第45話 夜のとばりと吹弾

 ノアと共に静かに外へ出ると、アンジェの姿はまだそこにあった。

 街灯も家の灯りもないと俺たちを照らすのは月の光と星の瞬きだけであった。



 煌々こうこうと光る星空は、俺も息を止めるくらい美しい光景だった。小さな星屑が黒い空一面に散りばめられているのだ。これまで生きてきてこんなにゆっくり夜空を見たことがあっただろうか。



 感動して言葉が出ないでいると、夜空を見上げていたアンジェの体が動いた。

 彼は手に持った何かを構え、深呼吸していた。



 アンジェが手に持っているのは小型の竪琴だった。

 彼はそっと弦に手を触れると、指で弦をはじいた。



 綺麗な音色だった。この暗闇に溶けてしまいそうなほど穏やかな音色で、聴いているだけで心が和らいだ。



 静かに、そして華麗にアンジェは竪琴を奏でる。

 その姿に俺もノアもただ黙って耳を傾けていた。

 声をかけてはいけない。曲を止めてはいけない。二人共、考えていることは同じだった。



 だが、一曲引き終わると、アンジェは竪琴を下ろし、徐に夜空を仰いだ。



「……起こしちゃった?」



 優しく微笑みながらアンジェはこちらを振り向く。どうやら、彼もずっと俺たちがそばにいることを気づいていたようだ。



「いや――こっちこそ、邪魔してごめん」



 謝ると、アンジェも「ううん」と首を横に振った。



「竪琴、弾けるんだな。上手くてびっくりした」

「そんなことないわよ、あたしなんて全然……でも、たまにこうして弾きたくなるのよね」

「もう弾かないのか?」

「あら、あたしの演奏聴いてくれるの? ムギちゃんがそう言うなら、あたし頑張っちゃうわよ」



「フフッ」とアンジェが笑うので、俺も釣られて笑う。

 お互い立っているのも何なので、俺もアンジェもひとまずは草原の上に座った。



 アンジェの奏でる音色に俺もノアもうっとりとしながら聴いていた。夜空の下で聴く竪琴。こういうクラシックのような曲はまったく興味なかったが、アンジェの演奏は心地いい。



 それにしても、イケメンで、性格も良くて、強くて、料理が上手くて楽器も弾けるとは。「天は二物を与えず」と言うけれども、ここの神様は彼に何物与えているのだろう。羨ましい限りだ。けれども、一切妬まないのはやはり彼の人柄なのだろう。



 そんなことを考えていると、アンジェが竪琴を弾きながら俺に話しかけてきた。



「どう? オルヴィルカの生活は慣れた?」

「あ、うん……ミドリーさんもセリナも、凄く良くしてくれる」

「そう。それはよかったわ」



 話しながらもアンジェの演奏は止まっていない。指は滑らかな動きで弦を弾き、流れるように奏楽する。なんというテクニックだ。こんなこと真似できん。



 呼吸をするように竪琴を鳴らすアンジェに感心していると、再びアンジェが俺に声をかけてきた。



「セリちゃんったら、ムギちゃんのことを気にしてたわよ。罪な男ね」

「罪って……あ、そういえばアンジェからセリナに頼んでくれてたんだろ? ありがとな」

「お礼なんか言わないで。ああいうのはセリちゃんのほうが向いてるし、何より、セリちゃんとあなたもお友達になれると思ったから頼んだの。ちょっとお節介しただけ」



 アンジェいわく、この街の人は二十歳過ぎると職に就くのに街を出るのがほとんどらしい。

 その中でもセリナはギルトの【錬金術師アルケミスト】として街に残ったが、彼女は職員の中でも最年少だし、何より忙しいから新たに友達を作る時間もないのだという。



「それで、彼女と少しは遊べたの? まさか、修行で終わった訳ではないでしょう?」



 アンジェがからかうようにニッと口角を上げる。俺が彼女にデートのひとつやふたつしたことを期待しているのだろう。しかし、残念ながらアンジェの期待に沿うことはできていない。行ったとしても――……。



 そう思ったところで、脳裏にあの日の光景が甦った。

 咲き乱れる花々と、墓石の前で静かに祈るセリナ。そして、その墓石に刻まれた名前……。



 ああ、そうだ。

 俺、アンジェに訊かなければいけないことがあったんだっけ。



「……ムギちゃん?」



 いきなり黙りこくる俺を、アンジェが心配そうに見つめてくる。

 一方、隣で寝転がっていたノアも何か察したようで、口を噤んだまま俺のことを見上げていた。



「……行ったよ。墓参りだけど」



 その言葉で、アンジェの手がピタリと止まった。



「それは……誰の?」



 アンジェはそっと草原に竪琴を置き、静かに俺に問いただす。

 そんな彼に向け、俺は意を決して答えを告げた。



「イルマ――踊り子の、イルマ」



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