第34話 「におう」って何が?

 アンジェの家は一階にリビング・ダイニング・キッチン、洗面所に浴室とトイレ、それと俺が借りている親父さんの部屋。二階に行くとアンジェと彼の妹らしき部屋がある。



 そんな家の部屋中の埃を掃いて感じたらのだが、この家の作りは確かに古かった。場所によっては床が軋んだり、レンガの隙間から風が入るほどだ。



 家の古さはアンジェ自身も言っていたとはいえ、家に入った時はそんな古さは感じなかった。

 理由は、リビングの床だけ傷ひとつないほど真新しいからだ。

 ただし、奥のキッチンまでいくと年季の入った木製の床になる。なお、他の部屋も似たような感じだ。



 床を張り替えるならキッチンまで伸びてもいいと思うのに――なぜリビングだけなのだろう。



 一端いっぱしな疑問を抱いたが、ノアに言われないと正直気づかなかった。

 借りている親父さんの部屋がベッドとクローゼットくらいしか置けないほどの狭さで床の面積が小さかったことと、これまでキッチンに立つ機会がなかったからだ。



 一方、ノアがいち早く違和感を抱いたのは彼が猫だからだろう。俺たちより視界が低いから床の違いが一目でわかったのだ。

 あの時、ノアが見ていたのは床に置かれていた深皿でない。床自体を見ていたのだ。



 ……と、探偵のように推測してみたが、どうせ真実は「これから張り替える」とか「ここだけ床が穴空いた」とか現実味溢れるものな気がする。



 そして柄にないような思考を巡らしながらおこなった掃除もひと通り終わった。



「あー、疲れた」



 箒を持ちながら、うんと背伸びをする。

 あとは取ったゴミを捨て、裏口に箒と塵取りを置けば次のステップ・買い物に行ける。



 本当はここら辺でひと休みしたいところだが、街の市場がいつまでやっているかもわからないのでさっさと買い出しをするとしよう。



 アンジェが用意してくれた買い物籠に借りた財布を入れる。中には予めいただいていた金と買い物リストが書かれたメモが入っていた。



「ノア〜、出かけるぞー」



 彼が日向ぼっこしているはずの窓の縁に顔を向ける。だが、先程までそこで寝ていたのに、ノアの姿がない。



 ノアを探すように部屋を見回してみると、彼は出入り口の前にちょこんと座って扉と床を凝視していた。



「そこがどうかしたか?」



 声をかけると、ノアの耳がピクリと反応する。しかし視線は下がったままでそこから動こうとしない。



「まあ、確かにリビングだけ床が新しいのは不思議だけどよ……そこまでのことか?」



 ノアと同じ視線になるように彼の後ろでしゃがんでみる。

 すると、床だけでなく扉の縁も新しくなっていることに気づいた。そして扉の近くのレンガがごく一部だが黒くなっている。すすだろうか。



 この光景に小首を傾げると、隣でノアがニヤリと笑った。



「なんかにおうんだよなあ、この家」

「におうって……なんのにおいだ?」

「さあな。血か、御霊か……それとも両方か」

「何っ⁉︎」



 意味深な発言に思わず退いた。

「血」か「御霊か」とは、詰まるところ霊的な何かと言いたいのだろうか。



「そ、それはつまり……そこに何かいるってことか?」



 平常心を保っているつもりが無意識に声が上擦うわずった。

 それをノアは聞き逃さず、意地悪そうに口角を上げる。



「なんだ? お前、ビビってるのか?」

「びっ! ビビってなんかねえし! ただ、家主が不在なのに来られても困ると思っただけだし!」



 咄嗟に強がってみたが、自分でも何を言っているかわからなかった。

 なんだよ来られるって。何が来るんだよ。想像したくないけれども。



 しかし、いくら心情を誤魔化しても態度までは誤魔化せていなかった。俺は無意識にも出入り口の扉から逃げるように退いていたのだ。



 そんな屁っ放り腰な俺を見てノアは呆れたように息をつく。



「まあ、仮に何かいたとしても【神の使い】であるこの俺が正体を探れないくらいだ。どうせ思念の残り香程度だろうよ」

「え? あ、そっか。そういえばそうだったな」



 てっきり猫だからそういうのに敏感なのかと思っていたが、そもそもこいつは神の使いだった。すっかり忘れていた。

 そんな神の使い様がこの程度に扱うくらいだ。心配する必要はないだろう。



 なんせノアがいるとはいえ今日からこの家の留守番だし。

 そんなおかしなにおいのことなんて気にしていたらゆっくり休めない。ちょっとホッとした。



「いやー、ノアがいきなりそんなことを言うからどうしようかと思ったぜ。さ、買い出し行くぞ」



 安心から笑みをこぼしながら片腕でノアを抱く。

 なるべく優しく、でも彼の温みを逃さぬように。



 怖い? そんな訳あるか。

 だって俺、もう二十歳超えたいい大人だし。幽霊なんて怖いはずがないし。

 そもそも幽霊を怖がる前に俺自身が悪魔サタンだし。手前に赤子ベビーがつくけど。



 そう自分に言い聞かせていたのに、自然とノアを抱いた腕が強張った。



 そんな俺を見てくるノアがとても興ざめしている表情だったが、俺は敢えて見ないようにした。

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