われると深く頷けた。



「長男坊のくせに働きもしないって小言言ってくる人もいたけど、家事は嫌いじゃないし、こんな風貌だから気にしないでいたの。実際、何やっても稼ぎは妹には敵わないって思ってたしね。それに、父も【農家ファーマー】としては有能だったし」



農家ファーマー】と言われ、アンジェの家の周辺が畑地帯だったことを思い出す。

 そういえば二人の墓があったところも畑だった。あれが親父さんの畑だったということなのだろう。そもそも、ここ一角が【農家ファーマー】が住むエリアだったのかもしれない。



「ただ……あの日は父親の友人から手伝いの要請があってね。動けるのはあたししかいなかったから、隣町までお使いに行ってきたの」



 この日も親父さんは畑仕事に、イルマは街へ踊りに行くだけの何も変わらない一日のはずだった。

 いつも通り「おはよう」と言って、他愛ない話をして……ただ、普段は送り出すアンジェが「行ってきます」と二人に見送られただけ。



「日常が崩れる時って――本当に一瞬なのよね」



 その言葉が生々しくて胸に突き刺さる。



「……あたしが仕事を終えて家に戻れる頃にはすっかり夜も更けていたわ。二人共自分の帰りを待っているかもしれない。そう思って急いで帰ったの」



 けれども――彼を待っていたのは、温かい我が家でも、二人の笑顔でもなかった。



「あの時間帯は二人とも家にいるはずなのに、家の明かりは点いていなかった。その時点で何かがおかしいと思った」



 彼の嫌な予感は当たっていた。

 家に近づくと変に騒々しかった。ただ、その騒々しさの正体に気づいたのは、彼が自宅の前にたどり着いてからだ。



「……まず、目に飛び込んできたのは家の前で倒れている父親だった」



 アンジェの親父さんは家の前で血を流して倒れていた。流れ出ている血の量で、彼が絶命しているのは一目見てわかった。



 だが、彼は悲鳴も叫び声もあげることもできなかった。

 続けざまに非情な現実を突きつけられたからだ。



「家の中に何かいる……それをわかっていたから、迂闊に声も物音も立てなれなかったわ。ただ、父親の横に転がっていた護身用の剣を握って、この恐怖に迎え撃つしかなかった。でも、そこにいたのは――」



 そこでアンジェの声が震えた。脳裏にあの日のことが甦ったのだろうか、拒絶するようにこうべを垂らす。

 それでもアンジェは、静かに、泣きそうな声で俺に告げた。



「そこにいたのは……はらわたをぶちまけられたイルマと……彼女を喰った魔物たちだった」



 その告白に俺もノアも目を見開いた。

 けれども、イルマの死は俺の想像を遥かに超える程非道であった。

「喰われた」という表現には二つの意味があったのだ。



「家の中が、血液とはまた違う……嫌なにおいで充満していた……理由はすぐにわかった。イルマが体だけでなく、服までも切り裂かれていたから……この場で何が行われていたかも察しがついた」



 親父さんはイルマを助けようとしたところを返り討ちにされたのか、それとも親父さんが殺されてからイルマが襲われたのか、今となってはわからない。



 ただ、目の前で二つの命が消えた。それは拭おうにも拭えない事実だった。



「……そこから先は、あまり覚えていないわ。頭が真っ白になって、気づけば剣を掲げていて、切っ先から炎を出して奴らを燃やしていた」



 魔物は抵抗したが、アンジェはそれを諸々もしなかった。ただひたすら、自分の中にある憎悪と悲嘆を魔物にぶつけた。



「部屋中に血が飛ぼうが、家が燃えようが、あたしは構わなかった。奴らを仕留めるという殺意だけで動いていた。そうじゃないと、あたしは壊れてしまいそうだったから」



 俯いたアンジェは自分を抱きしめるように腕を組み、体を縮こませた。

 アンジェの長い前髪に隠れた切れ長の目が愁いを帯びている。その目はどこか遠く、きっとあの日のことを思い出しているのだろう。



 月明かりに照らされる彼の姿が物悲しい。けれども俺は彼にかける言葉が見つからなくて、下唇を嚙んだまま何も言えないでいた。



 暫時の沈黙が続く。

 月が風に流れる雲に隠れて消える。辺り一面が暗くなるが、それでも俺は口を開くことができなかった。



 そんな中、俯いていたアンジェが沈黙を破った。



「奴らを燃やした時に気づいたの……あいつらの体に、赤い花のような模様が入っているということに」

「え?」



 思わず声が漏れた。

 その赤い花の模様は俺も知っている――それは魔王の配下の証、いわば「魔王の紋章」だ。

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