第35話 明るい音色に誘われて

 * * *


 本日も変わらず、市場のほうは賑わっている。

 そう言いながらもまともに出店を巡るのは今が初めてだった。



 周りからは威勢のいい商人の声と街の人の笑い声が聞こえてくる。ここだけ見ると平和的で、魔王が復活することなんて嘘のようだ。



 さて、アンジェの買い物リストはというと、ほとんどが食材だった。

 主食のパンとキャベツやトマトなどの緑黄色野菜。あとはノアの餌のりんごに、燻製された肉。

 このラインナップに「そろそろ米を食したい」という欲求が生まれたのは内緒である。



 懐かしき白米のことを思いながら市場をうろついていると、後ろから声をかけられた。



「おお、ムギトではないか」



 野太い声で名前を呼ばれて振り向くと、ミドリーさんがいた。



「あ、どうもっす」



 ノアが乗っている頭で小さくお辞儀をすると、ミドリーさんも軽く手を挙げて挨拶する。



「その猫……ノアと言ったか、それを乗せているとなかなか目立つな」

「あはは……すいません。こいつ、すっかりここが定位置になっちゃって」



 半笑いで視線を上げるとノアは俺の頭の上で丸くなった。

 このように避ける気がさらさらないノアにミドリーさんは面白そうに笑う。



「ところで、今日はアンジェは一緒ではないのだな」

「アンジェはひとりで依頼クエストに行きました。俺は留守番っす」



 目を半目にして答えると、ミドリー

 さんは「なるほどな……」と納得したように頷く。

 その一言で彼の言いたいことがすべて詰まっていた。つまり、俺を哀れんでいるのだろう。



「まあ、留守番くらいひとりでできるっすよ」



 彼の同情を軽く笑って吹き飛ばすと、ミドリーさんも頬を綻ばせた。



 そんな他愛ない話をしていると、どこからともなく明るい音楽が聴こえてきた。



 街の人も目を輝かせながら音色がするほうへと向かっていく。何かが始まったのだろうか。

 道行く人をぽかんとしながら見つめていると、ミドリーさんも一緒になって歩き出した。



「演奏会だ。せっかくだから観ていかないか?」

「あ、はい!」



 ミドリーさんが手招きしてくれたので、俺たちも彼の後に続く。

 音色に誘われてついて行くと、噴水がある広場で演奏会が行われていた。



 明るい笛の音色、元気にビートを刻むパーカッション、陽気なメロディラインを奏でるアコーディオン……聴いている大人も子供もみんな笑顔だ。中には音楽に合わせ踊っている人もいる。



 ミドリーさんも近くのベンチに座って演奏を眺める。その表情は穏やかで、何かを懐かしむように遠い目をしていた。



 俺も彼の隣に座って演奏を観ていると、噴水の周りで遊んでいた子供たちがミドリーさんに近づいた。



「神官様、こんにちは!」

「おう、こんにちは。元気か?」

「うん! 元気!」

「それはいい。でも、怪我はするなよ」



 ニッと笑ったミドリーさんは大きな手でガシガシと子供たちの頭を撫でる。頭を撫でられた子たちも嬉しそうだ。こう見ると、ミドリーさんが子供たちに慕われているのがよくわかった。



 ほっこりしながらたむろする子供たちを見ていると、ひとりの女の子が演奏者の様子に首を傾げていた。



「ねえねえ神官様。今日もイルマはいないの?」



 女の子はパッチリとした大きな目でミドリーさんを見つめる。

 そんな無垢な彼女にミドリーさんは困ったように眉尻を垂らした。



 女の子に問われてもミドリーさんは口を噤んだままだった。彼女になんて言おうか答えを迷っているようにも感じた。



 そうしているうちに噴水のところに道化師が現れた。その手には風船をたくさん持っており、手招きして子供たちを呼んでいる。



「ほら、ピエロが呼んでる。行ってあげなさい」



 ミドリーさんが優しく言うと、子供たちは元気に返事をして道化師のところへ駆けていった。

 その様子にミドリーさんはホッと胸を撫で下ろしているように見えた。女の子の問いから逃れられたことを安心しているのだろうか。



「……その、イルマって人のこと訊いていいんすか?」



 禁句に触れるような雰囲気だったので、恐る恐る尋ねてみる。

 すると、ミドリーさんは目を瞠ったが、何か察したように一瞬ためらい、微笑んだ。



「イルマは、この街に住んでいた【踊り子ダンサー】の女の子だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る