第33話 主人公なのにお留守番
◆ ◆ ◆
翌朝、アンジェは宣言通り
「今日はいい天気だから、洗濯からお願いしようかしら」
そう言いながらアンジェはショルダーバッグを肩にかけ、ハットを頭にかぶる。
「いってら。気をつけろよ」
「ありがとう。ムギちゃんも家のことよろしくね」
そう言い残して、彼は家を出た。
彼を見送るのに外に出ると、天気は雲一つない快晴だった。
風も穏やかで暖かいし、旅立ち日和だ。
そして彼の言う通り、洗濯日和でもある。
アンジェの背中が見えなくなるまで出発を送り届けると、自然と吐息が漏れた。
「さて……やるか」
まずは洗濯。その間に掃除。終わったら買い物といったところか。
この一気に家事をする感覚、現実世界の休日のようでどこか懐かしい。
洗濯物は洗面所にある籠に入っていると言っていった。
また、家事に使う道具は家の裏口に置いておいたという。
とりあえずさっさと洗濯機を回して、家の掃除に入ろう。
そう思って、俺は洗面所を見回した。
だが、いくら探してもないのだ――洗濯機が。
「……あれ?」
嫌な予感がした。いや、むしろ気づくのが遅かったのだ……この、異世界の決定的な文化の違いに。
この世界、電気がないのだ。
だから、家に洗濯機なんてものはない。
と、言うことはだ。
冷や汗を掻きながら裏口に回る。そこには箒と塵取りの他に木製のたらいと洗濯板が置かれていた。勿論、固形石鹸も準備されている。つまり、手洗いだ。
裏口にサンダルがあったので借りて外に出ると、小さな井戸と手押しポンプがあった。
蛇口という便利なものはない。こちらも手動だ。
「洗濯機を使えば楽勝」なんて思っていた時期が俺にもありました。
甘かった。そして現実世界の文明の発達の素晴らしさに気づいた。こんなことで気づくとは思わなかったが。
だが、サボったらアンジェに合わせる顔がない。
これも筋トレ。修行だと思ってやるしかない。
まず、手押しポンプで水を汲む。
こういうのはハヤオ先生の作品でしか見たことがなかったが、意外と勢いよく水が出るものだ。
ひたすら手押しポンプで水を溜める。それでもこれだけで十分いい力仕事だ。
続けているうちに水がたらいの三分の一くらいまで溜まった。ここからようやく洗濯だ。
籠に入っているのはここ二日分の衣服だ。日数と人数にすると大した数字ではないが、手洗いとなると話が別。それに、これだけでもたらいに入れると満杯になった。
黙々と固形石鹸を水につけた衣類に擦りつける。
洗濯板で洗濯なんてやったことがないが、まあ、その辺は適当でいいだろう。
汚れが落ちればいいんだよ、落ちれば。
ゴシゴシとずっと繰り返しながら衣類を洗う。石鹸で泡だった水を見つめながら、ただひたすらと。
ここまで同じような作業をしていると、ゲシュタルト崩壊しそうだ。
アンジェはこれを一人でやっているのだろうか。でも、アンジェなら楽々と熟しているのだろうな。アンジェ、女子力高いし……いろんな意味で。
そんなことを思いながら、フゥとため息をついた。
ぼんやりと空を仰ぐ。本当に青々としたいい空だ。
そしてそんな青空の下でひたすら野郎二人分の洗濯物を洗っている俺。なんか途端に虚しくなってきた。
――あれ?
いろんな思考を巡らしているうちに、ふとあることが頭によぎった。
ただ、すぐに詮索しなくていいと思えるほど、とても些細なことだった。
「……まあ、いいか」
独り言ちりながら、やけに静かなノアを見る。
奴は庭の日向でごろんと横たわって眠っていた。
その姿は完全に日向ぼっこをして眠っている猫だった。お前、神の使いの案内人じゃなかったのかよ。
文句一つ垂れたいところだが、確かに気持ちのいい天気なのでそっとしておくことにした。
思えば、この世界に来てからこんなにのんびりできるのは初めてだった。
お互い束の間の休息。そう思いながら俺は洗濯を再開した。
洗ってすすいでを繰り返し、洗濯ロープを設置して洗った衣類を干していく。
これだけでなんだかんだお昼近くまで戦っていたが、これでやっと洗濯は終わった。
部屋に戻り、昼食にアンジェが用意してくれたパンを頬張る。
次は床の掃き掃除といったところか。
勿論、掃除機なんてないから、用意してくれた箒で床を掃くことになる。
ふとノアを見ると、彼は床に置かれた深皿をじっと見つめていた。こいつも腹が減ったのだろうか。
「ノア、お前も飯食うか?」
声をかけるが、反応はない。ただ、じっと深皿を見つめている。
「……何してるんだ?」
ノアの前にしゃがみ込んでみると、顔を上げた彼と目が合った。
「なんでもねえ。ちょっと気になっただけだ」
「深皿が?」
「深皿じゃねえよ……まあ、それも今はどうでもいいけどな」
そう言ってノアはふらりと歩き出し、陽の当たっている窓の縁で縦長になって寝転がった。
「……なんだ? あいつ」
ノアの意味深な発言に首を傾げる。
そんなノアの抱いた疑念だったが、俺も気づいたのは床掃除に入ってからだった。
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